「四長の紐育旅日記」(8)ダコタハウス〜オノ・ヨーコ!貴方こそが「ザ・ニューヨーカー」だ⁉️
セントラルパークを走る輪タクたち、背景のパークを見下ろすように聳え立つのがダコタハウス ダコタハウスである。1980年12月8日、このニューヨークきっての高級アパートメントに住むジョン・レノンが、エントランス近くの歩道で、凶弾に倒れた。 ほぼほぼビートルズ世代である私は、その現場を訪れたくて、セントラルパークのペダブ(輪タク)ツアーを日本で予約しておいた。 正確にはダコタハウスはセントラルパークの外になる。現地のドライバーにリクエストすると、「ガッテン承知!」って感じで、結構なスピードでダコタハウスへ向ってくれた。 日本に居ると「ダコタハウス」イコール「ジョン・レノンの棲家」って感じだ。しかし、此処ニューヨークでは、少し受け止めが違う。勿論、ジョン・レノンの偉大さは不変だが、そこにもう1つジョンの妻、オノ・ヨーコの存在が、大きくプラスされる。 「オノ・ヨーコが最近まで棲んでいた家」と言う要素が加わるのだ。ドライバーもダコタハウス周辺やセントラルパークを散歩するオノ・ヨーコをよく見かけたと、嬉しそうに話してくれた。 ジョン・レノンの銃撃現場 オノ・ヨーコは、ニューヨークでは結構人気がある(※1)。それは彼女が生粋のニューヨーカーだからだろう。彼女はニューヨークのパブリックスクール(公立小学校)に通い、大学もニューヨーク郊外にあるサラ・ローレンス大学に入学している。それ以降、本拠地はずっとニューヨークだ。 ここダコタハウスには1973年、ジョンと2人で入居した。でも、ジョンは直ぐにロサンゼルスへ行ってしまい、彼女は1人で此処に暮らし続けた。 その後エルトン・ジョンの取り持ちで、1975年にジョンと復縁、子供も生まれ幸せな5年間(※2)を、親子3人で過ごすことが出来た。しかし、僅か5年後、1980年、運命のあの日を迎えてしまう。 そして、それからだ。彼女は2023年まで、何と43年間!彼女はジョンのいないダコタハウスの生活(※3)を送ったのだ。 セントラルパーク内のストロベリーフィールド 43年間、彼女は毎年12月8日になると、ダコタハウスの隣りセントラルパークに、ジョンを追悼するために設けられた「ストロベリー・フィールド」に通った。そしてそこで、「イマジン(※4)」を多くのファンと一緒に合唱した。 このセントラルパークで続く行事が...