《写真短歌・俳句》四長、上野毛で西方浄土を体験する。(五島美術館・2)


  昨日に続き、世田谷区上野毛の五島美術館の庭園である。江戸時代享保年間に彫られた石仏が、晩秋の落陽を真正面から浴び気持ち良さそうに眠っていた。(今にも頬を支える右腕が外れてカクッとしそうだ。)

 美術館の創設者・五島慶太は、NHKの朝ドラ「らんまん」にも相島の名で登場していた鉄道王である。東急電鉄の事実上の創業者で、彼が社長を務めた会社名を列記するだけでも、彼が鉄道王と言われる由来が分かる。こんな感じだ。「目黒蒲田電鉄=東急目蒲線」「池上電気鉄道=東急池上線」「東京横浜電鉄=東急東横線」「玉川電気鉄道=東急玉川線」「京浜電気鉄道=京急電鉄」「小田急電鉄=小田急電鉄」等々だ。数々の競合の鉄道会社をM&Aを駆使して買収していった。その手法はときに強引で、「強盗慶太」の異名を取った。

 そんな「強盗慶太」が美術館を創設する。それがこの「五島美術館」である。「五島美術館」の「五島」は勿論自らの名前であるが、創設時の1949年、五島慶太の命でこの美術館に出資した元「大東急グループ」の東急・京王・小田急・京急と東急百貨店の五社を指しているとも言われる。お陰で美術館の財務は盤石だ。「五島慶太」、自ら築いた大東急の儲けの幾許かを、末永く社会還元することに見事成功した。

 「五島慶太」は、展示館の裏手に庭園も造る。庭園は展示館の裏手にあり、多摩川沿いの段丘(恐らくハケ)の高低差を最大限生かしている。散策路の彼方此方に「大日如来」や「六地蔵」など、「五島慶太」の事業拡大に伴い、引き取ることになった各地の石仏が配置されている。

  そして、私はこの庭園に若い頃何度か訪れたことがあるが、そのときは全く気が付くこと出来なかったことがある。それはこの庭(段丘の斜面)は完全に西向きだということだ。従って斜面に配置された石仏たちも、多くは顔を西向きにして配されている。それ故、落陽の時間には、彼らの面差しに光がスポットライトのように当たる。まるで西方浄土(極楽浄土)の光が降り注ぐみたいだ。すると、石仏たちは表情を変える。口角を微かに上げる。西方浄土からの導きに応える様に、、、

 「強盗慶太」とまで言われた辣腕の経営者「五島慶太」。しかし、彼とて人間だ。最晩年は自らの終わりのときを考えたに違いない。この庭を散策し、この光景に接し、自らの最後の瞬間は、西方浄土の光に包まれて逝きたいと思っただろう、、、いや、いや彼はやっぱり普通の人間ではない。もっと主体的だ。彼が彼自身が、この庭をそのように設計・演出したんだ。この庭だけは、社会還元は考えず、自らの最後のために造ったんだ。きっと、、、

  五島美術館へ行くなら、秋のよく晴れた日の夕方がお勧めだ。極上の西方浄土体験が貴方を待っている。



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