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「四長の紐育旅日記」(9)セント・パトリック大聖堂〜「ヒューズの愚行」が、ジョン・F・ケネディ大統領を生む奇跡とは⁉️

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  「セント・パトリック大聖堂」である。現在、マンハッタンの中心、ロックフェラーセンターの向かい側、五番街の一等地にある。しかし、この大聖堂が建築が始まった1850年代と言えば、この辺りは、人気の無い辺鄙な場所だった。  それ故、この地に大聖堂を建築することを決めたアイルランド人の大司教ジョン・ジョセフ・ヒューズの決断は、「ヒューズの愚行」と呼ばれた。  19世紀の半ば、ニューヨークでは、アイルランド系カトリック移民への差別が激しく、反カトリック運動も盛んだった。  ヒューズ大司教は考えた。それに抗うために何が必要かを。そして、ある構想に辿り着く。   それは、「私たちアイルランド系カトリック移民は、絶対にこの国に根を下ろす」という強い意思を示すランドマークを、此処マンハッタンに創ることだった、、、アイルランドの守護聖人の名を冠したこの壮大なゴシック風大聖堂の建築が始まった。   そんなアイルランド系カトリック移民であるが、20世紀に入ると、徐々に警察・労働組合・消防そして政治の世界で大きな力を持つことになる。   そして、大聖堂完成から約100年後、遂にアイルランド系カトリックの家系からアメリカ大統領が誕生する。ジョン・F・ケネディ(以下JFK)だ。  ケネディ家も、JFKの曽祖父が、当時まだ英国の植民地であったアイルランドから逃れてきた移民ファミリーだ。母国の宗教差別とジャガイモ飢饉を逃れ、ちょうどこの大聖堂建築が始まった頃、ニューヨークに移ってきた。  それ故、この大聖堂との関係は格別だ。JFKも幼い頃からこの大聖堂に通い、教会行事にも参加していた。 (彼の弟で選挙運動を仕切り、大統領になってからも右腕であり続けたロバート・ケネディ(※1)が、暗殺された時も、この大聖堂で追悼ミサが行われた。)  ケネディ大統領(※2)の誕生は、アイルランド系カトリック移民にとって、ニューヨークのコミュニティの中心となる決定的な大転換点だった。   そんなアイルランド系カトリック移民の苦しみ、悲しみ、怒り、喜び、そして成功の歴史を、大聖堂は、この場所で眺め励まし続けてきた。今は摩天楼の谷間となった「ヒューズの愚行」の地で、、、(※3)   毎年3月17日、ニューヨーク、マンハッタンは緑(※4)の人波に埋め尽くされる。  この「セント・パトリック大聖堂」を中心としたニュー...

「四長の紐育旅日記」(8)ダコタハウス〜オノ・ヨーコ!貴方こそが「ザ・ニューヨーカー」だ⁉️

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セントラルパークを走る輪タクたち、背景のパークを見下ろすように聳え立つのがダコタハウス  ダコタハウスである。1980年12月8日、このニューヨークきっての高級アパートメントに住むジョン・レノンが、エントランス近くの歩道で、凶弾に倒れた。  ほぼほぼビートルズ世代である私は、その現場を訪れたくて、セントラルパークのペダブ(輪タク)ツアーを日本で予約しておいた。  正確にはダコタハウスはセントラルパークの外になる。現地のドライバーにリクエストすると、「ガッテン承知!」って感じで、結構なスピードでダコタハウスへ向ってくれた。  日本に居ると「ダコタハウス」イコール「ジョン・レノンの棲家」って感じだ。しかし、此処ニューヨークでは、少し受け止めが違う。勿論、ジョン・レノンの偉大さは不変だが、そこにもう1つジョンの妻、オノ・ヨーコの存在が、大きくプラスされる。  「オノ・ヨーコが最近まで棲んでいた家」と言う要素が加わるのだ。ドライバーもダコタハウス周辺やセントラルパークを散歩するオノ・ヨーコをよく見かけたと、嬉しそうに話してくれた。   ジョン・レノンの銃撃現場    オノ・ヨーコは、ニューヨークでは結構人気がある(※1)。それは彼女が生粋のニューヨーカーだからだろう。彼女はニューヨークのパブリックスクール(公立小学校)に通い、大学もニューヨーク郊外にあるサラ・ローレンス大学に入学している。それ以降、本拠地はずっとニューヨークだ。  ここダコタハウスには1973年、ジョンと2人で入居した。でも、ジョンは直ぐにロサンゼルスへ行ってしまい、彼女は1人で此処に暮らし続けた。  その後エルトン・ジョンの取り持ちで、1975年にジョンと復縁、子供も生まれ幸せな5年間(※2)を、親子3人で過ごすことが出来た。しかし、僅か5年後、1980年、運命のあの日を迎えてしまう。   そして、それからだ。彼女は2023年まで、何と43年間!彼女はジョンのいないダコタハウスの生活(※3)を送ったのだ。 セントラルパーク内のストロベリーフィールド  43年間、彼女は毎年12月8日になると、ダコタハウスの隣りセントラルパークに、ジョンを追悼するために設けられた「ストロベリー・フィールド」に通った。そしてそこで、「イマジン(※4)」を多くのファンと一緒に合唱した。  このセントラルパークで続く行事が...

「四長の紐育旅日記」(7)フリック・コレクション〜コレクションを最高に楽しむ方法は、フリックさんになることだ⁉️

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  「フリック・コレクション」の中庭である。マンハッタン島の五番街に位置し、セントラルパークを見下ろすロケーションに建っている。  「レンブラント」「ベラスケス」「エル・グレコ」「フェルメール」等々超一級品の名画が、長さ30メートルの巨大な部屋に隙間なく掛けられた『ウェスト・ギャラリー』は、「世界中探しても、一つの部屋にこれほどの名画が詰め込まれた場所は無い」と多くの美術史家に評されている。  でも、その光景をこのブログで、皆さんお見せすることは叶わない。何故ならば、フリック・コレクションは、館内の写真撮影を、この中庭エリアを除いては厳に禁じているからだ(※1)。  日本では写真撮影禁止の美術館も未だ多いが、欧米では極めて珍しい。旅行中、撮影OKに慣切ってしまった私は、「フリックさんも意外とケチだな?大富豪がケチな訳無いか?しかし、金持ちほどケチとも言うしな?」とこれまた失礼なことを考えていた。   でも、彼『ウエスト・ギャラリー』の中央に設けられたソファー(今は誰でも座ることが許されている)に身を沈め、ギャラリーの壁に並ぶ世紀の名画群を眺めていると、何故写真撮影が禁止なのかが、理解出来るような気がした。 (「写真撮影による入場者の渋滞回避」とか「作品保護」等日本の美術館が禁止の理由以外の何かがある筈だ)  このソファーの背後、オーク材のパネルには、召使を呼ぶためのボタンが5つ並んでいる。此処がこの館の主人ヘンリー・クレイ・フリック(※2)の定位置だ。彼は毎晩ここに座り、葉巻を、ブランデーを、嗜みながら名画を楽しみ、至福の時間を過ごしていたに違いない。  恐らくフリック氏は、客にも自分と同じようなゆったりとした感覚で視線で、自らの世紀のコレクションを眺めて、至福の時間にして欲しかったのだろう。 「そうだ!至福の時間に、自分のコレクションを、忙しく自分で写真撮影することなんてこと、普通しない からな」と納得した。 (「イヤイヤ、フリックの時代にはスマホは無かったぜ」と天の声も聞こえたが、「イヤイヤ、凄腕経営者のフリック、100年後の世界なんてお見通しさ」とかなり強引に抑え込んだ。) アッパー・イースト・サイドの五番街、ニューヨークでも屈指の高級アパートメントが並ぶストリートにフリック・コレクションはある。 (※1)フリック・コレクションが禁じているのは、「写真...

「四長の紐育旅日記」(6)プラザホテル〜その時、歴史が動いたかも⁉️

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  ニューヨーク、マンハッタンの「プラザホテル」である。「プラザホテル」と聞いて日本人として頭に浮かぶのは、何といってもこのホテルが、その後の日本経済の命運を決めた「プラザ合意」の舞台であったという事実だ。  「プラザ合意」とは、1985 年、ドル高による自国経済不振に業を煮やした米国が、日・西独・英・仏を招集し 、「ドルは高過ぎ!みんなで協力してドル安にしよう」と決めた約束だ。具体的には各国の為替市場に協調介入し、ドル安 に強引 に 導いた。  その結果、日本経済と言えば、①急激な円高(1ドル240円から2年程で1ドル120円)となり、②深刻な円高不況→③これを救済するため、大幅且つ長期の金融緩和→④市中に金が溢れバブル発生→⑤資産価格が急上昇し、やがてはバブル崩壊→⑥長期デフレとなり失われた30年に突入という道を辿った。  今から見れば、結果的に日本にとって「第二の敗戦」(経済面だが)のキッカケともなった外交面、経済面の大事件だった。   ところで「プラザ合意」というと、私たちはこの「プラザホテル」 の中で、各国の財政担当大臣(日本は竹下登大蔵大臣)や中央銀行総裁(日本は澄田日銀総裁)が、長時間丁々発止の議論 を交わしているイメージがある。しかし実際は違っていた。  既に細部に至る合意内容は、別の会場で各国の事務方が、何週間と言う膨大な時間を費やし固め切っていた。  実際には「プラザホテル」は、各国担当大臣の調印式に使われただけだった。竹下登大蔵大臣の署名式滞在時間は僅か20分だったそうだ。  それでも、竹下登大蔵大臣、帰国後は各方面から非難された。特に自民党総務会長で政策通として知られる宮沢喜一からは、「貴方、自分が何をしたのか分かっているのか!」と詰め寄られ、強烈に面罵されたそうだ。  竹下登(後の総理大臣)と言えば、DAIGOのお祖父ちゃん❗️宮沢喜一(こちらも後の総理大臣)と言えば宮沢エマのお祖父ちゃん❗️だ。  なんかDAIGOが宮沢エマに詰め寄られているシーンが目に浮かんでしまう。  きっと竹下登は宮沢喜一に、本当はこう答えたかったんじゃないかな、、、 「 OSD 」って(DAI語だけど)、、、「 O reha S homeisita D akeda」って、、、 画面左下が五番街、ティファニー本店が見える。その奥の高層ビルはトランプタワーである。 (...

「四長の紐育旅日記」(5)マンハッタンの五番街〜オードリーも思わず、、、⁉️

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  ニューヨーク、マンハッタンの五番街、セントラルパーク沿いに南下し、プラザホテルを越えた辺りで、道の左側に見えた建物に、「何じゃ !これは!」と 私は腰を 抜かした 。  正確には建物というより、巨大なトランクの山に!、、、フランスの世界的ブランド「ルイ・ヴィトン」のニューヨーク五番街店である。大小(小と言っても巨大!あくまでも相対的に小と言う意味)のトランクが5層積み上がり、五番街に覆い被さるように聳え立っている。  驚きから少し立ち直った私は次に考えた。客は何処から入るのだろう?と、少なくとも五番街沿いには入り口が無い!窓・ショーウィンドウも無い!、、、それも、それもそのはず、この建物(っていうか巨大トランク)は店舗ではなく、大改装中の店舗を覆う工事用のファサードだった。  工事用のファサードに此処まで凝るのか?金をかけるのか?とこれまた驚いた。トランクの造りはかなり精巧で、革の質感まで見事に再現されている。手抜きは一切無い。さすがルイ・ヴィトンと感心した。  でも一方で思った。 ルイ・ヴィトン!本店のあるパリで、もし大改装が必要になったとして、こんなファサードで店を覆うのかなって、、、確かに目立つし、大迫力だ、話題性も十分だろう。  でも周囲の景観との調和はと言えば、とんでもない!エレガントでなければ、パリであれば大顰蹙だ。このファサード案が採用されることは無いな。何でもありの此処ニューヨークだから実現したんだと納得した。 ティファニー本店、此処だけ切り取ればエレガント、オードリーもこの辺のシューウィンドウを眺めていたのか?  エレガントと言えば、このヴィトンの向かってには右隣には、アメリカンエレガンスの象徴と言われる ティファニー本店がある。  そう、あのオードリー・ヘップバーンが、映画「ティファニーで朝食を」で、店の前でイエローキャブを降りて、左手に紙コップのコーヒーを、右手にクロワッサンを持って佇み、ショーウィンドウをエレガントに眺めるシーンで有名なティファニー本店である。  このシーン!もし今撮影したとしたら、どうだろう。アングルを余程工夫しないと、どうしてもあの巨大トランクが入ってしまう。  なかなかエレガントな、優雅なシーンとはならないとだろう、、、そしてその前に!私は思うのだ。 イエローキャブを優雅に降りたオードリー、この巨大トランクが目に入っ...

「四長の紐育旅日記」(4)ブロードウェイ〜ニューヨークでシカゴを観た⁉️

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  ブロードウェイ・ミュージカルの「シカゴ」である。私は「ミュージカル」が苦手だ。舞台も映画も日本では、大のミュージカル好きの家人のお付き合いで、この歳迄数回観ただけだ。  そもそも、登場人物が台詞の途中から、突然歌い出すのが理解出来ないと、身も蓋もないことを口走り、ミュージカルファンの方々の顰蹙を買ったこと、、、一度や二度ではない。  そんな私であったが、ニューヨークへ行くとなれば、少し考えも変わる。死ぬ前にブロードウェイ・ミュージカルを一回観ておいても良いかな、、、観ておくべきだな、、、イヤ、観ておかないときっと後悔すると変遷し、、、絶賛ロングラン中の「シカゴ」を観に行った。   ミュージカル「シカゴ」は。1920年代、禁酒法時代、ジャズ全盛期のイリノイ州シカゴを舞台にしている。  殺人を犯したナイトクラブの歌姫とコーラスガールの二人の女性が、如何にして世間の注目を喚起し、最後は裁判で無罪を勝ち取るまでを、ドラマチックに描いた物語、そう裁判ドラマだ。  事前勉強で粗筋を知った私だが、最初に疑問に思ったのは、何故?舞台が「シカゴ」なのか?ということだった。ブロードウェイでやるなら地元「ニューヨーク」の方が受けるのではと、、、でも「シカゴ」というところが最大のポイントだった、、、それには米国の裁判ドラマならではの理由があったのだ。 ブロードウェイ   米国の裁判制度の最大の特徴と言えば陪審員制度!日本の裁判員制度とは違い、判決に裁判官は関与せず。完全に陪審員だけの評決で決まる。  そして実際の陪審員制度の運営と言えば、それは州ごとに委ねられ、陪審員の構成等々も各州法で大きく異っていた。物語の舞台となった1920年代の中頃は、「シカゴ」のあるイリノイ州は、何と「陪審員が白人男性だけで構成され、女性の殺人犯にとって、有利な判決を勝ち取れる州」と言われていたのだ。  それ故、白人男性に受ける様々な法廷テクニックを駆使する弁護士や、扇情的な見出しや記事で、「シカゴ」市民を煽り、判決の行方を左右する裁判コラムニストも存在した。  当時の「シカゴ」では、「男性が殺人を犯せば死刑、女性の場合はかなりの確率で無罪」とまで言われ、実際、殺人事件の女性被告が魅力的であればあるほど、裁判所が!「シカゴ」の街全体が!劇場化して行った。 ブロードウェイ   ショーが始まる前までは、そんな裁判...

「四長の紐育旅日記」(3)ニューヨーク証券取引所〜「FearIess Girl(恐れを知らぬ少女)」にヨロシク⁉️

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    ニューヨーク市マンハッタンのウォール街にあるニューヨーク証券取引所である。私はほぼほぼ毎日、この建物の映像を見ている。  朝はこの建物を背景にして流れるTVテロップの「ダウ平均」、「ナスダック」、「S&P」、のニューヨーク市場の株式3 指数の前日の結果を確認する。夜も就寝前に3 指数の先物や、始まったばかりの現物指数を確認しているからだ。  今回の旅では、当初の予定に入っていなかったが、何処かで調整して、何とかこの建物の実物を見たいと思っていた。そして、この建物の前まで行くことが出来たら、もう一つ私には絶対に見ておきたいものがあった。 ウォール街の名前の由来=ニューヨークがニューアムステルダムと呼ばれた頃、オランダ人が築いた城壁に沿った道   下の写真は 「チャージング・ブル」 、ウォール街近くのボウリング・グリーンに設置された巨大な雄牛(ブル)のブロンズ像である。 (以前は証券取引所の前に設置されていたが、 ある事情 で此処に移動してきた)  頭を低く下げ、今にも突き上げる(チャージ)体勢を取っている。この体勢が、株価を突き上げる(上昇させる)との連想、願望に繋がるとされ大変な人気を博している。  また、ブルの体に触れれば、その人にも経済的なご利益もあるとされ、世界中から人が集まっている。この日も長蛇の列が出来ていたが、ご利益を得るためには相当な時間がかかるようだ。  私も経済的ご利益については目がない方だ。気になる。でも、この日の私のお目当ては他にあるので先を急ぐ、ブルの顔辺りをナデナデする人を横目に行き過ぎた。 (ご利益を得るためには直接的な接触が必須であり、写真を撮っただけではご利益は貰えないとのことだ、、、残念!後ろ髪は思い切り引かれている)   さて、証券取引所の前まで来ると、一人の少女像が立っている。この日のお目当て!私が絶対に見たいと思っていたブロンズ像 「Fearless Girl(恐れを知らぬ少女)」 !だ。  腰に手を当て、ピンと胸を張り、証券取引所を敢然と睨みつけている。身長127cm!体重110kg!一瞬、えっそんな重いのって思ったが、ブロンズの塊だから納得だ。  2017年国際女性デーに合わせて制作・設置されたと言う。企業経営陣の女性比率向上などメッセージを含んでいるそうだ。  そしてこの少女像設置のインパクトは凄...