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四長、パリへ行く‼️(写真編⑩〜ハンムラビ法典)

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  石柱の高さは2.25m・材質は玄武岩、全面に楔形文字で条文が記録されている。  ルーブル美術館の「ハンムラビ法典」が記録された石柱である。  「ハンムラビ法典」は、紀元前18世紀にバビロニアで発布された法典。フランス人考古学者がこの石柱をイランで発見、フランスに持ち帰り、現在は此処、ルーブル美術館に所蔵されている。 「ハンムラビ法典」は、何と言っても 「目には目を、歯には歯を」の 同害報復(タリオ) で有名だ。  小学生の頃、先生が「他人の目を傷つければ、罰として目玉をくり抜く。歯を傷つければ、歯を引っこ抜く」と、かなり刺激的な教え方をした所為で、私の中では「ハンムラビ法典」とは、「野蛮で残酷な法典」というレッテルが見事に貼られていた。  でも、事実はだいぶ異なるようだ。 この 同害報復(タリオ) は、犯罪に対して厳罰を加えること( 厳罰主義 )を目的としているのではなく、 報復の上限 を規定しているのだそうだ。  人間の性として、報復の上限を定めなければ、報復の連鎖・エスカレーションは際限なく続く。そうなれば最後には、社会全体が崩壊してしまう。それを避けるために法律で報復の上限を定めたのだ。  それ故「ハンムラビ法典」は 罪刑法定主義(※) の起源とされ、人類最初の「智慧の法典」と呼ばれている。  翻って現下の世界情勢と言えば、悲観的にならざるを得ない状況だ。各国のトップは、この「智慧の法典」を完全に無視している。  自国が少しでも攻撃を受ければ(or受けそうになれば)、「〇〇を火の海にしてやる!」とか、「〇〇の文明を一晩で消してやる!」とか「石器時代に戻してやる!」とか、仮定の話としても如何にも物騒だ。  中には報復手段として、核兵器の使用までチラつかせるトップもいる。報復のリミッターがぶっ飛んでいるのだ。このままでは世界が崩壊する、、、  そこで、(この年迄「ハンムラビ法典」を誤解していた私が偉そうだが)私は言いたい!世界の指導者諸君に! 「ルーブル美術館に行って、この石柱の前に立ち、紀元前18世紀の「智慧の法典」を学べ!」と、、、倍返しは半沢直樹だけで良い。 (※)罪刑法定主義により、国民は「どんな罪を犯したら、どういう処罰をされるのか」を前もって知ることが出来るようになった。一方、権力者(含む裁判官)は恣意的や後出しで犯罪名や刑罰を作り、国民を...

四長、パリへ行く‼️(写真編⑨〜ロダンの「歩く人」)

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  オルセー美術館のロダン・コナーにある「歩く人」である。(因みに私は「歩きながら考える人」である)  この「歩く人」!ロダンにとっては非常に重要な作品。ロダンの名誉を回復した作品である。  この作品の発表する迄、ロダンはある黒い噂!フェイクニュース!に悩まされていた。その3年前に発表した作品、等身大の立像「青銅時代」が、余りにリアルであったため、「ロダンは人体を型取り(デスマスクみたいに?)している」と噂されたのである。  現代を生きる私なら「そんな噂をする輩は、君の才能に対して嫉妬いるんだ。言いたい奴には言わせておけ!何れ、わかる人にはわかるよ」とアドバイスしたいところだが、ロダンはその噂が絶対に許せなかった。  「目で観察して、手で再現する」と言うミケランジェロの後継を自負していたロダンとしては、何としても払拭しなければならない噂だった、、、そこでロダンはどうしたのか?  この「歩く人」を造ったのだ。等身大ではなく人体よりも一回りも二回りも大きなこの像を、、、噂は消え去り、ロダンの名声は永遠のものとなった。(当時、3Dプリンターは無かった) (※)現代アートに於いては、型取りもコピーも3Dプリンターも表現方法として認められている。但し、使った方法を正確にディスクローズするのが絶対条件だ。本当は型取りしたものを、自分が彫ったとか造ったと言うのは許されない。 昔も今もインチキをアートとは呼ばない。

四長、パリへ行く‼️(写真編⑧〜ボン・マルシェ百貨店)

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「 ボン・マルシェ百貨店」である。パリ7区にあり、世界最初の百貨店と言われている。  フランス語で「ボン・マルシェ」とは「安い」と言う意味だが、現在はルイ・ヴィトンで有名なLVMHの傘下であり高級路線に変わっている。  そんな高級百貨店「ボン・マルシェ」の1階(フランスでは0階)の化粧品売り場、吹き抜け天井からぶら下がる幾つもの干し草の塊を見れば、上に乗っているのは牛や豚やアヒルといった家畜たちだ。写真を撮り損ねたが、百貨店の10面くらいあったショーウィンドーのディスプレイも、それぞれ異なる家畜たちがキュートに飾られていた。  高級百貨店に家畜‼️こんなミスマッチな組み合わせも成立するのは、フランスが世界有数の大農業国たる所以か⁉️改めてフランスという国の奥深さ、豊かさを実感❗️

四長、パリへ行く‼️(写真編⑦〜オペラ座のラルフ・ローレン)

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    パリ・ オペラ座の南正面である。現在ファサードの修復工事中であるが、そこはさすがパリ・オペラ座!工事の覆いもセンスが光る。  パリっ子に「パリの中心は何処?」と質問すると、大半は「オペラ座」と答えるそうだ。待ち合わせ場所としても「オペラ座の前で、、、」と言うのが多いそうである。  でも、「オペラ座の前」って言っても、東西南北どの面だろう?と思いオペラ座を一周してみた。  圧倒的に待ち合わせ場所として優れているのはこの南面だ。歩道部分が広場のように広いし、座って待つには手頃な階段もある。その日も日本の「ゆず」みたいなデュオが路上ライブをしてた。いつも待ち合わせに遅れてくる恋人を待つには最高の場所かもしれない。  そんな人の集まる場所に巨大広告を出す「ラルフ・ローレン!」、歴史的建造物と最新モードのミスマッチが、何ともオシャレ!素敵だ!

四長、パリへ行く‼️(写真編⑥〜オルセーの大時計)

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  オルセー美術館のレストラン。背景にある大きな時計は、美術館が昔、駅であったことを今に伝える。そう言えば、レストランの喧騒も、何処かターミナル駅の待合室のそれに似ている。

四長、パリへ行く‼️ (写真編⑤〜アントワーヌ・ブールデル)

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        ブールデルは生涯45点ものベートーヴェン像を造った。  その理由として色々な説が流布しているが、周囲の人達から「ベートーヴェンの顔とブールデルの顔が似ている」と言われ、本人もそれが満更ではなかったという説が最有力だ。  その為か、ブールデルの造るベートーヴェン!イケメンでチャーミングだ。成程‼️納得です‼️。

四長、パリへ行く‼️(写真編④〜エドゥアール・マネ)

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    大混雑のオルセー美術館ではあったが、この絵の前に遮る人無く、自分にしては上手に撮れた。エドゥアール・マネの『笛を吹く少年』‼️。日本の浮世絵の影響か画面が単純化され、当時の西洋絵画には珍しく背景が無い。因みにNHKの音楽番組によれば、少年の指遣いから吹いている音は「ソ」!、画面から聞こえるみたいだ。

四長、パリへ行く‼️(写真編③〜エトワールの凱旋門)

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  凱旋門は洋の東西を問わず世界各地に存在するが、単に「凱旋門」と言えば、この「エトワールの凱旋門」を指す。  だが、今日の主役はこの門ではない、主役は門の下のアーチ型の空間だ。  1967年公開のフランス映画「冒険者たち」では、映画の前半部でこの空間が大きな役割を演じた。アラン・ドロン扮する主人公の凄腕パイロットが、賞金目当てにこの空間を小型飛行機でくぐり抜けようと企てたからだ(※1)。  (結果は決行日当日、この空間には門からフランス国旗がぶら下げられており、ドロンはこの企てを断念する)  私は当時アラン・ドロンが大好きだった。「太陽がいっぱい」の影のある、それでいて華もある繊細な演技に強く惹かれていた。それ故、この「冒険者たち」への期待も大かった、、、しか期待は虚しく裏切られ、鑑賞後の感想として、残念な思いだけが残った。  何が残念かと言えば、一番はこの映画のタイトル!「冒険者たち」!だ。何が「冒険」だ!「凱旋門くぐり」はもし失敗したら大惨事だ。  フランス人の、パリ市民の誇りである凱旋門を大きく損傷する。門の周囲や広場にいる多く無辜の人々を巻き込み、死傷者だって出る可能性が高い。  当時、純粋?だった私は、これを「冒険」とは言ってはいけない、未踏の山や深海、そして宇宙などを探検する本当の「冒険者たち」に失礼だと思った。こんなのは単なる「無謀な企て」だと、、、  そのとき頭に閃いたことも覚えている。この「冒険者たち」とのタイトルは日本の配給会社が勝手に付けたもので、フランス語の原題名は違うのでは?と、、、  早速調べたが、原題も「Les Aventuriers」と「冒険者たち」だった。納得出来ない気持ちだったが、当時はそれ以上調べる術も無い、そのまま時は流れていった、、、  ところが、今回渡仏前、ある事実を知った。この映画「冒険者たち」には原作の本があり、本のタイトルは「生き残った者の掟(原作者ジョゼ・ジョヴァンニ(※2)」だと、、、  そうか「生き残った者の掟」か?映画のタイトルとしても「冒険者たち」より遥かにしっくりくる。何十年ぶりにスッキリした。  改めて、門の下の空間を見つめる。大きなそして何とも魅力的な空間だ。くぐりたい気持ちも十分に分かる。 でも飛行機でくぐるのはダメだ!普通、門は冒険しないで歩いてくぐるものだ! (※1)1919年、第一次世界大...

四長、パリへ行く‼️(写真編②〜ダリュ階段)

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  「 サモトラケのニケ」が鎮座するルーブル美術館「ダリュ階段」の踊り場である。  この「ダリュ階段」!、現在もルーブル美術館で最も美しい階段と呼ばれているが、その歴史は古い。  19世紀の初頭にルーブル宮に誕生する。その後も多くの名建築家たちにより改修が重ねられ、現在に至っている。一体どれだけの数の人が、「ニケ」を見上げ心昂らせて、この階段を昇って行ったのだろう?  一方、この階段を降りて来て、世界のファンを一気に魅了、心をしっかり掴んだ銀幕のスターもいた。オードリー・ヘップバーンだ。  ローマの休日の4年後に封切られた映画「パリの恋人」で、彼女はジバンシィのドレスを身に付け、「ニケ」のポーズを真似て、ゆっくりと階段を降りて来た。正に女神降臨!である。  彼女がフレッド・アステアと共演したこの「パリの恋人」は、彼女にとって初のミュージカル映画だった(※)。  歌もダンスも吹き替え無しで挑戦している。特にダンスはアステアも顔負けのキレキレ!元々バレリーナ志望であったオードリー!封印してきたミュージカル女優としての才能を思い切り解き放った。  映画は「凱旋門!」「シャンゼリゼ!」「オペラ座!」「エッフェル塔!」とパリの名所を余すとこ無く巡る。彼女は終始ご機嫌で、開放感・充実感・幸福感に満ちているような演技だった。  きっと、あの映画撮影の後、もし記者会見があったなら、記者の質問に彼女はこう答えたに違いない。 「勿論、ローマは大好き!これは変わらない。でもパリも好き、、、大好き!」と、、、 (※)当時、ハリウッドで最も売れて多忙なオードリー・ヘップバーンだったが、「パリの恋人」はダンスの天才フレッド・アステアと踊れるということと、撮影が大好きなパリで行われることで、大喜びで出演を受諾したという。

四長、パリへ行く‼️(写真編①〜セーヌ川左岸)

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 サン・ミシェル橋より、セーヌ川左岸を望む。  目を凝らすと、河岸の遊歩道を散歩する人もちらほら見える。このところパリは、曇天続きで、皆んな寒そうだ。  セーヌ川は水質改善が進み、昨年8月のパリ・オリンピックでは、遂にトライアスロン競技の開催会場となった。  この寒さと河岸近くの濃い黒緑色で透明度ゼロの水の流れを見ると少し信じがたい。結構無理をしたのではと勘繰ってしまう。  むしろオリンピックの一年前にNetflixで配信された「セーヌ川の水面の下に」の方が、今の私にはリアルに感じられる。    セーヌ川の奥深くには、巨大人喰いサメが棲んでいるという話だ。  今、背筋がゾクッとしたのは寒さの所為だけではない、、、ほら、其処其処!遊覧船の左手!大きな黒い影が浮上したの見えなかった?