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「四長の紐育旅日記」(12)モルガン図書館&美術館〜J・P・M、神になりたかった男の話⁉️

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  「モルガン図書館&美術館」!数え切れない再編劇が続く米国金融界で、今尚、その名を残すJPモルガンの創始者(正確には二代目)、ジョン・ピアポンド・モルガン(以下J・P・M)の稀覯本を中心としたコレクションが収められている。1924年、彼の息子がJ・P・Mの邸宅と個人図書館をミュージアムとして改装し公開した。  J・P・Mの辣腕ぶりは、現在の金融界でも神話の如く語り継がれている。  盟友とも言えるアンドリュー・カーネギー( リンク )やヘンリー・クレイ・フリック( リンク )とタッグを組みやり遂げた鉄鋼業界の統一(USスチールの誕生)や、19世紀末〜20世紀初頭、米国を何度も襲った金融恐慌をJ・P・Mが中央銀行の役割(日本の日銀➕財務省)を演じ、米国経済の窮地を救ったことなど枚挙のいとまも無い。 旧邸宅&図書館のエントランス・ホール   そんなJ・P・M!美術コレクターとしても世界中に名を馳せた。  しかし、あるときから古代のレリーフ、木彫、ルネッサンス期の油彩などは、メトロポリタン美術館へ、ジュエリーコレクションはアメリカ自然史美術館へいとも気前良く寄贈してしまう。  手元には、「稀覯本」(作家のオリジナル楽譜や原稿や下書きや手紙等を含む)だけを残した。そしてそれらを収納する図書館を邸宅の敷地内に建設した。  ニューヨークに来る前、凡人の私には彼の選択が理解出来なかった。何故、油彩や宝石を手放し、残したのが本なのか?私なら、油彩や宝石を残したい。その方が家族と楽しめ、仲間に自慢できるではないか、、、 天井に近い半円形の部分にあしらわれている様々な人物像は、詩歌や科学など学問のジャンルを擬人化したもの   でも、此処にくれば彼の選択が理解できる。この壮麗な美の殿堂の様な図書館で、 天井まで届く書棚を埋め尽くす稀覯本に囲まれた空間に身を置けば、、、凡人代表の私が言うのも恐縮だが、「J・P・Mは 全知全能 (彼の場合は 全能全知 か? )の神になりたかった」のだと、、、  「稀覯本」!(なかなかこれを読める人はいない、「キコウボン」)、「覯(コウ)」は出逢う、巡り合うの意で、「稀覯本」とは「出逢うことが叶わない本」である。  既に国をも救える力、何事も成し得る力、「 全能」 を持つと言われたJ・P・M!彼にとって世界中から「稀覯本」を蒐集することは、そんなに難しいことで...

「四長の紐育旅日記」(写真編⑦〜ニューヨーク近代美術館(MoMA)❷〜分断の縮図)

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 2026年5月31日午後2時のニューヨーク、MoMAの4階のカフェからの写真だ。   写真からは、全く伝わらないだろうが、カフェにいる私、実は大音響に包まれている。写真の左下から、中央に向かって走る道には、デモ隊のびっしりと車が並んでいる。(街路樹の陰から白い車の屋根がチラチラ見えている)  スピーカーから英語のシュプレヒコールが喧しい。イスラエルの国旗が棚引いているところから考えれば、ニューヨーク在住のユダヤ人のデモだろう。  この瞬間忘れていたが、少し考えれば分かる。現在、アメリカはイスラエルとともにイランと交戦中(※1)だ。戦争の当事国だ。ニューヨーク在住のユダヤ人たちが、アメリカの同盟国でもあるイスラエル支援のデモを実行しているのも、ある意味当然のことだなと納得した。  呑気な旅行者である日本人が、交戦中の国でこうしたデモを喧しいなんて言ってはいけないと少し反省もした、、、  でも、翌朝、ガイドさんからデモの正体を聞いて驚いた。昨日のデモは、ニューヨーク在住のユダヤ人の『反ネタニヤフのデモ』だったと、、、さすが、人種の坩堝、 政治的分断 のメッカでもあるニューヨーク(※2)!複雑怪奇だ。  日本のデモは、ある意味シンプルだ。時の内閣支持(辞めるな石破とか)か、不支持(アベ内閣打倒とか)か、増税反対(増税賛成デモはないが)とか、基本、政策イシューに関するものが大半だ。(それも、ここ50年激しいデモは無い?)  しかし、アメリカは違う。 政策イシューの分断 だけに収まらず、それに 宗教的分断、人種的分断 が加わり、構造を二重三重にも複雑にしている。  2024年公開のアメリカの 分断の極限 を描いた映画「シビル・ウォー」が、2、3年後に起きるのではと感じられるくらいなのだ。  旅行中とは言え、日本人が生半可な知識(※3)や情報で行動したら大変な目に会うなと、少し気を引き締めた。  因みに、この日のこのデモは、地図上マンハッタンを見事に南北に 分断 した。デモの南側に居た私たちは、デモの北側のMoMAへ行くのに困難を極めた。  検問の「シビル・ウォー」に出てくる兵士みたいな屈強ポリスに、「お前は何者だ!」と睨まれたが、何とか「MoMA!MoMA!」と連呼して、デモを 横断 させて貰った。 (※1)2026年2月28日、アメリカは同盟国イスラエルとともにイランを攻...

「四長の紐育旅日記」(写真編⑥〜エンパイア・ステート・ビルディング❷〜キングコングの忖度)

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  この写真だけを見て、建物の名前を当てることが出来るならば、貴方は相当なニューヨーク通だ。ヒントは左の道路標識!此処が5番街と東34通りの交差点であることが分かる。答えは『エンパイア・ステート・ビルディング』!ビルの下層部分、土台部分だ。(タイトルでも分かるが、、、)  何事も実際に現地( G )に行ってみて、初めて( H )分かる( W )ことはあるものだが、今回の旅行で私の最大の「 GHW (DAI語です)」の一つは、この写真に写っている。エンパイア・ステート・ビルディングの土台!とにかく土台部分が巨大なのだ。  昔、映画の中でキングコングが、このビルの頂上によじ登り、頂上で尖塔部分にぶら下がり戦闘機と戦った(※1)。コングが外壁や尖塔に掴まるため、一部の装飾に損傷を生じた。しかし、ビルそのものは、倒壊したり、大きく破壊されることは無かった。  ウソだろう?あの重量がビルにのしかかり、ぶら下がるのだ。「ちょっと、キングコング!『エンパイア・ステート・ビルディング』に忖度しすぎだろう?」と思った。 (だって、ゴジラやシンゴジラと言ったら、国会議事堂!東京タワー!レインボーブリッジ!といった公共の建造物だけでなく、銀座の和光!など私有の建造物も、何の忖度もなく気持ち良く(想像だが)、破壊するじゃないか?)  でも、今回の訪問の事前勉強で、『エンパイア・ステート・ビルディング』に航空機と接触する過去があることを知った。1945年、濃霧の中、米国陸軍のB25爆撃機が、79階部分に衝突!機体がビル内に突っ込んだのだ。  火災が発生し、80階部分に延焼したが、40分後に消火された。建物自体の損害は比較的少なく、2日後には営業を再開したと言う(※2)。  建築工学の知識はゼロの私だが、これも、やっぱり巨大でいかにも堅牢そうなこの土台があったればこそではないかと思う。  『エンパイア・ステート・ビルディング』、今では、高さは世界各国の高層ビルに大きく劣後する。  しかし、この土台部分も含めた容積!総質量では、まだまだトップクラスのようだ。鉛筆みたいで、風が吹けば折れそうな昨今の高層ビルとは、鍛え方(イヤ、土台)が違うのだ、、、   そうか!キングコングが忖度した訳じゃなかっ たんだ!  ニューヨーカーが創った「20世紀のバベルの塔」は土台が凄い!ちょっとやそっとじゃ崩れないぜ...

「四長の紐育旅日記」(写真編⑤〜エンパイア・ステート・ビルディング❶〜摩天楼の谷間で)

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 マンハッタンの五番街、「摩天楼」の谷間に燦然と輝き聳える「エンパイア・ステート・ビルディング」!「エンパイア・ステート」とは「帝国の州」、ニューヨーク州の別称である。正にニューヨークの象徴、「摩天楼」の象徴だ。  小学生のとき、国語か社会科か、ノートにこのビルの写真が載っていた。簡単な説明も付いていて、まず「エンパイア・ステート」という名前がカッコイイ!と、必死でその名を暗記した。  そして102 階建てと知ってビックリ!、当時私の地元名古屋には10階建て未満の建物しか無く、2桁上かよ!と、ここは少し悔しい思いもした。そしてこのとき「摩天楼」って言葉を知った。  「摩天楼」!「天を摩(こ)する楼(建物)」、英語の「skyscraper」→「空をこするもの」「空を引っ掻くもの」の日本語訳として明治時代に定着した。  直訳と言えば直訳だが、「摩天楼」!何やら響きが妖しげで美しく、漢語や漢詩を日常的に嗜んだ明治の日本人の教養が滲み出ている。実に秀逸な訳語だと思う。  その「摩天楼」とは全然違う話で恐縮だが、私はNHKの「魔改造の夜」と言う番組(※)が、好きというか、大好きだ。  「魔改造」とは正に「悪魔的な改造」で、番組内でも何故か悪魔が降臨する。数えてみれば毎回最低6回は、渋い声のアナウンサーが「悪魔の降臨です!」と言う意味不明の決め台詞をキメる。その都度、私はゾクゾクする。それくらい好きなのだ。  そんな「 魔 改造」好きが講じたのか、あるとき私は「 摩 天楼」と書くつもりで、「 魔 天楼」と書いてしまった。しばらく気が付かなかったが、少しして流石に自分で気が付き、笑いながら訂正した。   そうだ!「摩天楼」にキングコングは昇るが、悪魔は降りない。 (※)NHKで、不定期に放送されている技術開発エンタメ番組。「トースター高跳び」とか「扇風機50m走」とか、日本の一流エンジニアたちが、日用家電や玩具の改造スペックを競う。クライマックスは実況アナの矢野武が「悪魔の降臨です」と決め台詞をキメるシーン。  普通「降臨」とは、神とか仏とか尊貴の対象が人間界に現れることを意味し、悪魔は「降臨」しないはずだ。しかし、最近は人気歌手も「降臨」するみたいなので、日本語に厳格なNHKも気にしていないようだ。

「四長の紐育旅日記」(11)フローンシス・ターバン〜ジョージ・ワシントン!貴方は私の恩人だ⁉️

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「フローンシス・ターバン(酒場)」、独立戦争の終結した1783年、イギリス軍撤退の後、凱旋してきた独立軍最高司令官・ワシントン(後のアメリカ合衆国初代大統領ジュージ・ワシントン)が、この酒場で兵士たちと別れの宴をはった。 酒場の壁に掛けられた別れの宴を描いた絵画  ニューヨークには、ワシントン所縁の場所が大変多い。日本にいるとワシントンと言えば、ついつい、ワシントンDCのホワイトハウスで執務しているイメージを抱く(※1)。  しかし、彼の名前を冠したワシントンDCが首都となったのは、ワシントンが死んで1年後だった。彼が初代大統領として活躍した時期は、此処・ニューヨークが合衆国の首都だったのだ。それ故、ニューヨークとワシントン!縁が深いのも当然だ。 フェデラル・ホール(アメリカ合衆国議会旧議事堂)のテラスに立つワシントンの像  ニューヨーク証券取引所の写真を撮っていたときも、振り返ると、工事中にもかかわらず、建物の2階にワシントンが現れ、私を「よく来たな」って感じで迎えてくれた。   ところで、ワシントンと私の最初の出会いは、私の幼稚園時代に遡る。私が生まれて初めて読んだ偉人の伝記がワシントンだったのだ。幼心に刻まれたのは、あの有名なくだり、「ワシントンの斧」である。  「庭の桜の木(※1)を斧で切り倒してしまったワシントンが、父親に正直に話したら、かえって褒められた」という話だ。  この「褒められた」ってのがポイントだった。単に叱られなかっただけでなく、「褒められた」ってのは凄い、マイナスがプラスになるんだと、、、 「ワシントンの斧」は、当時5歳の私の心をグッと掴んだ。  以来「三子の魂百まで」とはよく言ったもので、この歳に至るまで私の生活信条は「ワシントンの斧」だ。「失敗や不始末は、やらかしたら直ぐに白状する!」である。  簡単そうだが、これが結構難しい。人も組織もついつい、「直ぐに」ではなく「バレそうになったら」白状するか、「バレたら」白状するになる。「それでいいんじゃねえか?バレないかもしれないぜ」って悪魔が囁くのだ。(経験的には大体バレる)  私だって何度も悪魔の甘い囁きに釣られそうになった。そんなときは心の中で唱えるのだ、、、「ワシントンの斧!」「ワシントンの斧!」「ワシントンの斧!」と3回!、、、それで修羅場を乗り越えて来た。   社会人になってからは、...

「四長の紐育旅日記」(写真編④〜ニューヨーク近代美術館(MoMA)❶〜谷口吉生の作品主義)

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   ニューヨーク近代美術館(MoMA)のカフェからの一枚の写真。  このMoMAの新館を設計したのは、日本人の谷口吉生、豊田市美術館( リンク1 )、長野県信濃美術館・東山魁夷舘( リンク2 )等国内外の多くの美術館を設計し、「美術館建築の名手」と呼ばれた。  パリで安藤忠雄設計の「ブルス・ドゥ・コメルス」( リンク3 )に入ったときも感じたが、海外で日本人建築家設計の有名建物に入ると、どこか包み込まれるようにホッとする。それは恐らく私の意識過剰の所為だが、それだけとも言えない気もする。  やっぱり同じ日本人として勿論誇らしいし、その建物で働いている人たちも、入館者の私たちを館の設計者と同じ日本人と認識して、何処かフレンドリーに接してくれるのも確かだ。  でも、それだけじゃないな?やっぱり日本人建築家の設計には、細部に行き届いた日本人らしい気遣い、奥ゆかしさ、潔癖性、完全主義等々があり、それが日本人を居心地よくしているのでは、、、ってなことを考えた。  そこで少し古いが、ネットで谷口吉生のこのMoMAの国際建築コンペでの勝利コメントでもないか?と調べてみたが、なかなか出てこない。やっと探したのが「建物に芸術作品と人が入って初めて環境が完成する」の一言だ。(世界のMoMAのコンペに勝ってこの一言!)  生前、谷口吉生は自身の建築には多くを語らず、作品を見て貰う、作品に入って貰うことを優先する「作品主義」を貫いたとのこと、、、やっぱり昔気質、職人気質の日本人だ!寡黙で余分なことは喋らない語らない、高倉健のような奥ゆかしさだ。それが建物に反映し、日本人を心地よくさせるのかもしれない。  

「四長の紐育旅日記」(10)ソロモン・R・グッゲンハイム美術館〜ニューヨークからヴェネティア、ビルバオ、そして夢洲へ⁉️

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 「ソロモン・R・グッゲンハイム(※1)美術館」である。「逆カップケーキ」というあだ名でニューヨーク子に愛されるアートスポット!ニューヨークのアイコン的存在だ。  設計は旧帝国ホテルの設計で日本でもお馴染みのフランク・ロイド・ライト(以下ライト)!彼の遺作と言われたが、彼自身は1959年の美術館完成を見ること無く亡くなった。   2019年に他の彼が設計した作品群とともに、「フランク・ロイド・ライトの20世紀建築作品群」として世界遺産に登録されている。     エントランスロビーに入ると、大きな吹き抜けとトップライトが迎えてくれる。  そして、螺旋状スロープ(スパイラル・ランプ)が上方に伸び、その周りに展示室がある。最初はどうやって展示を観て行くのか?戸惑ったが、直ぐにエレベーターで最上階まで昇り、スパイラル・ランプを降りながら、観て行くのが効率的で、疲れないと気付き、実行した。   実際、実行してみて分かることがあった。外見やエントランスに入ったときの第1印象と違い展示スペースが結構広く確保されているのだ。  設計者のライトが「スパイラル・ランプ」を採用したのは、単にデザイン的に美しく独創的なだけで無く、限られた土地、空間の中で、展示スペースを最大限確保する工夫だったのだ。改めてライトに脱帽・感心した。   ところで、この「ソロモン・R・グッゲンハイム美術館」、収蔵作品としてはカンディンスキーやモディリアーニの名品が有名だが、同じニューヨークの五番街周辺に隣接するMETやMoMAやフリック・コレクションと比較すれば、残念ながら質量ともに劣後する。  それでいて此処がニューヨークのアートシーンのアイコンであり続けているのは、このキャッチーな世界遺産の器と、その器の展示スペースを生かした現代アートのイベントを発信し続ける企画力の賜物だろう。今や「グッゲンハイム」は現代アート界に於けるトップ・ブランドになった。   そして、「グッゲンハイム美術館」を運営している「グッゲンハイム財団」、ニューヨークの他の美術館の運営財団と大きく異なる点がる。「グッゲンハイム財団」!積極的に世界の他の地域へ、「グッゲンハイムブランド」の拡大戦略を展開しているのだ。  現在、「グッゲンハイム財団」は、このニューヨークの他に、イタリアのヴェネティアの「ペギー・グッゲンハイム(※2)・コレクショ...