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四長、パリへ行く‼️(5)パリは燃えているか?

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  早朝のパリ、ホテル「プルマン・パリ・モンパルナス」の部屋の窓ガラス越しに撮った写真だ。  パリは高層ビルが少ない。ホテルの東側の窓からは、遮るもの無くパリの街を一望出来る。よく見るとドーム型の建物が二つ見える。左端がパンテオン、中央がサルベトリエール病院だ。  でもこのショットの一番の主役は、何といっても朝焼けだ。見事に空一面を朱色に染めている!燃えている!少し不気味なくらいだ。「 パリは燃えているか? 」そんなフレーズも頭に浮かんだ。  「 パリは燃えているか? 」1966年の米仏の合作映画だ。米国からはカーク・ダグラス、オーソン・ウェルズ、グレン・フォード、仏国からはジャンポール・ベルモンド、アラン・ドロン、イヴ・モンタン等々出演していた。正にオールスターキャストの映画だ。その上監督はルネ・クレマン、脚本はフランシス・コッポラと豪華版だ。 上の写真の五分くらい前、時差とサマータイムで時刻が定かではない。   映画は、第二次世界大戦終盤、既に敗色濃厚のナチス・ドイツ、パリ占領軍司令官のコルティッツにヒトラーから、「撤退する時は、パリのありとあらゆる工場・橋梁・地下水道、そして歴史的建造物に爆弾を敷設して、パリの街を焼き尽くせ!」と命令が下るところから始まる。  最終的にコルティッツはその命令を拒絶し、連合国側に無条件降伏するのだが、それに至るまでの軍事・外交・政治・心理の攻防が凄まじい。それを丁寧に描いていた。今見たら結構興味深い内容だと思うが、如何せん当時は12歳!中学生の私には少し難し過ぎた。   でも、最後のシーンだけは今でも鮮明に記憶している。ドイツ軍のパリ占領司令部内で、打ち捨てられた電話受話器から声が聞こえていた。ヒトラーの声が、、、「パリは燃えているか?」と、、、 同じ窓から、午後4時くらいのショット。   しかしながら、改めて思う。ドイツの司令官がコルティッツで良かったなと、、、コルティッツはヒトラーの命令を実行して、パリを破壊し歴史に汚名を残すことを拒否したのだ。  これがもし、ヒトラーの絶対的なイエスマンだとしたらどうだっただろう。80年後の今、目の前の美しいパリの街並みが、フランスの文化が文明が、全く別のものになっていたかもしれない。 北向きのショット、ビルの谷間から、パリで一番標高が高いモンマルトルの丘が見える。   そんなちょっぴり感...

四長、パリへ行く‼️(4)『サモトラケのニケ』を真似たのは誰れだ⁉️(エピソード1・2)

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  ルーブル美術館の至宝 「サモトラケのニケ」である。ヘレニズム期の大理石彫刻、海戦の勝利を祝う女神「ニケ」が、ギリシアの戦艦の舳先に立っている。17世紀にエーゲ海のサモトラケ島で発見された。 (エピソード1・1979年)   1979年、初めてこの像を見たときの記憶は今でも鮮明だ。当時、美術史に不案内な私ではあったが、流石に「サモトラケのニケ(以下ニケ)」については知っていた。高校の世界史の教科書に載っていたし、試験にも出たからだ。  そして折角ルーブル美術館に行くからには、是非とも見たいと思っていた。理由はミーハー的で今考えると恥ずかしい。  実はこの年1979年!日本は空前のエーゲ海ブームだったのだ! (※1) 。中でもジュディ・オングが歌う「エーゲ海のテーマ〜魅せられて」は超特大ヒット!曲も歌唱も素晴らしかったが、衣装と振り付けが何ともキャッチーで印象的だった。  私は思った「この衣装と振り付けは「ニケ」を意識している、真似ているに違いない」と、、、「これは実際に「ニケ」を見て確認するしかないな」と、、、  そんなこんなで「ニケ」は、私の中ですっかり「ジュディ・オングの彫刻」→「エーゲ海の彫刻」→「海の彫刻」っていう思考回路でイメージが固まって行った。 像は今も昔も「ダリュ階段」の踊り場に鎮座している。絶好のロケーションだ。   しかし、実際にルーブル美術館のダリュ階段をゆっくり昇り、像に近づいて行くと、どこかイメージが違うことが分かった。少なくともジュディ・オングではない、もっと別の何かだった。階段を昇り切り「ニケ」の前に立てば、その違和感の理由がはっきりした。  見上げれば、そこには大きな翼(角度的に正面からは小さく見える)があった。そして翼の向こうに、大きな空すら感じるのだ。  「ニケ」は飛んでいる。悠々と大空を飛んでいる。「ニケ」は「海の彫刻」ではない。同じギリシア神話のイカロスと同じ、飛翔への憧れ・自由の精神を体現する「空の彫刻!」だ。「 FLying Goddess! 」なのだ。1979年の私は確信した。 (※1)その2年前の1977年に芥川賞を受賞した池田満寿夫の「エーゲ海に捧ぐ」が、1979年の4月に映画化され公開された。 そしてその映画のシーン映像を使ったワコールのテレビCMが大量に流れていた。そのCMソングがあの「エーゲ海のテーマ〜魅せら...

四長、パリへ行く‼️(3)サント・シャペル❗️光の聖書の中で佇む。

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 サント・シャペル、パリ中心部シテ島にある教会堂である。後期ゴシック建築の傑作と呼ばれている。  そのゴシック建築の「ゴシック」とは、もともとは蔑称だったそうだ。  ゴシックの前の建築様式「ロマネスク」が「ローマ風の」と言う意味に対して、こちらは「ゴート風の」と言う意味。ローマ帝国へ民族の大移動により侵襲してきたゴート族から来ている。  ローマ人の末裔たちからすれば、粗野で野蛮、洗練されていないものと感じていたのだろう。  でも、東洋人の私から見ると全く違う。ゴシック建築と言えば、兎に角尖ってる、蒼天を突き刺す様に聳え立っている印象。シャープで逆に洗練された印象さえ持っている。(背がやたら高くて鼻も高い西洋人の象徴にも通じる。)  でも、そんなゴシック建築、18世紀になると構造力学的観点から高い評価を受ける。  ひたすらノッポの建造物を目指すため、尖頭アーチ、飛び梁等を駆使し、壁は薄くし、建物の重量を減らした。そうした工夫が、その後の高層建築に貢献し、米国・ニューヨークの摩天楼の工法にも繋がると言う訳だ。  そして、ゴシック建築!窓は大きくとることが、必要(壁を軽くするため)且つ可能になった。そこでその大きな窓を飾るために登場したのがステンドグラス❗️だ。爆発的に普及し、進化した。  もとは初期キリスト教時代、地下に掘られたカタコンベ(お墓)の採光の窓に起源を持つと言われるステンドグラスだが、ゴシック建築と言う最高の相棒を得て、教会を光溢れる空間に一気に変貌させた。  そのゴシック期、多くの有名なステンドグラスが作られた。その中でも視覚的に美しく最高峰と称えられるのが、このサント・シャペルのステンドグラスだ。  サント・シャペルはルイ9世(聖ルイ)に1240年代に建築された。高さ15mの窓には聖書からとった1134もの場面が描かれている。  その日のパリは生憎の曇天であったが、外からは豊かな光りが降り注いでいた。時折、太陽の鋭い光が差し込めば、「これは神の恩寵と」思わず感謝したくなった。正にその時、私は「光の聖書」の中に居たのである。   そうか、この「光の聖書」の中に身を置けば、例え文字は読めないパリの市民たちも、聖書の物語を理解し、奇跡を信じ、従順な神の下僕(しもべ)いることを願ったに違いない。  そして、市民たちはこの美しい空間をこの地に造り、自分たちに特別な...

四長、パリへ行く‼️(2)ルーブル美術館、『ナポレオンの戴冠式』の前で見た悪夢⁉️

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    ルーブル美術館!実に47年振りの訪問である。  当時、社会人になりたての私に強烈な印象を残した作品があった。その作品とは、人気のモナリザでもなく、ミロのビーナスでもサモトラケのニケでもなかった。  それは「ナポレオンの戴冠式」(正式には『1804年12月2日、パリのノートルダム大聖堂での大帝ナポレオン一世の成聖式と皇紀ジョセフィーヌの戴冠式』とやたら長いタイトルだ。)だった。  今回の旅で久し振りにその名画に再会!アートはタイムマシンだ!一気に1979年の感動の記憶が甦った。 ルーブル美術館、特に人気名画の前の混雑は凄まじい。「ナポレオンの戴冠式」の前も勿論だ。1979年当時の比ではない。   当時は、先ず絵の大きさに度肝を抜かれた。縦6.21mx横9.79m!畳33.5畳分の大きさだ。そんな巨大なキャンバスに、世界史の世紀の瞬間が、歴史上の重要人物たちが、詳細に生き生きと描かれていたのだ。  絵の中の主役は何と言っても中央のナポレオン!その人だ。まさに自分の妃のジョセフィーヌに、自ら冠を載せようとしている。  ローマ教皇ピウス7世に背を向け、本来は教皇にのみに与えられた戴冠と言う儀式、特権を奪い取る様に、、、  更に、ガイドさんの説明を聞いて驚いた。本当の式典では、ナポレオンは自らの頭にも自分で戴冠してしまったのだそうだ。  まるで教皇に「お前なんて傀儡!お飾り!に過ぎない。本当の権力は我が手中にある。我が辞書に不可能は無い。」と当て付ける様に、、、   そう言われると、教皇の表情も仕草も微妙だな?と思ったものだ。  ガイドさんの説明では「絵の教皇の右手は、ナポレオンに祝福を与えている」とのことだ。本当かな?と疑わしく思った。  教皇の右手は祝福を与えてるのではなく、ナポレオンの背中に呪文を掛けているんじゃないかと、、、 大きく拡大すると、教皇の右手、ピストルでナポレオンの背中を撃とうとしているみたいだ。   「俺をコケにしやがって!今に見ていろナポレオン!お前にも『カノッサの屈辱』を味合わせてやる。」って、、、(実際10年後、ナポレオンはエルバ島に追放される。) ルーブル宮中庭のガラスのピラミッド!47年前には存在しなかった。   そして、タイムマシンは再び現代に舞い戻る。心も冷静な自分になる。2026年の自分だ。  するとあや不思議!今度は突拍子も無い...

四長、パリへ行く‼️(1)エッフェル塔のエッフェルは、エッフェルさんが造ったから⁉️

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   2026年3月31日から4月5日迄、47年振りにパリを訪れた。加齢による体力の衰えと円安に象徴される日本の国力の低下、、、もう海外旅行は難しくなるなって思い決断した。ANAの直行便と同じホテルに5連泊するという体への負担を出来るだけ少なくする旅程だ。  ひたすら美術館巡り!と考えていたが、そこは47年振りのパリ、エッフェル塔くらいには挨拶しておこうと思い、滞在初日に真っ先に駆けつけた。 塔を下から見上げ、目を凝らすと網のチューブに子供の姿が、、、何とアスレチックの施設があんなところにあるそうだ。   エッフェル塔、1889年、フランス革命100周年と第4回パリ万博を記念して建設された。名称は自ら設計し、建設を請け負ったエッフェル社のトップで、何と総工費の75%も画期的な集金スキームで調達した世紀の天才!!ギュスターブ・エッフェルに由来する。  このエッフェルさん、後に映画の主人公にもなり、多くの逸話も残されているが、なかなかユニークで目立ちたがり屋、且つ可成り我儘な人物だったみたいだ。  先ず竣工式ではエッフェルさん自身が塔の先端迄登り、フランス国旗を掲げ「我、300mの旗竿に国旗を掲げたり!」と叫んだそうだ。またバルコニーの下には、エッフェルさん自身が、独善的に選んだ72人のフランスの偉大な(エッフェル基準?で)科学者の名前を、各面に18人ずつ刻んだ(一番上の写真で確認出来るよ)。  そして何と、塔の最上階にはエッフェルさん自身のプライベートルーム(現在は一般公開されている)迄造ってしまった。来客用のサロンと隣の研究室!晩年彼はこの研究室に籠り、気象観測や空気抵抗の実験に勤しんでいたそうだ。(完全に私物化だよね。でも総工費の75%金策したから権利ありかな?)   そんな、やりたい放題のエッフェルさんに思いを馳せれば、黄昏時のエッフェル塔に上品な灯りが灯る。あれがニューヨーク・パリ間を飛び、初めて大西洋単独無着陸飛行を成功させたチャールズ・リンドバークが見たパリの灯!やっぱりエッフェル塔はパリのランドマーク!「鉄の貴婦人」だ。

四長、パリへ行く‼️(写真編⑦)

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      オルセー美術館で撮影した。カミーユ・クローデル作品「分別盛り(成熟の時代)」」である。  クローデルの自伝的作品とも言われている。『若い女性がクローデル自身、すがる女性を置き去りにし立ち去ろうとする男性が、クローデルの彫刻の師匠であり、愛人でもあった彫刻界の巨人・ロダン、男性の背後から男性を連れ去ろうとしている老婆が、後にロダンの正妻となるローズ、典型的な三角関係、不倫の結末、ドロドロの愛憎劇の場面』と言われている。  この定説、週刊文春的な解釈で面白いが、、、本当かな?私には疑問だ。流石にクローデル、恋愛のライバルのローズをこんな悪魔のような老婆にしない気がするし、「分別盛り(成熟の時代)」って言う作品タイトルに、そんなドロドロ愛憎劇は相応しくない気がする。  因みに、このブロンズ像、オリジナルは世に三体しか残っていない。ここオルセー美術館とカミーユ・クローデル美術館(※)、もう一体は最近古いアパートで発見された。オークションで相当な高値がついたそうだ。クローデルも少し報われたような気がした。 (※)ロダン美術館にあるのはオリジナルではなく別バージョンと言われている。唯、ロダンとクローデルの関係を考えると、この「分別盛り(成熟の時代)」がロダン美術館に展示 されているのは大変興味深い。

四長、パリへ行く‼️(写真編⑥)

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  オルセー美術館のレストラン。背景にある大きな時計は、美術館が昔、駅であったことを今に伝える。そう言えば、レストランの喧騒も、何処かターミナル駅の待合室のそれに似ている。