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「四長の紐育旅日記」(4)ブロードウェイ〜ニューヨークでシカゴを観た⁉️

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  ブロードウェイ・ミュージカルの「シカゴ」である。私は「ミュージカル」が苦手だ。舞台も映画も日本では、大のミュージカル好きの家人のお付き合いで、この歳迄数回観ただけだ。  そもそも、登場人物が台詞の途中から、突然歌い出すのが理解出来ないと、身も蓋もないことを口走り、ミュージカルファンの方々の顰蹙を買ったこと、、、一度や二度ではない。  そんな私であったが、ニューヨークへ行くとなれば、少し考えも変わる。死ぬ前にブロードウェイ・ミュージカルを一回観ておいても良いかな、、、観ておくべきだな、、、イヤ、観ておかないときっと後悔すると変遷し、、、絶賛ロングラン中の「シカゴ」を観に行った。   ミュージカル「シカゴ」は。1920年代、禁酒法時代、ジャズ全盛期のイリノイ州シカゴを舞台にしている。  殺人を犯したナイトクラブの歌姫とコーラスガールの二人の女性が、如何にして世間の注目を喚起し、最後は裁判で無罪を勝ち取るまでを、ドラマチックに描いた物語、そう裁判ドラマだ。  事前勉強で粗筋を知った私だが、最初に疑問に思ったのは、何故?舞台が「シカゴ」なのか?ということだった。ブロードウェイでやるなら地元「ニューヨーク」の方が受けるのではと、、、でも「シカゴ」というところが最大のポイントだった、、、それには米国の裁判ドラマならではの理由があったのだ。 ブロードウェイ   米国の裁判制度の最大の特徴と言えば陪審員制度!日本の裁判員制度とは違い、判決に裁判官は関与せず。完全に陪審員だけの評決で決まる。  そして実際の陪審員制度の運営と言えば、それは州ごとに委ねられ、陪審員の構成等々も各州法で大きく異っていた。物語の舞台となった1920年代の中頃は、「シカゴ」のあるイリノイ州は、何と「陪審員が白人男性だけで構成され、女性の殺人犯にとって、有利な判決を勝ち取れる州」と言われていたのだ。  それ故、白人男性に受ける様々な法廷テクニックを駆使する弁護士や、扇情的な見出しや記事で、「シカゴ」市民を煽り、判決の行方を左右する裁判コラムニストも存在した。  当時の「シカゴ」では、「男性が殺人を犯せば死刑、女性の場合はかなりの確率で無罪」とまで言われ、実際、殺人事件の女性被告が魅力的であればあるほど、裁判所が!「シカゴ」の街全体が!劇場化して行った。 ブロードウェイ   ショーが始まる前までは、そんな裁判...

「四長の紐育旅日記」(3)ニューヨーク証券取引所〜「FearIess Girl(恐れを知らぬ少女)」にヨロシク⁉️

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    ニューヨーク市マンハッタンのウォール街にあるニューヨーク証券取引所である。私はほぼほぼ毎日、この建物の映像を見ている。  朝はこの建物を背景にして流れるTVテロップの「ダウ平均」、「ナスダック」、「S&P」、のニューヨーク市場の株式3 指数の前日の結果を確認する。夜も就寝前に3 指数の先物や、始まったばかりの現物指数を確認しているからだ。  今回の旅では、当初の予定に入っていなかったが、何処かで調整して、何とかこの建物の実物を見たいと思っていた。そして、この建物の前まで行くことが出来たら、もう一つ私には絶対に見ておきたいものがあった。 ウォール街の名前の由来=ニューヨークがニューアムステルダムと呼ばれた頃、オランダ人が築いた城壁に沿った道   下の写真は 「チャージング・ブル」 、ウォール街近くのボウリング・グリーンに設置された巨大な雄牛(ブル)のブロンズ像である。 (以前は証券取引所の前に設置されていたが、 ある事情 で此処に移動してきた)  頭を低く下げ、今にも突き上げる(チャージ)体勢を取っている。この体勢が、株価を突き上げる(上昇させる)との連想、願望に繋がるとされ大変な人気を博している。  また、ブルの体に触れれば、その人にも経済的なご利益もあるとされ、世界中から人が集まっている。この日も長蛇の列が出来ていたが、ご利益を得るためには相当な時間がかかるようだ。  私も経済的ご利益については目がない方だ。気になる。でも、この日の私のお目当ては他にあるので先を急ぐ、ブルの顔辺りをナデナデする人を横目に行き過ぎた。 (ご利益を得るためには直接的な接触が必須であり、写真を撮っただけではご利益は貰えないとのことだ、、、残念!後ろ髪は思い切り引かれている)   さて、証券取引所の前まで来ると、一人の少女像が立っている。この日のお目当て!私が絶対に見たいと思っていたブロンズ像 「Fearless Girl(恐れを知らぬ少女)」 !だ。  腰に手を当て、ピンと胸を張り、証券取引所を敢然と睨みつけている。身長127cm!体重110kg!一瞬、えっそんな重いのって思ったが、ブロンズの塊だから納得だ。  2017年国際女性デーに合わせて制作・設置されたと言う。企業経営陣の女性比率向上などメッセージを含んでいるそうだ。  そしてこの少女像設置のインパクトは凄...

「四長の紐育旅日記」(写真編③〜カーネギーホール❷)

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  前回( 「四長の紐育旅日記」(写真編②) )に続き、カーネギーホールの話だ。  実は私、カーネギーホールの創立者アンドリュー・カーネギーさんには、苦い記憶、失敗談がある。  その失敗とは、ズバリ!これだ。私はこの「アンドリュー・カーネギー(1835〜1919)(以下アンドリュー)」と「デール・カーネギー(1888〜1955)(以下デール)」を完全に混同していたのだ。 「鉄鋼王」のアンドリューについては前回( 「四長の紐育旅日記」(写真編②) )で詳しく書いた。一方、デールは、米国の教師で作家、そして何よりも自己啓発スキルの開発者。1936年出版の「人を動かす(※)」は、日本国内でも500万部売れたベストセラーだ。  私はその「人を動かす」を、「鉄鋼王」アンドリューの著書だと思い込んでいたのだ。そして思い込んでいただけなら良かったが、あろうことか多くの人にそう説明していたのだ。  当時、私は保険会社の人事部にいたので、管理職研修等で「鉄鋼王・カーネギー曰く、人を動かす基本3原則は、①批判しない②誠実な評価を与える③相手の立場に立つの3つだ。さすが鉄鋼王!成功する人は人を大切にする」ってな感じで得意げに話していた。  アンドリューは単なる企業家ではなく、大篤志家そして特に著述家でもあることも知っていたので、全く違和感なく話していた。(「人を動かす」って如何にも「鉄鋼王」が書きそうだと思いません?)  今、思い出しても顔から火の出る思いだ、、、恥ずかしい。浅学非才を恥じる。  でも、その間違いに気付いて少し経った頃、本件について少しは慰められる事実を知った。  アンドリューとデール、本当は全く親族関係は無かったが、デールは、若い頃からアンドリューをかなり意識したようだ。  そして、何と米国で最も尊敬される成功者・企業家であるアンドリューと、自分が遠縁であるかのように、聴衆が勝手に思うように、自らの姓の綴りをCarnegeyからアンドリューのCarnegieに変えてしまったのだ。  (そうか、それなら私が間違えるのも仕方ないな。(全然仕方なくないが、、、)私は安堵し、苦い記憶は消去することにした。)  因みにデールはこのカーネギーホールが大好きだったと言う話だ。  クラシックファンであったデール、全米を自己啓発の講演旅行で忙しく巡る日々、時間を見つけてはこのホー...

「四長の紐育旅日記」(写真編②〜カーネギーホール ❶)

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   カーネギーホールである。ニューヨーク市マンハッタン区ミッドタウンのランドマークであり、昔からクラシック、ポピュラー、音楽のジャンルを問わず有名コンサートが開催される正に「音楽の殿堂」である。  特にクラシック音楽の世界に於いては、このホールで世界初演されることが、作品にも作者にも高いステータスを与えた(※1)。  創設者は、ホールに名を残すアンドリュー・カーネギー!「鉄鋼王」と呼ばれた大実業家だ。慈善家・篤志家としても超一流で、世界各国に彼の名前を冠したコンサートホール、図書館、大学等教育機関がある。  そして「鉄鋼王」としての彼の最終到達点、最大の功績は、晩年、「USスチール」を誕生させたことだと言われている。  盟友であった米国金融界の最重要人物ジョン・モルガンの支援を得て、自らのカーネギー製鉄と他の製鉄会社を合併させ、ほぼほぼ米国の鉄鋼業界を統一した。  「鉄は国家なり」を体現する会社であり、二度の大戦に米国が勝利したのも、「USスチール」の存在があればこそと言われている。  その「USスチール」!、何と!昨年、2025年からは日本の日本製鉄グループの完全子会社だ。バイデン、トランプ両大統領を巻き込んだ非常に難産の買収劇あと、日本製鉄は遂に「USスチール」の子会社化に成功した。  バブル時代の1989年、三菱地所が同じマンハッタンのロックフェラーセンターを買収したことがあった(※2)。  「日本は米国人の心まで買収するのか?」と、当時、日本はニューヨーク市民の大顰蹙を買った。その時は私も少しやりすぎたな?と思った。しかし、一方で戦後の焼け跡から、日本も此処まで来たか、マンハッタンの大地主だと、少し良い気分になったのも否定しない。  でも、その日から35年以上!そんな景気の良い話を最近はもうついぞ聞かない。為替のレートの円の価値は、その時と比べれば今は半分くらいだろう。日米の経済力の差は、途轍も無く拡がった。  そんな中だ。「日本製鉄よ!よくやった!」正直そう思った。何か気分が良い。日本人として誇らしい。恐らく、もうホールとUSスチールとの関係は希薄であろうが、今、ホールの前に佇めば、カーネギーホールにも俄然親近感が湧く。(※3)  予測不可能なトランプ大統領!だ。日本製鉄にとって、この先も苦難の道が続くだろう。でも何とか、当初計画通り、日本製鉄の...

「四長の紐育旅日記」(写真編①〜ラジオシティ・ミュージックホール)

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 「ラジオシティ・ミュジックホール」である。マンハッタン区のロックフェラーセンタービルの隣にある劇場である。  毎年4月にはAFLのドラフト会議、6月にはトニー賞の授賞式が行われる。その他エミー賞の一部やMTVアワード等々、世界中の関心を集めるイベントが行われることで有名だ。(日本の宝塚歌劇団も此処で公演したことがある)  でも、私の個人的関心は別にある。写真の下部中央にある金色のドア!にある。此処は私の聖地なのだ。  映画「ゴッドファーザー」の中で、前半重要シーンが此処で撮影された。  粉雪が舞うクリスマスイブ、ドン・ヴィトー・コルレオーネ(マーロン・ブランド(※1))の3男マイケル(アル・パシーノ)が、恋人のケイ(ダイアン・キートン)と、この金色のドアから出てくる。家族へのクリスマスプレゼントを抱え、ケイが今、観た映画(※2)の感想を楽しげにマイケルに話しているシーンだ。  正に恋人同士の幸せなイブ!それが次の瞬間、暗転する。ケイの顔色が変わる。ラジオシティの脇の歩道の新聞販売スタンドに、「コルネオーネ暗殺か?」「暗黒街のボスが銃撃される!」の見出しが踊っていたのだ。  此処から物語は大きく動く、マイケルが二代目のドン!ゴッドファーザーへの道を歩き出す。あんなに嫌っていた家業を継ぐことになる。ヴィトー・コルレオーネの三男のマイケルに託していた夢、彼には知事や上院議員そして米国大統領になって欲しいと思っていた夢が儚くも途絶えるのだ、、、何度も何度も見たが、私はこの場面まで来ると、一気に緊張感が昂まる。  聖地のパワーは凄い。これまで偉そうに書いて来たが、実は私、ラジオシティを目指して来た訳ではない。ロックフェラーセンタービルの屋上にある展望台「トップ・オブ・ザ・ロック」を目指して来たのだ。  恥ずかしながら、ラジオシティがこの場所にあることすら知らなかった。言わばたまたま通り掛り聖地に遭遇したのだ。そんな私に聖地は、此処まで語らせるのである。   結果的に聖地巡礼!パワースポットは侮れない。 (※1)参照・リンク→ 「四長の紐育旅日記」(2) (※2)因みに、二人が観た映画とは?ケイのセリフ「私が尼僧だったら、、、」から推定される。オードリー・ヘップバーンの「尼僧物語」だと思う。時代はオードリーの全盛期、彼女の主演作は軒並み大ヒット、この「尼僧物語」もワー...

「四長の紐育旅日記」(2)エリス島〜ヴィトー・コルレオーネが見た景色

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エリス島の船着場から見た移民入国管理所跡   ニューヨーク湾、自由の女神があるリバティ島とマンハッタン島の間に浮かぶ島、エリス島である。   前回のブログ( 「四長の紐育旅日記(1) )で、遥か大西洋の海原を越え、自由の女神に迎えられマンハッタン島に上陸した移民たちの話を書いた。  その上陸コースが1892年から少しだけ変わった。訪れる移民の数が急激に増加するのに対応するため、移民たちは自由の女神を見た後、上陸前に新しく設けられた此処・エリス島の移民入国管理所を経由することになったのだ。  私の大好きな映画、フランシス・F・コッポラ監督の「ゴッドファーザーPARTⅡ」(1974年)の中にも、その当時のエリス島を描いた名シーンがある。  ひとりシチリア島を逃れたヴィトー・コルネオーネ少年(推定年齢7、8歳)が、移民船でニューヨーク湾まで辿り着く。だが、エリス島の入国管理所で天然痘が発覚し、島の収容施設で3ヶ月収容されることになる。収容所の殺風景な個室の曇りガラスからは、自由の女神が、ぼんやりと見えるというシーンだ。 移民収容施設と自由の女神   入国審査や健康診断の間は、一言も発しなかった少年が、自分以外誰もいない部屋に入ると、椅子に腰掛け、小さな声(でも、美しいボーイ・ソプラノ)で口遊む、故郷シチリアの歌を、、、窓から見える自由の女神に向かって語り掛ける様に、、、 (今、このブログを書いている瞬間も、配信でそのシーンを視聴しているが、私はこのシーンになると、パブロフの犬のような条件反射で、胸が熱くなり、涙腺が緩む)  唯、このボーイソプラノの少年!この後成長し、同郷の仲間の絶対的信頼を得る青年になる。組織で頭角を表し、洞察力、交渉力、人心掌握力に優れたリーダー(※1)になる。但し、その組織は犯罪組織!マフィアだ!  ニューヨーク5大ファミリーの一つ!コルレオーネ・ファミリーのドンとなり、ゴッドファーザーと呼ばれるようになる。  そんな未来を、少年はそのとき少しでも想像したのだろうか?自由の女神にどんなアメリカンドリームを語っていたのだろうか?  何しろボーイソプラノ少年からマフィアのドン(そうロバート・デニーロとマーロン・ブランド)になってしまうのだ。  自由の女神(アメリカという国)が、少年に与えた自由と試練は、複雑で過酷で劇的であったことは容易に想像出来る。でも...

「四長の紐育旅日記」(1)自由の女神〜君はニューヨークを見たか⁉️

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  「君はニューヨークを見たか?」 、それは若いときから、私の頭の中で何度も繰り返された問いかけだ。  私たちにとって、映画でも小説でも音楽シーンでもニューヨークの街はとても身近な存在だ。そして、私たちが世界の経済動向や社会情勢等、情報として得ているものの多くは、この街を経由して日本に伝えられる。 なのに、私はニューヨークを知らない。   私には現役の金融マンであった頃から、20年間続いた朝のルーティンがある。テレビ東京の経済番組「モーニング・サテライト」を視ることだ。  この番組ではCMに変わるときにセントラルパークの映像が流されている、、、秋、紅葉で色づく公園!冬、一面真っ白な雪に覆われる公園!ほぼほぼリアルタイムで日常的に、私はニューヨークの街の四季を感じている。 なのに、私はニューヨークへ行ったことがない。  「君にとってそんな身近な、思い入れのある存在のニューヨーク!なのに、君は未だ行っていないのか?」「実際にその目で見なくて良いのか?」私の頭の中の問いかけ趣旨は、そんなところにあっただろう、、、  結構しつこい問いかけだった。でも「そのうち行くさ」と、ずーっと先送りしてきた。しかし、もう先送りは限界だ。これ以上先に延ばせば、一生行けないまま終わる、、遂に私は今回のニューヨーク行きを決断した。 リバティー島からマンハッタン島のダウンタウンを臨む。  今回ニューヨークへは、勿論飛行機で行った。深夜に「ジョン・F・ケネディ空港」に降り立ち、バスで市内に入る。ごく当たり前の行き方だ。  でも、何かもの足りなさが残る。実は私、船でニューヨーク入りしたかったのだ。  ニューヨークは北米大西洋側きっての良港を持つ海の街だ。そしてその良港に世界中から夢を求めて移民たちが殺到した。  そんな この国の歴史をかたち造った移民たちの様に、大西洋を越えて、ニューヨーク湾に入る。そして 自由の女神に温かく迎えられ、マンハッタン島に上陸する。 そんな入り方をしたかったのだ。何しろこの街で一番先に出逢うランドマークは自由の女神であって欲しかったのだ。(私は形から入りたい人だ)  でも流石に、それは無理だなと思っていたら、良い作戦を思いついた。名付けて「自由の女神に温かく迎えられてマンハッタン上陸大作戦!(少し長い)」だ。 バッテリーパークの遊覧船の桟橋から、遠く小さい自由の女神が見え...