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四長、パリへ行く‼️(6)ロダン美術館で、「考える人」の市場原理を考える。

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    パリのロダン美術館の庭にあるオーギュスト・ロダンの代表作「考える人」である。正に本物である。  恥ずかしい話だが、私は昔「考える人」は世界で1体しか無いと思い込んでいた。東京上野の国立美術館の前庭にある「考える人」が、世界で唯一無二の本物だと、、、  それを初めて見たときは感動した。作品の素晴らしさは当然だが、日本の経済力に感動した。だってロダンの最高傑作と言われろ「考える人」は勿論、そこには「カレーの市民」!も「地獄の門」!もあったのだ。  彫刻界の巨人のロダンの主要作品を日本は買い占め、独り占めしている。日本の経済力(円高でもあった)は世界一だと、、、 庭側から見たロダン美術館本館、貴族の館風である。   だが、時が過ぎるとその感動は脆くも崩れてくる。何か「考える人」!京都にも名古屋にもあるのだ。そして静岡にも、一体どうなっているんだ!(パンダが日本には上野しかいないと思っていたのに、和歌山(白浜)にも数頭いると知ったときの驚きに似ている)  そのうち、日本だけではなく、アメリカにもメキシコにもロシアにも、そして台湾にもいることを知った。何と世界中に「考える人」は、26体!(日本には6体)もあったのだ。 庭から見えるアンヴァリッド、最高の借景である。   冷静に理屈で考えればはわかる話だ。「考える人」はブロンズ像(銅像)だ。大理石像(「ミロのヴィーナス」や「サモトラケのニケ」)や木彫(日本の運慶・快慶の作品群)ではない。型に高温で溶かした銅を流し込めば、何体でも出来てしまうのだ。  でも極めて世俗的な私は考える。何体造るのかってのは、経済的には結構難しい判断だ。沢山造れば、それだけお金が入ると言う単純なものではない。沢山造れば、作品の希少価値が損なわれ、作品の値段が、どんどん安くなってしまうのでは、、、  サザビーのようなオークションの仕組みは知らないが(ヤフー・オークションの仕組みは知っている)、当然市場原理が働くだろう。私の少し齧っている株式市場に置き換えればよくわかる。普通増資(株数増)すれば、株式は希薄化し株価は下がる。自社株買い(※1)などで株式数を減らせば、市場は好感して株価は上がるのだ。 庭には「カレーの市民」も鎮座している。   ここは創作者(ロダン)も専属の鋳造職人(ファウンドリ・リュディエ(※2))も真剣に考えただろうと思う。...

四長、パリへ行く‼️(5)パリは燃えているか?

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  早朝のパリ、ホテル「プルマン・パリ・モンパルナス」の部屋の窓ガラス越しに撮った写真だ。  パリは高層ビルが少ない。ホテルの東側の窓からは、遮るもの無くパリの街を一望出来る。よく見るとドーム型の建物が二つ見える。左端がパンテオン、中央がサルベトリエール病院だ。  でもこのショットの一番の主役は、何といっても朝焼けだ。見事に空一面を朱色に染めている!燃えている!少し不気味なくらいだ。「 パリは燃えているか? 」そんなフレーズも頭に浮かんだ。  「 パリは燃えているか? 」1966年の米仏の合作映画だ。米国からはカーク・ダグラス、オーソン・ウェルズ、グレン・フォード、仏国からはジャンポール・ベルモンド、アラン・ドロン、イヴ・モンタン等々出演していた。正にオールスターキャストの映画だ。その上監督はルネ・クレマン、脚本はフランシス・コッポラと豪華版だ。 上の写真の五分くらい前、時差とサマータイムで時刻が定かではない。   映画は、第二次世界大戦終盤、既に敗色濃厚のナチス・ドイツ、パリ占領軍司令官のコルティッツにヒトラーから、「撤退する時は、パリのありとあらゆる工場・橋梁・地下水道、そして歴史的建造物に爆弾を敷設して、パリの街を焼き尽くせ!」と命令が下るところから始まる。  最終的にコルティッツはその命令を拒絶し、連合国側に無条件降伏するのだが、それに至るまでの軍事・外交・政治・心理の攻防が凄まじい。それを丁寧に描いていた。今見たら結構興味深い内容だと思うが、如何せん当時は12歳!中学生の私には少し難し過ぎた。   でも、最後のシーンだけは今でも鮮明に記憶している。ドイツ軍のパリ占領司令部内で、打ち捨てられた電話受話器から声が聞こえていた。ヒトラーの声が、、、「パリは燃えているか?」と、、、 同じ窓から、午後4時くらいのショット。   しかしながら、改めて思う。ドイツの司令官がコルティッツで良かったなと、、、コルティッツはヒトラーの命令を実行して、パリを破壊し歴史に汚名を残すことを拒否したのだ。  これがもし、ヒトラーの絶対的なイエスマンだとしたらどうだっただろう。80年後の今、目の前の美しいパリの街並みが、フランスの文化が文明が、全く別のものになっていたかもしれない。 北向きのショット、ビルの谷間から、パリで一番標高が高いモンマルトルの丘が見える。   そんなちょっぴり感...

四長、パリへ行く‼️(4)ルーブル美術館〜『サモトラケのニケ』を真似たのは誰れだ⁉️(エピソード1・2)

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  ルーブル美術館の至宝 「サモトラケのニケ」である。ヘレニズム期の大理石彫刻、海戦の勝利を祝う女神「ニケ」が、ギリシアの戦艦の舳先に立っている。17世紀にエーゲ海のサモトラケ島で発見された。 (エピソード1・1979年)   1979年、初めてこの像を見たときの記憶は今でも鮮明だ。当時、美術史に不案内な私ではあったが、流石に「サモトラケのニケ(以下ニケ)」については知っていた。高校の世界史の教科書に載っていたし、試験にも出たからだ。  そして折角ルーブル美術館に行くからには、是非とも見たいと思っていた。理由はミーハー的で今考えると恥ずかしい。  実はこの年1979年!日本は空前のエーゲ海ブームだったのだ! (※1) 。中でもジュディ・オングが歌う「エーゲ海のテーマ〜魅せられて」は超特大ヒット!曲も歌唱も素晴らしかったが、衣装と振り付けが何ともキャッチーで印象的だった。  私は思った「この衣装と振り付けは「ニケ」を意識している、真似ているに違いない」と、、、「これは実際に「ニケ」を見て確認するしかないな」と、、、  そんなこんなで「ニケ」は、私の中ですっかり「ジュディ・オングの彫刻」→「エーゲ海の彫刻」→「海の彫刻」っていう思考回路でイメージが固まって行った。 像は今も昔も「ダリュ階段」の踊り場に鎮座している。絶好のロケーションだ。   しかし、実際にルーブル美術館のダリュ階段をゆっくり昇り、像に近づいて行くと、どこかイメージが違うことが分かった。少なくともジュディ・オングではない、もっと別の何かだった。階段を昇り切り「ニケ」の前に立てば、その違和感の理由がはっきりした。  見上げれば、そこには大きな翼(角度的に正面からは小さく見える)があった。そして翼の向こうに、大きな空すら感じるのだ。  「ニケ」は飛んでいる。悠々と大空を飛んでいる。「ニケ」は「海の彫刻」ではない。同じギリシア神話のイカロスと同じ、飛翔への憧れ・自由の精神を体現する「空の彫刻!」だ。「 FLying Goddess! 」なのだ。1979年の私は確信した。 (※1)その2年前の1977年に芥川賞を受賞した池田満寿夫の「エーゲ海に捧ぐ」が、1979年の4月に映画化され公開された。 そしてその映画のシーン映像を使ったワコールのテレビCMが大量に流れていた。そのCMソングがあの「エーゲ海のテーマ〜魅せら...

四長、パリへ行く‼️(3)サント・シャペル❗️〜光の聖書の中で佇む。

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 サント・シャペル、パリ中心部シテ島にある教会堂である。後期ゴシック建築の傑作と呼ばれている。  そのゴシック建築の「ゴシック」とは、もともとは蔑称だったそうだ。  ゴシックの前の建築様式「ロマネスク」が「ローマ風の」と言う意味に対して、こちらは「ゴート風の」と言う意味。ローマ帝国へ民族の大移動により侵襲してきたゴート族から来ている。  ローマ人の末裔たちからすれば、粗野で野蛮、洗練されていないものと感じていたのだろう。  でも、東洋人の私から見ると全く違う。ゴシック建築と言えば、兎に角尖ってる、蒼天を突き刺す様に聳え立っている印象。シャープで逆に洗練された印象さえ持っている。(背がやたら高くて鼻も高い西洋人の象徴にも通じる。)  でも、そんなゴシック建築、18世紀になると構造力学的観点から高い評価を受ける。  ひたすらノッポの建造物を目指すため、尖頭アーチ、飛び梁等を駆使し、壁は薄くし、建物の重量を減らした。そうした工夫が、その後の高層建築に貢献し、米国・ニューヨークの摩天楼の工法にも繋がると言う訳だ。  そして、ゴシック建築!窓は大きくとることが、必要(壁を軽くするため)且つ可能になった。そこでその大きな窓を飾るために登場したのがステンドグラス❗️だ。爆発的に普及し、進化した。  もとは初期キリスト教時代、地下に掘られたカタコンベ(お墓)の採光の窓に起源を持つと言われるステンドグラスだが、ゴシック建築と言う最高の相棒を得て、教会を光溢れる空間に一気に変貌させた。  そのゴシック期、多くの有名なステンドグラスが作られた。その中でも視覚的に美しく最高峰と称えられるのが、このサント・シャペルのステンドグラスだ。  サント・シャペルはルイ9世(聖ルイ)に1240年代に建築された。高さ15mの窓には聖書からとった1134もの場面が描かれている。  その日のパリは生憎の曇天であったが、外からは豊かな光りが降り注いでいた。時折、太陽の鋭い光が差し込めば、「これは神の恩寵と」思わず感謝したくなった。正にその時、私は「光の聖書」の中に居たのである。   そうか、この「光の聖書」の中に身を置けば、例え文字は読めないパリの市民たちも、聖書の物語を理解し、奇跡を信じ、従順な神の下僕(しもべ)いることを願ったに違いない。  そして、市民たちはこの美しい空間をこの地に造り、自分たちに特別な...

四長、パリへ行く‼️(2)ルーブル美術館〜『ナポレオンの戴冠式』の前で見た悪夢⁉️

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    ルーブル美術館!実に47年振りの訪問である。  当時、社会人になりたての私に強烈な印象を残した作品があった。その作品とは、人気のモナリザでもなく、ミロのビーナスでもサモトラケのニケでもなかった。  それは「ナポレオンの戴冠式」(正式には『1804年12月2日、パリのノートルダム大聖堂での大帝ナポレオン一世の成聖式と皇紀ジョセフィーヌの戴冠式』とやたら長いタイトルだ。)だった。  今回の旅で久し振りにその名画に再会!アートはタイムマシンだ!一気に1979年の感動の記憶が甦った。 ルーブル美術館、特に人気名画の前の混雑は凄まじい。「ナポレオンの戴冠式」の前も勿論だ。1979年当時の比ではない。   当時は、先ず絵の大きさに度肝を抜かれた。縦6.21mx横9.79m!畳33.5畳分の大きさだ。そんな巨大なキャンバスに、世界史の世紀の瞬間が、歴史上の重要人物たちが、詳細に生き生きと描かれていたのだ。  絵の中の主役は何と言っても中央のナポレオン!その人だ。まさに自分の妃のジョセフィーヌに、自ら冠を載せようとしている。  ローマ教皇ピウス7世に背を向け、本来は教皇にのみに与えられた戴冠と言う儀式、特権を奪い取る様に、、、  更に、ガイドさんの説明を聞いて驚いた。本当の式典では、ナポレオンは自らの頭にも自分で戴冠してしまったのだそうだ。  まるで教皇に「お前なんて傀儡!お飾り!に過ぎない。本当の権力は我が手中にある。我が辞書に不可能は無い。」と当て付ける様に、、、   そう言われると、教皇の表情も仕草も微妙だな?と思ったものだ。  ガイドさんの説明では「絵の教皇の右手は、ナポレオンに祝福を与えている」とのことだ。本当かな?と疑わしく思った。  教皇の右手は祝福を与えてるのではなく、ナポレオンの背中に呪文を掛けているんじゃないかと、、、 大きく拡大すると、教皇の右手、ピストルでナポレオンの背中を撃とうとしているみたいだ。   「俺をコケにしやがって!今に見ていろナポレオン!お前にも『カノッサの屈辱』を味合わせてやる。」って、、、(実際10年後、ナポレオンはエルバ島に追放される。) ルーブル宮中庭のガラスのピラミッド!47年前には存在しなかった。   そして、タイムマシンは再び現代に舞い戻る。心も冷静な自分になる。2026年の自分だ。  するとあや不思議!今度は突拍子も無い...

四長、パリへ行く‼️(1)エッフェル塔のエッフェルは、エッフェルさんが造ったから⁉️

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   2026年3月31日から4月5日迄、47年振りにパリを訪れた。加齢による体力の衰えと円安に象徴される日本の国力の低下、、、もう海外旅行は難しくなるなって思い決断した。ANAの直行便と同じホテルに5連泊するという体への負担を出来るだけ少なくする旅程だ。  ひたすら美術館巡り!と考えていたが、そこは47年振りのパリ、エッフェル塔くらいには挨拶しておこうと思い、滞在初日に真っ先に駆けつけた。 塔を下から見上げ、目を凝らすと網のチューブに子供の姿が、、、何とアスレチックの施設があんなところにあるそうだ。   エッフェル塔、1889年、フランス革命100周年と第4回パリ万博を記念して建設された。名称は自ら設計し、建設を請け負ったエッフェル社のトップで、何と総工費の75%も画期的な集金スキームで調達した世紀の天才!!ギュスターブ・エッフェルに由来する。  このエッフェルさん、後に映画の主人公にもなり、多くの逸話も残されているが、なかなかユニークで目立ちたがり屋、且つ可成り我儘な人物だったみたいだ。  先ず竣工式ではエッフェルさん自身が塔の先端迄登り、フランス国旗を掲げ「我、300mの旗竿に国旗を掲げたり!」と叫んだそうだ。またバルコニーの下には、エッフェルさん自身が、独善的に選んだ72人のフランスの偉大な(エッフェル基準?で)科学者の名前を、各面に18人ずつ刻んだ(一番上の写真で確認出来るよ)。  そして何と、塔の最上階にはエッフェルさん自身のプライベートルーム(現在は一般公開されている)迄造ってしまった。来客用のサロンと隣の研究室!晩年彼はこの研究室に籠り、気象観測や空気抵抗の実験に勤しんでいたそうだ。(完全に私物化だよね。でも総工費の75%金策したから権利ありかな?)   そんな、やりたい放題のエッフェルさんに思いを馳せれば、黄昏時のエッフェル塔に上品な灯りが灯る。あれがニューヨーク・パリ間を飛び、初めて大西洋単独無着陸飛行を成功させたチャールズ・リンドバークが見たパリの灯!やっぱりエッフェル塔はパリのランドマーク!「鉄の貴婦人」だ。

四長、パリへ行く‼️(写真編⑥〜オルセーの大時計)

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  オルセー美術館のレストラン。背景にある大きな時計は、美術館が昔、駅であったことを今に伝える。そう言えば、レストランの喧騒も、何処かターミナル駅の待合室のそれに似ている。

四長、パリへ行く‼️ (写真編⑤〜アントワーヌ・ブールデル)

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        ブールデルは生涯45点ものベートーヴェン像を造った。  その理由として色々な説が流布しているが、周囲の人達から「ベートーヴェンの顔とブールデルの顔が似ている」と言われ、本人もそれが満更ではなかったという説が最有力だ。  その為か、ブールデルの造るベートーヴェン!イケメンでチャーミングだ。成程‼️納得です‼️。

四長、パリへ行く‼️(写真編④〜エドゥアール・マネ)

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    大混雑のオルセー美術館ではあったが、この絵の前に遮る人無く、自分にしては上手に撮れた。エドゥアール・マネの『笛を吹く少年』‼️。日本の浮世絵の影響か画面が単純化され、当時の西洋絵画には珍しく背景が無い。因みにNHKの音楽番組によれば、少年の指遣いから吹いている音は「ソ」!、画面から聞こえるみたいだ。

四長、パリへ行く‼️(写真編③〜エトワールの凱旋門)

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  凱旋門は洋の東西を問わず世界各地に存在するが、単に「凱旋門」と言えば、この「エトワールの凱旋門」を指す。  だが、今日の主役はこの門ではない、主役は門の下のアーチ型の空間だ。  1967年公開のフランス映画「冒険者たち」では、映画の前半部でこの空間が大きな役割を演じた。アラン・ドロン扮する主人公の凄腕パイロットが、賞金目当てにこの空間を小型飛行機でくぐり抜けようと企てたからだ(※1)。  (結果は決行日当日、この空間には門からフランス国旗がぶら下げられており、ドロンはこの企てを断念する)  私は当時アラン・ドロンが大好きだった。「太陽がいっぱい」の影のある、それでいて華もある繊細な演技に強く惹かれていた。それ故、この「冒険者たち」への期待も大かった、、、しか期待は虚しく裏切られ、鑑賞後の感想として、残念な思いだけが残った。  何が残念かと言えば、一番はこの映画のタイトル!「冒険者たち」!だ。何が「冒険」だ!「凱旋門くぐり」はもし失敗したら大惨事だ。  フランス人の、パリ市民の誇りである凱旋門を大きく損傷する。門の周囲や広場にいる多く無辜の人々を巻き込み、死傷者だって出る可能性が高い。  当時、純粋?だった私は、これを「冒険」とは言ってはいけない、未踏の山や深海、そして宇宙などを探検する本当の「冒険者たち」に失礼だと思った。こんなのは単なる「無謀な企て」だと、、、  そのとき頭に閃いたことも覚えている。この「冒険者たち」とのタイトルは日本の配給会社が勝手に付けたもので、フランス語の原題名は違うのでは?と、、、  早速調べたが、原題も「Les Aventuriers」と「冒険者たち」だった。納得出来ない気持ちだったが、当時はそれ以上調べる術も無い、そのまま時は流れていった、、、  ところが、今回渡仏前、ある事実を知った。この映画「冒険者たち」には原作の本があり、本のタイトルは「生き残った者の掟(原作者ジョゼ・ジョヴァンニ(※2)」だと、、、  そうか「生き残った者の掟」か?映画のタイトルとしても「冒険者たち」より遥かにしっくりくる。何十年ぶりにスッキリした。  改めて、門の下の空間を見つめる。大きなそして何とも魅力的な空間だ。くぐりたい気持ちも十分に分かる。 でも飛行機でくぐるのはダメだ!普通、門は冒険しないで歩いてくぐるものだ! (※1)1919年、第一次世界大...

四長、パリへ行く‼️(写真編②〜ダリュ階段)

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  「 サモトラケのニケ」が鎮座するルーブ美術館「ダリュ階段」の踊り場である。  この「ダリュ階段」!、現在もルーブル美術館で最も美しい階段と呼ばれているが、その歴史は古い。  19世紀の初頭にルーブル宮に誕生する。その後も多くの名建築家たちにより改修が重ねられ、現在に至っている。一体どれだけの数の人が、「ニケ」を見上げ心昂らせて、この階段を昇って行ったのだろう?  一方、この階段を降りて来て、世界のファンを一気に魅了、心をしっかり掴んだ銀幕のスターもいた。オードリー・ヘップバーンだ。  ローマの休日の4年後に封切られた映画「パリの恋人」で、彼女はジバンシィのドレスを身に付け、「ニケ」のポーズを真似て、ゆっくりと階段を降りて来た。正に女神降臨!である。  彼女がフレッド・アステアと共演したこの「パリの恋人」は、彼女にとって初のミュージカル映画だった(※)。  歌もダンスも吹き替え無しで挑戦している。特にダンスはアステアも顔負けのキレキレ!元々バレリーナ志望であったオードリー!封印してきたミュージカル女優としての才能を思い切り解き放った。  映画は「凱旋門!」「シャンゼリゼ!」「オペラ座!」「エッフェル塔!」とパリの名所を余すとこ無く巡る。彼女は終始ご機嫌で、開放感・充実感・幸福感に満ちているような演技だった。  きっと、あの映画撮影の後、もし記者会見があったなら、記者の質問に彼女はこう答えたに違いない。 「勿論、ローマは大好き!これは変わらない。でもパリも好き、、、大好き!」と、、、 (※)当時、ハリウッドで最も売れて多忙なオードリー・ヘップバーンだったが、「パリの恋人」はダンスの天才フレッド・アステアと踊れるということと、撮影が大好きなパリで行われることで、大喜びで出演を受諾したという。

四長、パリへ行く‼️(写真編①〜セーヌ川左岸)

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 サン・ミシェル橋より、セーヌ川左岸を望む。  目を凝らすと、河岸の遊歩道を散歩する人もちらほら見える。このところパリは、曇天続きで、皆んな寒そうだ。  セーヌ川は水質改善が進み、昨年8月のパリ・オリンピックでは、遂にトライアスロン競技の開催会場となった。  この寒さと河岸近くの濃い黒緑色で透明度ゼロの水の流れを見ると少し信じがたい。結構無理をしたのではと勘繰ってしまう。  むしろオリンピックの一年前にNetflixで配信された「セーヌ川の水面の下に」の方が、今の私にはリアルに感じられる。    セーヌ川の奥深くには、巨大人喰いサメが棲んでいるという話だ。  今、背筋がゾクッとしたのは寒さの所為だけではない、、、ほら、其処其処!遊覧船の左手!大きな黒い影が浮上したの見えなかった?

「四長、パリへ行く‼️」(番外編)エドガー・ドガ〜貴方は生まれるのが少し早かったかも⁉️

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  オルセー美術館、エドガー・ドガのコーナー、中央に置かれたガラスケースの中のブロンズ像「14歳の小さな踊り子」である。  ドガが生前に唯一発表した彫刻作品、ブロンズ像にバレエ衣装のコルセットとチュチュを着せた異色作である。  私は以前、日本でこの像を見たことがある。正確な展覧会の名称は記憶の彼方であるが、恐らくは印象派展か、ドガ展だったのであろう。  何れにせよ久しぶりの再会である。再会⁉️、でも、この像は世界にオリジナル1体の他28体あるので、日本で見たのは他の美術館所蔵の像の可能性も高い。  しかし、このとき、何か、この像から語り掛けられたような不思議な感覚があった。「お久しぶり!貴方が日本で見たのは、スバリこの私よ。このオルセーの私!」って、、、  そして、 少しオカルトチックな話 で恥ずかしいが、更にこの像!私に話かけたのだ。こんな風に、、、「お久しぶりは良いけど、貴方の中の私の印象!前とはスッカリ変わったでしょう?」って、、、  私もびっくりだ。図星を突かれた。私の中で、彼女の見方、印象が、再会の瞬間に大きく変わったのは事実だ。思ったのだ!「 何かこれでこの像の本質が理解出来たぞ! 」って、、、大変生意気だけどそう思ったのだ。 「バレエのレッスン」オルセー美術館   エドガー・ドガ!今更説明するまでもない、フランスの印象派の画家、とにかくオペラ座(※1)の踊り子(バレエダンサー)が大好きで、数え切れないくらい踊り子の絵を描いた。そしてその作品がまた高く評価された画家である。  踊り子の絵といっても、ドガのそれは公演の舞台で、優雅に踊る踊り子を正面から描いたものではない。  大半が稽古中の踊り子!舞台袖の踊り子!楽屋の踊り子!たちで、中には添付の写真のように背中が痒くなって、思わずポリポリと背中を掻いてしまう隙だらけの踊り子も登場した。かなりマニアックに、踊り子の生態を描いた画家なのだ。  でも、パリの人たちは、そんなドガの踊り子の作品群に喝采を贈った。何しろオペラ座は、庶民にとっては高嶺の花だ。  況してや楽屋裏の踊り子の生態なんて、庶民からは全く伺い知ることは不可能だ。そんな世界をドガは絵に描いて見せてくれるのだから、、、  でも、ドガはちょっとやり過ぎたみたいだ。この踊り子の像を、ドガは自らの初彫刻作品として展覧会に出品してしまったのだ。  皆んな...