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《写真・俳句》四長、師走の京都を旅する。

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   12月15、16、17日、2泊3日で師走の京都を旅した。  紅葉も完全にピークアウトし、洛北の岩倉や東山南禅寺界隈の寺々はすっかり落葉、散り紅葉が美しい。 実相院 白沙村荘    一方、街中の町屋の中庭の紅葉は辛うじて頑張ってくれていた。 八竹庵 八竹庵   そして今回の京都は空いていた。中国人観光客は政府の渡航自粛で激減し、欧米人観光客はクリスマスは母国で過ごしたいと、先週辺りからこちらも激減。私がこの3日間で訪れた「八竹庵(旧川崎家住居)」「実相院」「岩倉具視幽棲旧宅」「對龍山荘」「無鄰菴」「白沙村荘」「茂庵」は、皆ほぼほぼ貸し切り状態で迎えてくれた。 對龍山荘   最近の京都のオーバーツーリズムの話とは程遠い贅沢な時間が過ぎて行った。おまけに天気にも恵まれた。3日間で晩秋から初冬へと京都の山や街や人が、衣替えをしてゆく様をじっくり観察させて貰った。 對龍山荘   でも、あんまり人がいないと別な心配も心を掠める。「白沙村荘」の庭園を巡っていた時だ。「白沙村荘」は明治画壇の巨星・橋本関雪の旧居跡。銀閣寺の参道の南側の広大な敷地に庭園が広がる。この庭で関雪は日々スケッチに勤しんだ。関雪好みにワザと庭師の手数を減らし、自然に任せ少し荒れた山里風に作庭されている。 白沙村荘   良い雰囲気、私好みでもある。庭を巡るのは私たち夫婦だけ他に誰も人はいない。ここは思わず大好きな小学唱歌「里の秋」でも口遊みたくなるところだ。そして田舎家の朽ちかけたような門を潜り、まだ実が多く残った柿の木を見た。その瞬間!私の心に、背筋に、思いもかけぬ 恐怖 が 戦慄 が数秒過ぎり走った。 「熊は大丈夫か⁉️」 白沙村荘   いくら山里風とは言え、此処は京都の街中、庭園は高い塀で囲まれている。熊が出没するはずが無い。でも本当に過ぎった。一瞬だが 恐怖 が 戦慄 が、、、 白沙村荘   そう言えば、先週、此処「白沙村荘」から少し南に下ったところにある清水寺で管主が、恒例の『今年の漢字』として『熊』を発表していたっけ。聞いたときは、「『熊?』確かに世間を賑わし、被害も深刻、甚大だ。けど、今年の漢字としてはイマイチかな?」って思っていた。しかし何の事はない、私の潜在意識に『熊』はスッカリ棲みついていた。「『熊』こそが『今年の漢字』に最も相応しい!」と、この時心底実感!さすが清水寺❗️恐る...

《写真俳句》臨時増刊・四長、横須賀美術館で山本理顕氏のプリツカー賞受賞を祝う‼️

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  美術館正面、レストランのテラス席は朝から満席だ。   夏至の頃、横須賀美術館を初めて訪れた。美術館の学芸員さんには申し訳ないが、目的は企画展ではなく、山本理顕氏設計の美術館建物そのものを見たくなったからである。このブログの「メニュー」→「アート」→「美術館」で探って頂けると分かるように、私は「美術館フェチ」、それも相当な「美術館建物フェチ」である。  「美術館建物フェチ」にとっては、企画展の人気があまり高くなく、入場者があまり多くない方が、建物の内外をしっかり、ゆっくり鑑賞出来るし、許されれば写真撮影にも都合が良い。その意味では今回の訪問は理想的(失礼!)なはずであったが、少し考えが甘かった。  ウィークディにも関わらず結構混んでいたのである。おかしいなとは瞬間思ったが、直ぐに納得した。私のような「美術館建物フェチ」とまでいかないまでも、美術館建物見学目当ての人が結構いたのである。理由は明白だ。今年の4月、美術館の設計者山本理顕氏がプリツカー賞を受賞したのだ。   プリ ツカー賞!毎年4月、米国のホテルチェーンのオーナーであるプリツカー一族が運営する「ハイアット財団」から授与される賞であり、建築界のノーベル賞と例えられる。1979年創設より原則1年に1名に存命の建築家に授与されて来た。過去の受賞者を国籍別に見ると、なんと日本が9名(※)で最多!以下アメリカ8名、イギリス4名、フランス3名と続く。 ※丹下健三(1987年)槙文彦(1993年)安藤忠雄(1995年)妹島和世・西澤立衛(2010年)伊東豊雄(2013年)坂茂(2014年)磯崎新(2019年)山本理顕(2024年)  プリツカー賞の理念は「建築を通じた人類や環境への意義深い貢献」とのことだ。それを思えば、最多受賞は日本人としては何とも誇らしい。  そしてその賞の理念を少し意識してこの美術館を巡ると色々な発見がある。山本理顕氏の考える「建築の貢献」が、建物のあちらこちらに散りばめられているのである。人類(地域の住民、遠くから訪れる人たち)と環境(周囲の自然)への行き届いた配慮が、柔らかく入場者を包み込む。普段より少し穏やかな優しい気分になったのは私だけではないだろう。 美術館の屋上、ガラスの屋根がそのまま海と繋がっている演出だ。 壁に施された色々な丸窓が切り取る景色・光景が優しい。(ガラス越しのシ...

《写真漢詩・俳句》四長、読者の皆様に感謝する。

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    漢詩は我が『仙台堀日記』ゆかりの 仙台藩藩祖・伊達政宗公の漢詩「馬上少年過」(※リンク) をオマージュして詠んだ五言絶句だ。現在の私の心境である。今日は、先ずは、この漢詩からはじめて、読者の皆様に私の大変我儘な報告をさせて頂く。  報告は「『仙台堀日記』を暫く休刊する。」というものだ。『仙台堀日記』、今年の1月21日にリリースして以来、毎日更新して、本日で300回目を迎えた。拙い写真、拙い詩歌、そして拙い文章にも関わらず、長く(全然長くないが、本人はそう感じている)続けてこられたのは、偏に読者の皆さんのお陰である。  何故、休刊にするのか?余り深い理由はないが、敢えて言わせて貰えば、「『達成感』とまだ他に『やりたいこと』がある。」ということに尽きる。この感覚があるうちに休刊にして、先に進みたいということである。(要は「四長は、本当に我儘な奴だ。」ということである。)  達成感については、御礼を兼ねて報告する。『①発信』『②アーカイブ』『③集中力』の3点についての達成感だ。  『①発信』については、大変大袈裟且つ生意気な言い方で恐縮至極だが、 過去に撮った写真、作った詩歌、にもう一度息吹を与え、広く世界に発信出来た と思っている。特に詩歌については昨年1年間で創作した500作を、ほぼほぼ300回のブログで発信出来た。望外の喜びとしか言いようが無い。写真は約7年間撮り溜めたものから相当の枚数を発信できた。(『仙台堀日記』は途中から始めたTwitter(現X)の力も借りて、昨日までに全世界で16万回のプレビューがあった。もし『仙台堀日記』が無ければ、詩歌も写真も完全に死蔵されたに違いないのだから嬉しい限りだ。)  次に『②アーカイブ』について、辞書で引けば「アーカイブ」とは、「消したくないデータを専用の記憶領域に整理して保存すること」とある。これも大袈裟な物言いだが、『仙台堀日記』を始めたことで、 私のこれまでの人生の「アーカイブ」が出来た と思っている。ブログ『仙台堀日記』の左上のメニュー表示をタップ頂くと、ブログの記事の分類が出てくる。「漢詩」「短歌」「俳句」といった分類があり、その下に「連作」「海外」「アート」といった項目がある。更にそれらをタップして頂ければ、幾つかのシリーズが出てくる。旅シリーズであれば、旅先ごとに整理されている。  つ...

《写真俳句》四長、新宿御苑で『新宿鮫』との対決が甦る。

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  「新宿御苑」である。昨年の秋訪れた。私が俳句が苦手なことは、このブログでも何度か書いたが、此の句は気に入っている。写真の力が殆どかもしれないが、切れ味が良いと自惚れている。(基本的に自作への評価は甘い方だ。)  「新宿御苑」は「御苑」である。「御苑」とよく混同される「恩賜公園」は、「上野恩賜公園」「浜離宮恩賜公園」「井の頭恩賜公園」とか、江東区にも「猿江恩賜公園」と幾つもある。そして所有権は天皇陛下から既に自治体等に下賜されている。  一方「御苑」は、今も宮内庁即ち天皇陛下の所有である。此処「新宿御苑」の他には「皇居東御苑」「京都御所御苑」の三つしかない。他の二つが「御所」に付属した庭園であることを思えば、「新宿御苑」が特別に有難い場所であることがよく分かる。  その有り難さ故か、「新宿御苑」は滅多に小説等に登場しない(アニメでは新海誠監督の「言の葉の庭」が有名だが)。私の知る限りでは、ハードボイルド作家・大沢在昌の人気シリーズ「新宿鮫」のみである。  「新宿鮫」は新宿署の鮫島刑事を主人公とする警察小説。映画化(滝田洋次郎監督)もされ、主演の真田広之がその年の日本アカデミー賞を受賞した。NHKのドラマでは舘ひろしが主人公・鮫島を好演し、人気シリーズとなった。  その作者・大沢在昌氏、実は私と不思議なご縁がある。先方は全く知らず、私も最近知ったご縁である。私がどうやってそのご縁を知ったのか?それは三年前の私の実家の整理のときに遡る。私の高校時代の学園祭のパンフレットを発見!その中身を読んでいると、突然、その不思議なご縁が私の目の前に現れた。  パンフレットの中に、大沢在昌氏 の名前を見つけたのだ。直ぐにググれば、彼は私と同じ名古屋の東海高校出身、学年は私の一年下とある。大沢在昌はペンネームではなく本名とある。であれば、これはもう、あの大沢在昌氏に間違いない。  名前が載っていたのは、学園祭の「演劇大会」のページ!彼は大会に脚本家として参加していたのだ。そして実は、この私も脚本家として参加!何と私は天下の大沢在昌氏とあの「新宿鮫」(ジョーズみたいな)と脚本対決していたのだ。   私は三年D組で、演目「新説古事記伝・ハチのムサシは生きている」の脚本・演出だ!。彼は二年I 組で、演目「貴方は気がつきましたね」の脚本・演出にナレーションだ!。  今、パンフレットを...

《写真俳句》生きた化石は何を語るのか?(仙台堀・メタセコイアの森)

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   仙台堀川公園の「原始の森」、生きた化石と言われる落葉針葉樹「メタセコイア」である。11月になっても夏日が続くなど異常気象ではあるが、見上げれば、少しづつ色が濃くなっている。「メタセコイア」の名は「メタ」と「セコイア」を合体させたもの。接頭語の「メタ」は「超えた」とか「高次元」とか、色々な意味を持つ。一方「セコイア」は巨大な常緑針葉樹で、樹高115mに達するものが報告されるなど、現生の生物の中では地球上で最も背が高いと言われている。米国の西海岸の国立公園などに自生、米国人が好きな樹の一つである。すると「メタセコイア」は「セコイア」を超えて高くなるのかと驚いたが、この場合の接頭語「メタ」は「後の」とか「別の」の意味で使われていると知り納得した。 新緑のメタセコイアの森   この「メタセコイア」を発見したのが日本人であることを最近知った。京都大学で古代のフロラを研究していた三木茂博士だ。和歌山県橋本市の第三紀の地層から、新種の植物遺体(化石)として発見した。博士は化石から、葉・枝・球果などを類推、論文にして世界に発表した。1941年のことだ。  ところが、事態は急変する。1946年、絶滅したと考えられていたメタセコイアの生存木が中国の湖北省で発見された。三木博士が研究から類推、論文に記載したのと寸分違わぬ姿で、、、、博士の研究は世界中で賞賛され、メタセコイアは「化石」から「生きた化石」に変身した。  何処かで見た聞いたようなシーン!そう前回のNHKの朝ドラ「らんまん」に出てきそうなシーンである(出てこなかったと記憶している)。 前にこのブログで書いた「植物細胞学」の池野成一郎! そして「古代フロア」の三木茂!日本の植物学、牧野富太郎だけではない!正に「らんまん」だ。 12月のメタセコイアの森   毎度の蛇足だが、「メタセコイア」の命名者も勿論発見者・三木茂博士だ。シンプルな命名だが、キャッチーな響きで、その名が胸に刻まれる。80年経っても色褪せない。私はザッカーバーグが社名を「フェイスブック」から「メタ」に変えたと聞いたとき、「メタバース」よりこの「メタセコイア」が胸を過った。 P.S. 本日は、暦の上では二十四節気の「立冬」だ。昨日東京は最高気温28°Cの夏日、秋を完全に飛ばして、冬が立った。

《写真俳句》蘇鉄の冬支度には訳がある。(五島美術館・3)

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五島美術館庭園内    世田谷上野毛「五島美術館」庭園である。冬支度ですっかりこもかぶりした植物があった。気になって近づけば「蘇鉄(そてつ)」とある。でも、ちょっとやり過ぎだ。枝ぶりが素晴らしい年代物の蘇鉄なんだろうけど、そんなに積雪も多くない東京でここまでやるか?なんか息苦しそうだ。「過ぎたるは及ばざるが如し」なんて言葉まで浮かんだ。  蘇鉄は、裸子(胎珠が心皮に包まれていない)植物の常緑低木である。鉄を肥料にすると樹勢が増すので、釘を打ち込むと蘇ることから、その名が付いた。 五島美術館美術館庭園内・陶器の象が可愛い。   蘇鉄と言えば、思い出すのはNHKの朝ドラ「らんまん」である。主人公万太郎の親友「波多野泰久」のモデルの植物学者「池野成一郎」が、この蘇鉄の精子を発見した。池野は前年に平瀬作五郎(ドラマでは野宮朔太郎)と顕微鏡の中で運動するイチョウの精子を発見していた。それに続く2年連続大発見だ。世界的にも高く評価される大発見で、その後の植物細胞学の飛躍的な発展に大きく貢献した。現代であればノーベル賞ものの発見だったと言われている。  朝ドラの中では、俳優・前原滉が好演していた。池野は語学の天才で、研究室の学生時代から常に大学の本流に居続けた学者であった。でも彼の凄さは、学閥意識が無く、傍流の牧野富太郎や平瀬作五郎の良き理解者だったことだ。それどころか、年下であったにもかかわず、二人の保護者でもあり続けた。池野がいなければ植物界に二人の名は残らず、結果、朝ドラ「らんまん」も成立しなかったのだ。 五島美術館庭園内・石像が皆、魅力的だ。   そんな池野も蘇鉄の研究では結構苦労する。蘇鉄の研究には東京は寒過ぎたようだ。東京より暖かい鹿児島(当時、行き来に時間的を要する)で蘇鉄を観察した。そもそも東京では十分に成長した蘇鉄を見つけるのが困難、そして温度の低いところでは、動く精子も動かないと予測していたようだ。結果、鹿児島で精子を見事発見!標本を固定し東京へ持ち帰り精子と判断、発表した。  そうだ!調べてみれば、現在も蘇鉄の自生の北限は宮崎県とある。東京で蘇鉄が冬を越えるのは大変なのだ。この全身こもかぶりの姿にも納得!オーバーだとか失礼な前言は、完全に撤回する。万全な冬支度で、この冬乗り切ってくれ!蘇鉄君。  

《写真短歌・俳句》四長、上野毛で西方浄土を体験する。(五島美術館・2)

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   昨日に続き、世田谷区上野毛の五島美術館の庭園である。江戸時代享保年間に彫られた石仏が、晩秋の落陽を真正面から浴び気持ち良さそうに眠っていた。(今にも頬を支える右腕が外れてカクッとしそうだ。)  美術館の創設者・五島慶太は、NHKの朝ドラ「らんまん」にも相島の名で登場していた鉄道王である。東急電鉄の事実上の創業者で、彼が社長を務めた会社名を列記するだけでも、彼が鉄道王と言われる由来が分かる。こんな感じだ。「目黒蒲田電鉄=東急目蒲線」「池上電気鉄道=東急池上線」「東京横浜電鉄=東急東横線」「玉川電気鉄道=東急玉川線」「京浜電気鉄道=京急電鉄」「小田急電鉄=小田急電鉄」等々だ。数々の競合の鉄道会社をM&Aを駆使して買収していった。その手法はときに強引で、「強盗慶太」の異名を取った。   そんな「強盗慶太」が美術館を創設する。それがこの「五島美術館」である。「五島美術館」の「五島」は勿論自らの名前であるが、創設時の1949年、五島慶太の命でこの美術館に出資した元「大東急グループ」の東急・京王・小田急・京急と東急百貨店の五社を指しているとも言われる。お陰で美術館の財務は盤石だ。「五島慶太」、自ら築いた大東急の儲けの幾許かを、末永く社会還元することに見事成功した。   「五島慶太」は、展示館の裏手に庭園も造る。庭園は展示館の裏手にあり、多摩川沿いの段丘(恐らくハケ)の高低差を最大限生かしている。散策路の彼方此方に「大日如来」や「六地蔵」など、「五島慶太」の事業拡大に伴い、引き取ることになった各地の石仏が配置されている。   そして、私はこの庭園に若い頃何度か訪れたことがあるが、そのときは全く気が付くこと出来なかったことがある。それはこの庭(段丘の斜面)は完全に西向きだということだ。従って斜面に配置された石仏たちも、多くは顔を西向きにして配されている。それ故、落陽の時間には、彼らの面差しに光がスポットライトのように当たる。まるで西方浄土(極楽浄土)の光が降り注ぐみたいだ。すると、石仏たちは表情を変える。口角を微かに上げる。西方浄土からの導きに応える様に、、、   「強盗慶太」とまで言われた辣腕の経営者「五島慶太」。しかし、彼とて人間だ。最晩年は自らの終わりのときを考えたに違いない。この庭を散策し、この光景に接し、自らの最後の瞬間は、西方浄土の光に包まれて逝き...

《写真漢詩&俳句》四長、「さるすべりの悲劇」を告白する。

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  「さるすべり」を詠んだ高浜虚子の名句「炎天の地上花あり百日紅」にオマージュして漢詩を詠んだ。  虚子の俳句は、数ある夏の俳句の中でもお気に入りの句だ。「炎天」と「百日紅」はともに夏の季語であり、完全な季重ねの句だが、虚子大先生が詠めば、確信犯として絶賛される。  しかし、一般の句会で私たちが詠めば、瞬間アウトだろう。その句を漢詩に入れ込むと「炎天地上百日紅!」と「起承転結」の「承の句(二句)」の切れ味が途端に鋭くなる。虚子の俳句の見事な切れ味が為せる技だろう。  「さるすべり」、漢字で書けば「百日紅」と「猿滑」、二通りある。花言葉は沢山ある様だが、私がピンとくるのが「雄弁」と「不注意」だ。  私の印象で恐縮だが、①漢字「百日紅」に花言葉「雄弁」、②漢字「猿滑」に花言葉「不注意」が紐付いている気がする。   先ず、①の「百日紅&雄弁」グループだ。漢字の百日の通り、「百日紅」は、ほぼ夏中(7月〜9月)咲いている。花言葉「雄弁」の由来はその外観だろう。  枝先に密生した縮緬のような花弁、私には「雄弁」というよりも「多弁」「饒舌」「お喋り」という印象だ。  でも、虚子の俳句の如く、誰も歩いていない炎天下の道で、夏空に向かって凛と咲く「百日紅」を見れば、堂々としており、花言葉「雄弁」も十分に理解できる。  次に②「猿滑&不注意」グループだが、これも漢字と花言葉の由来は外観だろう。  でも、こちらは花弁ではなく、木の幹の外観だ。「ツルツルしており、木登り上手の猿ですら、手を滑らして上手く登れないのでは、、、だから不注意は禁物!」ってことだろう。  誰も信じてくれないが、私は歩きながら「猿滑」の俳句を考えていて、マンションのスロープで足を滑らせ転倒した。  正に不注意!圧迫骨折、この暑い時期に全治6ヶ月を宣告された。花言葉を侮ってはいけないことを体感した。  ところで、「猿滑」、猿は本当に手を滑らして上手く登れないのだろうか?ずーっと疑問だったが、先日、友人の話で疑問は氷解した。  彼曰く「猿は知らないが、自分の小さい時、家の庭にある猿滑の木を登ったことがある。自分でも全く問題なく登れたので、猿は簡単に登るだろう。」と。実証的且つ説得力のある話だった。  

《写真俳句・漢詩》四長、仙台堀で蜃気楼を見る。

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   私には珍しく俳句である。漢詩や短歌は好きだが、俳句は苦手だ。僅か十七文字で、全ての情景・状況を切り取る世の俳人たちを心から尊敬している。  その私が何故、今回は俳句なのか?答えは単純だ。余りの暑さに、短歌の上の句まで詠んで、後は頭がボーっと思考停止状態になってしまったのだ。  少し休んで下の句をと捻り始めたが、そのとき、これ俳句でどうかなって考えが頭を掠めた。季語も入っているし、たまには俳句もいいかなと、、、  『逃げ水』、下位蜃気楼の一種。 炎天下、水蒸気や光線の加減で砂漠や道路の先に、水溜りのようなものが見える現象。その場所に辿り着いても、水溜りは更にその先に逃げて行ってしまう。  昔、映画を観た。「砂漠で遭難した探検家が、遠くに水の溜まりを見つけ、必死にそこまで辿り着くが、そこには何も無い。それを何度も繰り返す、、、その繰り返しが、確実に探検家の体力と気力を奪って行く。  最後にまた水溜りを見るが、どうせまた『逃げ水』だろうと思い、そこで諦め力尽きる。でも最後に見たのは本物のオアシスだった。」という何ともやり切れない映画だった。 公園の人面魚もバテ気味だ。    炎天下の仙台堀で私が見たのも、この『逃げ水』に違いないと思った。20mくらい先のアスファルトの遊歩道に水溜りが見える。  でも、歩き着くと、そこには水溜りは無く、見上げれば夾竹桃が今を盛りと咲いていた。  連日の日照りで水溜りなどあるはずない無いのだ。20m先と言うのは近過ぎるけど、これが『逃げ水』かと納得して家に帰った。  夕食後、家人に思い出した「映画」と昼間私の見た『逃げ水』の話をした。  でも、家人は「あなたが見たのは『逃げ水』ではない。熱中症の初期症状!炎天下に歩き回らないで!」と身も蓋も無い 。  そう言われれば、20mは近過ぎる。私の頭の中の「逃げ水」は完全に蒸発した。   真夏に咲く「夾竹桃」、もし「夾竹桃」が居なければ、東京の夏はほぼ砂漠だ。

《写真漢詩・短歌・俳句》佐伯祐三のパリを旅する

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   今日は佐伯祐三(1898〜1928)の美術展と、彼の作品を見て詠んだ私の漢詩と短歌と俳句をご披露したい。佐伯祐三は日本の洋画界を代表する天才画家であり、残念ながら志半ばで夭折した悲運の画家である。特にパリを描いた彼の作品には今も熱烈なファンがいる。僭越ながら、私もその一人で、複製画も画集も持っている。 我が家のリビングにある複製画   そんな佐伯祐三だが、夭折した画家の宿命か、私はこれまで彼の実物の作品群に出逢う機会に恵まれなかった。でもそんな状況が一変する。22年早春のことだ。佐伯祐三の作品(60点)を中心コレクションとする「大阪中之島美術館」が、彼の地元大阪にオープンしたのだ。大好きな画家の、大好きな絵が、思い立てば見に行ける(逢いに行ける)。彼の作品のホーム(家)が出来た喜び、安心感がじんわりと湧いて来た。この感覚、アートファンにはご理解頂けると思う。コロナ禍ではあったが早速、新幹線に飛び乗り、オープン間も無い大阪中之島美術館を訪問し、佐伯祐三の描くパリを旅し堪能した。その時詠んだ作品がこれだ、   その佐伯祐三の作品群が、今東京に来ている。東京ステーションギャラリーで、4月2日まで開催されている「佐伯祐三 自画像としての風景」展だ。私は2月にこれも訪れ、作品群に約1年ぶりに再会した。美術展全体は東京ステーションギャラリー煉瓦剥き出しの壁と彼の作品群が不思議にマッチ(何故かパリって感じ)、これもアリだと思った。個々の絵の展示も、前途に希望を抱き渡欧した第1期パリと、自分の死期を知り敢えて臨んだ第2期パリの作品、その違いを意識させる工夫が感じられて素晴らしかった。   展覧会の会期はもうあと1週間しか無い。もう予定が調整出来ない!もっと早く言って欲かった!とのご批判ももっともだ。でも大丈夫、「大阪中之島へ行けば逢えます。彼の作品のホーム(家)に逢いに行けば逢えます。」お気に入りの絵、気になる絵に出逢うために、旅をすることは素敵だと思う。(かなり苦しい言い訳であることは承知だが、半分は本気だ。)  明日はまた京都吟行をお届けします。

《写真短歌・俳句》咲いても椿、散っても椿

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   今日は、漢字の話です。このブログの2月10日『私的現代漢詩論」や2月12日「仙台堀と漢詩」のページに詳しく書きましたが、私にとって最大の漢詩の魅了は、詩に載せられる情報量の多さです。そしてそれは漢字の情報量の多さに他なりません。  今日は、その漢字の情報量の多さが、俳句や短歌を詠む時にも結構役に立っていると言う、私の拙い詩作法・過程について少しお話しさせて下さい。   上の俳句、地面に落ちた「散り椿(季語)」を詠んだ俳句です。句の中に「世の人々が大事に育んで来た夢が一瞬に散る」というニュアンスを入れたいなと思った時、人と夢が合体して出来ている「儚」の字が浮かび、出来たと思いました。「人の夢が正に「儚」く散る」、たった一字の中に、人の人生の諸々を詰め込んだ情報量の多い、示唆に富んだ「儚」という漢字が良い仕事をしてくれました。  一方、上 の短歌は、逆に漢字を分解して詠んだ短歌です。「椿」と言う漢字の中に「春を忍ばせているけど冬に咲く木」と言う沢山の情報が載っていることに、ふと気が付きました。そしてそれをそのまま詠んだら完成。たった一つの漢字に込められた情報を説明しただけで短歌が成立すると言う面白い例です。  漢字の集合体の「漢詩」と漢字の情報量を利用する「短歌」や「俳句」、漢字の面白さを味わいながら、それぞれを行ったり来たりして、創作の日々を過ごしています。