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四長、パリへ行く‼️⑦パリ・オペラ座(ガルニエ宮)〜怪人(ファントム)は何処だ⁉️

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  パリの百貨店・ギャラリーラファイエットから見たオペラ座(ガルニエ宮)である。結構な雨足の中のショットだが、周囲の建物を圧するオペラ座の迫力・存在感は感じて頂けると思う。  今回のパリ行き、決定して真っ先に申し込んだのが、このオペラ座の内部見学ツアーだった。特に劇場の客席部分のシャガールの描いた天井画を見ること楽しみにしていた。    でも予約段階で、今回の見学ツアーでは客席部分には入ることは出来ないと分かり、少なからずテンションを落としていた、、、そして見学ツアー当日を迎えた。 大階段     しかし、オペラ座に一歩足を踏み入れると、一挙にテンションは上がる。正にシーズン・ベスト・テンション!である。  館内は豪華絢爛!の一言である。金ピカ!金の装飾が眩しいくらいである。でも、金ピカと言っても、何処かの国の「金の茶室」とかとは違い、エレガントさは全く失われていない。  落ち着いた大理石の色調とのコントラストで、バロックの壮麗さを演出!芸術の殿堂として格式を存分に伝えている。これからオペラを!バレエを!観るために此処を訪れた人たちは、心地良い高揚感に包まれること間違いない。   ゆっくり館内を回って見て行く、、、小さな照明とかにも全く手抜きが無い、それぞれが魅力的で個性的だ。天井画を見るのと相俟って、ずっと上を見続けていたので、些か首が疲れた。   そして、大休憩室だ。高さが18m、幅13m、長さは何と154m!ある。パリ社交界の応接間と言われる。好き嫌いはあるかもしれないが、ベルサイユ宮殿のガラスの間より、壮麗さではこちらに軍配を上げると言う人も多いようだ。  パリ・オペラ座は、別名・ガルニエ宮と呼ばれる。ガルニエ宮のガルニエは、このオペラ座の建築設計コンペを勝ち抜いた建築家シャルル・ガルニエの名から付けられた。  シャルル・ガルニエは王族ではないが、パリ市民はガルニエ宮と名前の後に「宮」を付けて呼んだ。それはこのオペラ座が単に劇場ではなく、世界中の賓客を応接するに相応しい宮殿であると、フランス革命後のパリ市民たちも、抵抗感無く認識していたからであろう。 大休憩室   さて、此処まで当ブログを読み進めて頂いた皆さん‼️もう一度、このブログのタイトルを確認して欲しい。「パリ・オペラ座(ガルニエ宮)〜怪人(ファントム)は何処だ⁉️」である。  そう怪人!私はこのツア...

四長、パリへ行く‼️(写真編⑧)

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「 ボン・マルシェ百貨店」である。パリ7区にあり、世界最初の百貨店と言われている。  フランス語で「ボン・マルシェ」とは「安い」と言う意味だが、現在はルイ・ヴィトンで有名なLVMHの傘下であり高級路線に変わっている。  そんな高級百貨店「ボン・マルシェ」の1階(フランスでは0階)の化粧品売り場、吹き抜け天井からぶら下がる幾つもの干し草の塊を見れば、上に乗っているのは牛や豚やアヒルといった家畜たちだ。写真を撮り損ねたが、百貨店の10面くらいあったショーウィンドーのディスプレイも、それぞれ異なる家畜たちがキュートに飾られていた。  高級百貨店に家畜‼️こんなミスマッチな組み合わせも成立するのは、フランスが世界有数の大農業国たる所以か⁉️改めてフランスという国の奥深さ、豊かさを実感❗️

四長、パリへ行く‼️(写真編⑦)

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    パリ・ オペラ座の南正面である。現在ファサードの修復工事中であるが、そこはさすがパリ・オペラ座!工事の覆いもセンスが光る。  パリっ子に「パリの中心は何処?」と質問すると、大半は「オペラ座」と答えるそうだ。待ち合わせ場所としても「オペラ座の前で、、、」と言うのが多いそうである。  でも、「オペラ座の前」って言っても、東西南北どの面だろう?と思いオペラ座を一周してみた。  圧倒的に待ち合わせ場所として優れているのはこの南面だ。歩道部分が広場のように広いし、座って待つには手頃な階段もある。その日も日本の「ゆず」みたいなデュオが路上ライブをしてた。いつも待ち合わせに遅れてくる恋人を待つには最高の場所かもしれない。  そんな人の集まる場所に巨大広告を出す「ラルフ・ローレン!」、歴史的建造物と最新モードのミスマッチが、何ともオシャレ!素敵だ!

四長、パリへ行く‼️(6)ロダン美術館で、「考える人」の市場原理を考える。

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    パリのロダン美術館の庭にあるオーギュスト・ロダンの代表作「考える人」である。正に本物である。  恥ずかしい話だが、私は昔「考える人」は世界で1体しか無いと思い込んでいた。東京上野の国立美術館の前庭にある「考える人」が、世界で唯一無二の本物だと、、、  それを初めて見たときは感動した。作品の素晴らしさは当然だが、日本の経済力に感動した。だってロダンの最高傑作と言われろ「考える人」は勿論、そこには「カレーの市民」!も「地獄の門」!もあったのだ。  彫刻界の巨人のロダンの主要作品を日本は買い占め、独り占めしている。日本の経済力(円高でもあった)は世界一だと、、、 庭側から見たロダン美術館本館、貴族の館風である。   だが、時が過ぎるとその感動は脆くも崩れてくる。何か「考える人」!京都にも名古屋にもあるのだ。そして静岡にも、一体どうなっているんだ!(パンダが日本には上野しかいないと思っていたのに、和歌山(白浜)にも数頭いると知ったときの驚きに似ている)  そのうち、日本だけではなく、アメリカにもメキシコにもロシアにも、そして台湾にもいることを知った。何と世界中に「考える人」は、26体!(日本には6体)もあったのだ。 庭から見えるアンヴァリッド、最高の借景である。   冷静に理屈で考えればはわかる話だ。「考える人」はブロンズ像(銅像)だ。大理石像(「ミロのヴィーナス」や「サモトラケのニケ」)や木彫(日本の運慶・快慶の作品群)ではない。型に高温で溶かした銅を流し込めば、何体でも出来てしまうのだ。  でも極めて世俗的な私は考える。何体造るのかってのは、経済的には結構難しい判断だ。沢山造れば、それだけお金が入ると言う単純なものではない。沢山造れば、作品の希少価値が損なわれ、作品の値段が、どんどん安くなってしまうのでは、、、  サザビーのようなオークションの仕組みは知らないが(ヤフー・オークションの仕組みは知っている)、当然市場原理が働くだろう。私の少し齧っている株式市場に置き換えればよくわかる。普通増資(株数増)すれば、株式は希薄化し株価は下がる。自社株買い(※1)などで株式数を減らせば、市場は好感して株価は上がるのだ。 庭には「カレーの市民」も鎮座している。   ここは創作者(ロダン)も専属の鋳造職人(ファウンドリ・リュディエ(※2))も真剣に考えただろうと思う。...

四長、パリへ行く‼️(5)パリは燃えているか?

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  早朝のパリ、ホテル「プルマン・パリ・モンパルナス」の部屋の窓ガラス越しに撮った写真だ。  パリは高層ビルが少ない。ホテルの東側の窓からは、遮るもの無くパリの街を一望出来る。よく見るとドーム型の建物が二つ見える。左端がパンテオン、中央がサルベトリエール病院だ。  でもこのショットの一番の主役は、何といっても朝焼けだ。見事に空一面を朱色に染めている!燃えている!少し不気味なくらいだ。「 パリは燃えているか? 」そんなフレーズも頭に浮かんだ。  「 パリは燃えているか? 」1966年の米仏の合作映画だ。米国からはカーク・ダグラス、オーソン・ウェルズ、グレン・フォード、仏国からはジャンポール・ベルモンド、アラン・ドロン、イヴ・モンタン等々出演していた。正にオールスターキャストの映画だ。その上監督はルネ・クレマン、脚本はフランシス・コッポラと豪華版だ。 上の写真の五分くらい前、時差とサマータイムで時刻が定かではない。   映画は、第二次世界大戦終盤、既に敗色濃厚のナチス・ドイツ、パリ占領軍司令官のコルティッツにヒトラーから、「撤退する時は、パリのありとあらゆる工場・橋梁・地下水道、そして歴史的建造物に爆弾を敷設して、パリの街を焼き尽くせ!」と命令が下るところから始まる。  最終的にコルティッツはその命令を拒絶し、連合国側に無条件降伏するのだが、それに至るまでの軍事・外交・政治・心理の攻防が凄まじい。それを丁寧に描いていた。今見たら結構興味深い内容だと思うが、如何せん当時は12歳!中学生の私には少し難し過ぎた。   でも、最後のシーンだけは今でも鮮明に記憶している。ドイツ軍のパリ占領司令部内で、打ち捨てられた電話受話器から声が聞こえていた。ヒトラーの声が、、、「パリは燃えているか?」と、、、 同じ窓から、午後4時くらいのショット。   しかしながら、改めて思う。ドイツの司令官がコルティッツで良かったなと、、、コルティッツはヒトラーの命令を実行して、パリを破壊し歴史に汚名を残すことを拒否したのだ。  これがもし、ヒトラーの絶対的なイエスマンだとしたらどうだっただろう。80年後の今、目の前の美しいパリの街並みが、フランスの文化が文明が、全く別のものになっていたかもしれない。 北向きのショット、ビルの谷間から、パリで一番標高が高いモンマルトルの丘が見える。   そんなちょっぴり感...

四長、パリへ行く‼️(4)『サモトラケのニケ』を真似たのは誰れだ⁉️(エピソード1・2)

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  ルーブル美術館の至宝 「サモトラケのニケ」である。ヘレニズム期の大理石彫刻、海戦の勝利を祝う女神「ニケ」が、ギリシアの戦艦の舳先に立っている。17世紀にエーゲ海のサモトラケ島で発見された。 (エピソード1・1979年)   1979年、初めてこの像を見たときの記憶は今でも鮮明だ。当時、美術史に不案内な私ではあったが、流石に「サモトラケのニケ(以下ニケ)」については知っていた。高校の世界史の教科書に載っていたし、試験にも出たからだ。  そして折角ルーブル美術館に行くからには、是非とも見たいと思っていた。理由はミーハー的で今考えると恥ずかしい。  実はこの年1979年!日本は空前のエーゲ海ブームだったのだ! (※1) 。中でもジュディ・オングが歌う「エーゲ海のテーマ〜魅せられて」は超特大ヒット!曲も歌唱も素晴らしかったが、衣装と振り付けが何ともキャッチーで印象的だった。  私は思った「この衣装と振り付けは「ニケ」を意識している、真似ているに違いない」と、、、「これは実際に「ニケ」を見て確認するしかないな」と、、、  そんなこんなで「ニケ」は、私の中ですっかり「ジュディ・オングの彫刻」→「エーゲ海の彫刻」→「海の彫刻」っていう思考回路でイメージが固まって行った。 像は今も昔も「ダリュ階段」の踊り場に鎮座している。絶好のロケーションだ。   しかし、実際にルーブル美術館のダリュ階段をゆっくり昇り、像に近づいて行くと、どこかイメージが違うことが分かった。少なくともジュディ・オングではない、もっと別の何かだった。階段を昇り切り「ニケ」の前に立てば、その違和感の理由がはっきりした。  見上げれば、そこには大きな翼(角度的に正面からは小さく見える)があった。そして翼の向こうに、大きな空すら感じるのだ。  「ニケ」は飛んでいる。悠々と大空を飛んでいる。「ニケ」は「海の彫刻」ではない。同じギリシア神話のイカロスと同じ、飛翔への憧れ・自由の精神を体現する「空の彫刻!」だ。「 FLying Goddess! 」なのだ。1979年の私は確信した。 (※1)その2年前の1977年に芥川賞を受賞した池田満寿夫の「エーゲ海に捧ぐ」が、1979年の4月に映画化され公開された。 そしてその映画のシーン映像を使ったワコールのテレビCMが大量に流れていた。そのCMソングがあの「エーゲ海のテーマ〜魅せら...

四長、パリへ行く‼️(3)サント・シャペル❗️光の聖書の中で佇む。

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 サント・シャペル、パリ中心部シテ島にある教会堂である。後期ゴシック建築の傑作と呼ばれている。  そのゴシック建築の「ゴシック」とは、もともとは蔑称だったそうだ。  ゴシックの前の建築様式「ロマネスク」が「ローマ風の」と言う意味に対して、こちらは「ゴート風の」と言う意味。ローマ帝国へ民族の大移動により侵襲してきたゴート族から来ている。  ローマ人の末裔たちからすれば、粗野で野蛮、洗練されていないものと感じていたのだろう。  でも、東洋人の私から見ると全く違う。ゴシック建築と言えば、兎に角尖ってる、蒼天を突き刺す様に聳え立っている印象。シャープで逆に洗練された印象さえ持っている。(背がやたら高くて鼻も高い西洋人の象徴にも通じる。)  でも、そんなゴシック建築、18世紀になると構造力学的観点から高い評価を受ける。  ひたすらノッポの建造物を目指すため、尖頭アーチ、飛び梁等を駆使し、壁は薄くし、建物の重量を減らした。そうした工夫が、その後の高層建築に貢献し、米国・ニューヨークの摩天楼の工法にも繋がると言う訳だ。  そして、ゴシック建築!窓は大きくとることが、必要(壁を軽くするため)且つ可能になった。そこでその大きな窓を飾るために登場したのがステンドグラス❗️だ。爆発的に普及し、進化した。  もとは初期キリスト教時代、地下に掘られたカタコンベ(お墓)の採光の窓に起源を持つと言われるステンドグラスだが、ゴシック建築と言う最高の相棒を得て、教会を光溢れる空間に一気に変貌させた。  そのゴシック期、多くの有名なステンドグラスが作られた。その中でも視覚的に美しく最高峰と称えられるのが、このサント・シャペルのステンドグラスだ。  サント・シャペルはルイ9世(聖ルイ)に1240年代に建築された。高さ15mの窓には聖書からとった1134もの場面が描かれている。  その日のパリは生憎の曇天であったが、外からは豊かな光りが降り注いでいた。時折、太陽の鋭い光が差し込めば、「これは神の恩寵と」思わず感謝したくなった。正にその時、私は「光の聖書」の中に居たのである。   そうか、この「光の聖書」の中に身を置けば、例え文字は読めないパリの市民たちも、聖書の物語を理解し、奇跡を信じ、従順な神の下僕(しもべ)いることを願ったに違いない。  そして、市民たちはこの美しい空間をこの地に造り、自分たちに特別な...