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8月, 2023の投稿を表示しています

《写真漢詩》四長の「SEPTEMBER SONGS」

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    九月である。まだまだ全然暑い。でも、昨日と気温的には何も変わらないのに、何か秋を感じてしまう、、、暦の不思議な力である。  私の大好きな作詞家松本隆に、九月を前面に出してヒットした名曲が2つある(もっとあるかも知れないが)。一つは1977年太田裕美に提供した「九月の雨」、もう一つが1979年竹内まりやに提供した「SEPTEMBER(セプテンバー)」である。二つとも女性の九月の失恋の歌詞である。   1977年〜1979年といえば、私は大学生から社会人になるところで、いずれにしても学生気分満載の頃で、九月の失恋というのには強烈な臨場感を感じた(こちらは男性の失恋ではあるが)。「大学生の九月の失恋!」、この確率はかなり高い!もう必然!だ。何故なら理由がある。「大学生には九月の前に長い長い夏休みがある」からである。  例えば、私の友人の場合はこんな感じだった。「四月に同じクラスの彼女とステディな関係となった彼!有頂天で授業中?も、私は彼女とのアツアツ話を聞かされていた。夏休み前までは、、、夏休みが来て、彼は田舎へ帰省する。彼女は東京でバイトだ。そうすると彼女はバイト先の年上の男性と出逢う。彼よりずっと魅力的だ。夏休みが終わり、彼は帰省先から東京に帰る。すると彼女の態度がおかしい、、『実は、、』、、もう『九月の雨』や『SEPTEMBER』の男性版世界に突入だ。」そんな話を九月の大学の階段教室の一番上でよく聞いたな、、、   もう一つ、松本隆が九月に拘った理由があると思う。英語の「セプテンバー」という音の響き、曲に載せた時のリズム感だ。アメリカンポップスでも「セプテンバー」がタイトルや歌詞に入った曲は一杯ある。日本でも、矢沢永吉の「SEPTEMBER MOON」だったり、ユーミンの「September Blue Moon」だったり、目白押しだ。確かに「オクトーバー」では、さすがの太田裕美や竹内まりやでもサビの部分がイマイチだ。絶対にヒットしなかっただろう。

《写真漢詩》四長、足立美術館で借景の美を味わう。

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   島根県安来市の「足立美術館」の庭園である。米国の日本庭園専門雑誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」の日本庭園ランキングで、初回の2003年から「20年連続日本一」に選出されている名園である。修学院離宮らの強豪を押さえての栄誉だ。私も漢詩で詠んだ通り、その贅沢さに圧倒はされる。でも、人に「貴方の名園日本一は足立美術館庭園か?」と問われれば、イエスとは答えないだろう。その理由は明白だ。私は中に入って歩き回れる庭園が好きなのだ。足立美術館の如く、決められた位置から眺めるだけの庭園に対しては、感動が不完全燃焼で終わってしまうのだ。  しかし、名園であることは否定しない。その美しさは賛美に値する。一番の特徴は「借景」との融和であろう。人工の滝を組み込んだ背後の山(勝山)と、美術館の庭との境は全く判らない。創設者、足立全康の「庭園もまた一幅の絵画である」という信念が、完璧に具現化されている。   でも、此処で性格が素直でない私は思う。「借景の山の部分に、不自然な建物や看板が建築されたら、どうするのだろうか?」と。唯、その答えは簡単だった。過去にもそのような危機は何度も起こったが、創設者・足立全康の指示で、危機の情報を察知した段階で、当該土地(山の斜面等)を買い上げていったそうだ。そして、今ではもうその手の危機の心配は要らないそうだ。さすが一代の豪商・足立全康の嗅覚と財力は大したものだ。でも、それってもう「借景」とは言わず「自分景」である。   「借景」、それは西洋にはなく、日本人と中国人が好む美的感覚とのこと。当然、我が家にもある。唯、我が家はマンションの13階であることから庭はない。「借景」だけがある。そして我が家の「借景」に関しては、悲しい物語があった。こんな話だ。我が家がマンションに入居したときには、ベランダから、遠く東京タワーが見えた。その前、千葉に住んでいた我が家族にとって、東京タワーは、大都会東京の象徴だ。東京タワーが見える夜景は「最高の借景」だった。そして私は思っていた。「このマンションは、おそらくは終の住処、死ぬまで東京タワーを眺めて過ごすのだ。」と、、、、  ところが、ところがである。その「死ぬまで東京タワー構想」は見事に崩れる。ある日突然、東京タワーが見えなくなったのだ。我が家のあるマンションと東京タワーとの間を塞ぐ別のマンションが建築さ

《写真漢詩》四長、福島県立美術館でベン・シャーンを想う。(福島吟行1)

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    福島県立美術館とベン・シャーンとの縁は不思議だ。最初に美術館がベン・シャーンを自らのコレクションに加えようとした経緯を私は不勉強で知らない。でもその後、所蔵当時は全く想像すらしていない東日本大震災が発生する。ベン・シャーンを所蔵する美術館として、福島県立美術館の存在意義は、より大きなものに変貌を遂げた。 版画集「一行の詩のためには、、、リルケ「マルテの手記」より」福島県立美術館蔵、ベン・シャーンは線を極めたと言われる。     ベン・シャーン、ロシア(現リトアニア)生まれのアメリカ人アーティスト、抽象表現主義隆盛の20世紀アメリカ現代美術界に於いて、「世直し画家」と言われた社会派の巨人である。  1981年、その彼の数ある作品群の中から、美術館は最もセンセーショナルな作品「ラッキー・ドラゴン」の購入を決断した。  私はそれを知ったとき、「ラッキー・ドラゴン」の意味を深く考えず、「ラッキー・アイランド(福島)」が「ラッキー・ドラゴン」を購入したのか、というような軽薄なことを考えていた。 後に「ラッキー・ドラゴン」が、ビキニ環礁でアメリカの水爆実験で被曝した第5福竜丸の(福竜)を指すのだと気付いたときは、本当に驚いた。自らの軽薄さも反省した。  (私が住む江東区の夢の島公園にある「都立第5福竜丸展示館」で、船体展示を見学したことがあるのに情けない話だ。)  そして、改めてアメリカ人として「ラッキー・ドラゴン」を描くことに精力を費やしたベン・シャーンというアーティストの想いと、所蔵を決意した美術館のセンスに敬意を表したことを記憶している。 「ラッキードラゴン」福島県立美術館蔵。手には「私は久保山愛吉という漁師です」で始まる文章を持つ。   そして、次に私が驚いたのは、震災の翌年、まだ福島第一原発の放射性汚染問題が世界中の注目を集める最中の2012年の夏だ。  福島県立美術館がベン・シャーンの大規模回顧展を開催すると聞いたときだ。回顧展は神奈川、名古屋、岡山、最後に福島と巡回するという。  巡回が始まり、そして次は福島の番となったとき、事件は起こった。アメリカの美術館が福島開催のみ作品の提供を拒否するというのだ。作品が放射能物質に汚染する可能性があるという理由で(実は、当時アメリカは、単なる汚染だけでなく、福島原発4号機の更なる事故も懸念していたことを、私は最近にな

《写真短歌》四長、ダリアを見て、ジョセフィーヌを語る。

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   もし貴方がダイアの花を親しい人から贈られたら、、、何しろダリアの花言葉は「不安定!」と「移り気!」、、どちらも複雑だ。最近の自らの行動を振り返った方が良いかもしれない。  花言葉「不安定」の由来は、短歌の解説にあるように、フランス革命の混乱だ。でも、もう一つの花言葉「移り気」を決定づけたのは、ジョセフィーヌだろう。フランスの英雄ナポレオン・ボナパルトの最初の妻。ルーブル美術館にあるダヴィッドの大作「皇帝ナポレオン1世と皇紀ジョセフィーヌの戴冠」の絵の中で、皇帝ナポレオンから戴冠を受けているあの皇妃である。   このジョセフィーヌ、とにかくダリアの花が大好きだった。しばしばダリアの花に囲まれた庭で、園遊会を催し、ダリアが彼女の代名詞となった。そしてまた彼女の「移り気」ときたら、これはもう半端ない。年齢詐称でナポレオンをゲットしてからも浮気しまくり、浪費もしまくる。現代であれば、毎週「文春砲!」「新潮砲!」が炸裂だ。その後、嫡子が出来なかったことを理由にナポレオンに離婚される。でも、流石のナポレオンも彼女の浮気性には手を焼いたというのが真相のようだ。 横浜・港の見える丘公園の花壇で撮影    此処まで書くと、ジョセフィーヌ!とんでもない女性のようだ。しかし彼女、唯の浮気女ではない。人気があったのだ。兵士や市民たちに絶大な人気が。全く飾らない性格でスキャンダルにもめげず常に明るく振る舞う健気な、それが人気の理由とされている。  でも、私はもう一つ決定的な理由があったと思う。その理由とは「あげまん!」。彼女はナポレオンにとっては勿論、フランスの国にとってもかけがえのない「あげまん」だった。それ故、国全体が彼女を勝利の女神として受け入れた。国民が彼女と右肩上がりのフランスを共有していたのだ。  そしてその国民的人気が奏功する。彼女は、ナポレオンと離婚した後も、ナポレオンが失脚した後も、パリ郊外のマルメゾン城で過ごす。フランス革命のマリーアントワネットとは違い、以前とあまり変わらない生活(多額の年金が支給されていた)を送ることを国民から許され、人生を全うする。恐らくはダリアの花に囲まれて、、、 私の中では、ダリアの花言葉は「あげまん」だ。  

《写真漢詩》四長、中禅寺湖でフクシマを考える。(日光吟行シリーズ1)

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    栃木県・日光の中禅寺湖である。湖畔に立つ「旧英国大使館別荘」で漢詩を詠んだ。中禅寺湖は最近では吉永小百合がモデルを務めたJRの「大人の休日倶楽部」のCMのロケ地として有名だ。そして此処は明治から昭和初期にかけては、人気の国際的避暑地であった。そのため、今も当時の各国の大使の夏の別荘が残り、多くは中を見学することが可能だ。皆、瀟酒な造りで、海外ドラマの見過ぎの私は、この地で、国際ロマンスやスパイ活劇が繰り広げられたのかと妄想が止まらない。(ロマンスやスパイ活劇はともかく、西欧の大使たちは、家族団欒のバカンスを、ボートやヨット遊び、そして魚釣りに興じ過ごしたようだ。) 旧英国大使別荘 旧イタリア大使別荘       そんな人気の避暑地・中禅寺湖が、ごくごく最近まで福島第一原子力発電所の事故の影響を受けていたこと、あまり皆さんも知らないと思う。私もこのブログを書いていて初めて知った。  実は中禅寺湖の水産業やゲーム・フィッシングが、放射性物質汚染の影響で、長く大きな制約を受けていたのである。魚種別に漸次解禁されたが、最も長く制約を受けていたのは、日本で唯一この湖で繁殖しているとされる「レイクトラウト」だ。体内の汚染濃度が減衰した2023年3月まで、一切の持ち出しが禁止されていたそうだ。 (科学的且つ慎重な対応には敬意を表したい。)  私も、此処を訪れたとき(2021年6月)は、その事実を全く知らなかった。中禅寺湖!福島県の隣県栃木県にあると言っても、湖があるのは県の西の端である。直線距離で100km以上はあるだろう。そして時間も10年以上という結構長い年月が経っている。想像出来なかった。  発電所では津波の後、爆発やベントで放射性物質が拡散した。あの日の風向き、海洋と違う湖というある意味閉鎖的環境、そんな条件が、幾つも重なっての汚染であろう。放射能汚染という目に見えない災害の不気味さを改めて感じさせる話だ。長い時間翻弄された地元の人の割り切れなさも、想像するとやりきれない。美しい湖の写真を見返しながら、複雑な思いが交錯した。 美しすぎる湖の風景、当時、私は放射性物質汚染を連想することはなかった。  

《写真漢詩》四長、幼い頃の台風の夜を思い出す。

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    漢詩に詠んだ様に、子供の頃、台風が好きだったと友人たちに話したら、皆んな、実は自分もそうだったと告白した。面白いのは、皆んな台風が日本列島に近づいてくると、頭の中に、あの名曲ゴジラのテーマが流れてドキドキしたというところまで共通している。やはり、子供は非日常が好きで、少なからず興奮するということか、、、(学校が休校になるってのも大きな理由だろう。)  そんな、子供たちも大人になれば、台風が嫌いになる。台風が来ても会社へは行かなければならないし、休みになっても、その分収入減になったりする。結構前から決めて楽しみにしていた旅行もキャンセルしなければならないことだってある。何よりも台風の被害に遭われた人たちの気持ちを考えれば、台風が好きとは言えないし、実際に好きにならないだろう。   では、本当に台風が無くなって良いのだろうか?こちらは結構難しい問題だ。国土交通省のHPを見れば、それが分かる。渇水対策のページだ。島国で国土の狭い日本。外国の河川と比べても勾配が急で、長さも短く、降った雨が短時間に海に流れて行ってしまう。そのため、国民を水不足から守るためには大量な水が必要になるのだ。そしてその大量の水の確保には、①降雪による雪解け水が一定量あること②カラ梅雨にならないこと③数個の台風が上陸することが前提になっているのだ。  この3つ前提!年々酷くなる地球温暖化で、①も②も前提に置いておくには、徐々に厳しい状況になるだろう。でも③の台風については、少し違う、こちら温暖化の進行とともに、大型の台風(スーパー台風)が増えていく状況にあるのだ。大型の台風が上陸すれば、この国に甚大な被害を齎す。一方で台風が上陸しなければ、この国は深刻な水不足に陥る。本当に悩ましい問題だ。  悩ましい問題ではあるが、答えはもう出ているような気する。(治水に素人の私が恐縮だが)大前提として賢く治水(賢く国土強靭化?)して、後は台風に来てもらうしか無いだろう。上の漢詩の様に、今度は大人が、いや国が、台風が好きになり、ドキドキして上陸を待つ。少しシュールな感じもするが、それが近未来像かも知れない。   このブログを書いている間にも、カナリア諸島の大規模山火事の報道があった。先日のハワイ・マウイ島に続いて大変怖い話だ。日本も他人事ではない。山火事対策としても、台風による大量の降水で山が、水分を含んだ状

《写真漢詩》四長、「晩夏」に詩人ユーミンの真骨頂を見る。(ユーミン②晩夏)

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写真は江東区・木場公園    漢詩の タイトルの「逝夏」は「夏が逝く頃」の意で、二十四節気の「処暑」を過ぎた8月23日から9月1日までくらい、そう「晩夏」とだいたい同じ期間を指しているつもりだ。  この漢詩、言うのも恥ずかしいが、詩草を書いていたとき、恐れ多くもユーミンの名曲「晩夏」を意識していた(意識?単に思い出しただけだ)。  ユーミンの「晩夏」!、荒井由実としてリリースした最後のアルバム「14番目の月」の10曲目(最後)の楽曲である。少しアンニョイな感じで始まり、いつもの透明感あるサビに繋がるメロディラインは流石だ。しかし、私はこの曲に関しては、圧倒的に詩の素晴らしさに魅了される。  ユーミンの作詩の源泉が「フランス文学」と「絵画」にあることを、前に本人のインタビュー番組で聞いた。美大受験のために通ったお茶の水の美大予備校やアテネフランセ?で培われたそうだ 。 軽井沢・近衛文麿別荘    私は楽曲「晩夏」に、その二つ源泉から滲み出た何かを感じる。フランス文学については、私は全くの素人だ。でもユーミンが耽溺したのが、シャンソンの名曲「枯葉」の作詞でも有名なジャック・プレヴェールと聞けば、「晩夏」には「枯葉(こちらは晩秋)」と同じフランスの香りが滲み出ている気がする。(完全な決めつけ、思い込みだが、、、)  「絵画」について、もう明白だ。「晩夏」!、それは大地が色づき出す秋の前の、凡人には色彩を感じることが難しい季節だ。それにも拘らず、ユーミンは「夕焼けを吸って燃え立つ葉鶏頭」」「空色は水色に、茜は紅に」「藍色は群青に、薄暮は紫に」「深いしじまに輝き出す」と、次々に絵画の源泉から滲み出た色彩を連ねている。それもこの上ない美しい日本語を紡ぐことによって、、、  ユーミンより1つ歳下の竹内まりやが、ラジオ番組で「『晩夏』は美大出身のユーミンにしか書けない曲」!と絶賛した。有名な話だ。素直にそして一言で「晩夏」を解説してしまった竹内まりや!こちらも只者ではない。  富山県南砺市の田園地帯   ここ迄書いて、もう一度、自分の漢詩を読む。「色が無い!」「色が枯れている!」やはり凡人がユーミンを意識するなど、恐れ多いことだ。

《写真漢詩・短歌》四長、雲海を見て「ノンちゃん雲に乗る」を思い出す。

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   漢詩は、出雲空港を離陸し、羽田空港へ向かう機上で詠んだ。  毎度のことだが、私は雲の上に出ると、思い出す映画がある。幼い頃、街の公民館で見た「ノンちゃん雲に乗る」だ。私の記憶では、私が初めて見た映画だ。主演の女の子を鰐淵晴子が演じた。(最近、母親役が原節子だったことを知った。)内容は殆ど覚えていないが、この映画は、私に大きな影響を与えた。映画を観てから2、3年、私は信じていた。「雲に乗ることが出来る!」と。そして「いつかは雲に乗りたい!」と思っていた。出来ないと知ったときのショックは大きかった。  「ノンちゃん雲に乗る」の著者石井桃子は、翻訳家として「くまのプーさん」「ピーターラビット」等多くの外国の児童文学を訳し日本に紹介した。編集者としても敏腕で「岩波少年文庫」は彼女の企画・編集であり、「星の王子様」を岩波書店から刊行したのも彼女の功績だそうだ。素晴らしく垢抜けたセンスの持ち主で、彼女に憧れた文学人も数多い。太宰治は、その代表選手で、「太宰の彼女への思慕が成就していれば、太宰はもっと長生きをしただろう。」とさえ言われている。     アニメ作家、宮崎駿の彼女へのリスペクトも半端でない。彼女の責任編集の「岩波少年文庫」は彼のバイブル以上の存在で、著書の「本へのとびらー岩波少年文庫を語る」の中で「①歯がたたない。②別格であることは痛切に感じ尊敬している。③只事じゃない人だと思っている。」と絶賛している。    そういえば、宮崎駿の作品の主人公は、「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」、そして「となりのトトロ」、ほぼほぼ皆んな空を飛ぶ(もののけ姫は例外か?)。宮崎駿も少年時代、「ノンちゃん雲に乗る」の映画 を観たに違いない。そして「雲には乗れる」→「雲に乗りたい」→「雲まで飛んで行こう」と想像の翼を広げていったのだろう。きっと。

《写真漢詩》四長、南砺で蟲の声に聞き入る。(富山吟行シリーズ10)

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   漢詩は、昨年の8月下旬訪れた富山県南砺市のオーベルジュ「薪の音」で詠んだ。山里は夏の終わりを告げるツクツクボウシに代わって、もう秋の虫たちの饗宴の季節が始まっていた。  「秋の虫たちの饗宴」と言えば、私は小学校の音楽の時間に歌った「蟲の声」を思い出す。「蟲の声」は作詞・作曲の欄に文部省唱歌とあり、個人名が記されていない。調べてみると文部省唱歌とあるのは、本当に文部省の関係者たちが、共同作業で作詞・作曲をしたものらしい。「蟲の声」も皆んなで「やはり一番バッターは松虫だ!」とか「コオロギは絶対に入れるべきだ!」とか喧喧諤諤やり合って作詞したのか?と想像すると面白い。  私は大変良く出来た詩だと思う。日本人として誇りに思って良い詩だと思う。最近は小学校の音楽の時間から、文部省唱歌がどんどん消えていると聞くが、私はこの「蟲の声」は是非にでも残すべきだと思っている。(もう消えているかもしれないが、、、)   その理由は3つある。①まずタイトルの「蟲の声」だ。当たり前の話だが、虫が口から声を出す訳ではない。羽を擦り合わせて音を出しているだ。この擦り合わせ音を声と認識しているのは日本人だけだそうだ。外人には、この音は雑音、騒音としか聞こえず、耳を塞ぎたくなるだけの音なのだ。「蟲の声」!、日本人の優れた繊細な感性の象徴だ。是非、子供達に伝えて欲しい。  ②次に「チンチロリン」とか「リンリンリーンリン」とかの擬音が良い、丁寧にそれぞれの秋の虫の羽音を聴き分けて、尚且つ押韻している。素晴らしい。2番の「後からウマ オイ 、 追い かけた、、」ってのも「頭韻」みたいで洒落ている。この辺も、丁寧に子供達に教えたいものだ。擬音は子供は大好きだ。  ③最後にこれは、個人的な趣味だが、冒頭の「 あれ 、松虫が、、」の あれ が好きだ。意味がよく分からないけどキャッチーだ。 あれ は、感動詞なのか指示代名詞なのか、私は昔から意識したことはないし、今も分からない。でも、私の小学生時代は時代劇に出てくるお姫様が、悪人に攫われそうになると、「あれ〜」と大声出すってのがお約束だったので、皆んなそれを想像しながら歌っていた。兎に角、キャッチーな出だしだ。今の子供がどう思うか聞いてみたい、、、   ところで、「蟲の声」ファンの私だが、実は一番バッターの松虫の声「チンチロリン」を聞いたことがない。聞けば、

《写真漢詩》四長、ウィーン・オペラ座でワルツに酔う。(ユーミン①真夏の夜の夢)

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   ウィーンの国立歌劇場(オペラ座)である。2019年の夏に訪れた。昼間の見学で、その日の夜のコンサートの当日券を購入した。渡航前には全く予定に入っていないイベントだったが結構興奮した。本場のウインナワルツに酔いしれ、夢心地になった。漢詩の第一句に「想出是真夏夜夢」と詠んでいるのは、その高揚感の賜物だ。  「真夏の夜の夢」、英国の文豪ウィリアム・シェークスピアの書いた舞台劇、ギリシアのアテネ近郊の森で、人間と妖精が繰り広げる喜劇である。 オペラ化、映画化もされた。此処、ウィーンのオペラ座でも何度も上演された演目である。 ウィーン国立歌劇場(オペラ座)の内部   その「真夏の夜の夢」をタイトルに借りて、大ヒットを飛ばしたシンガーソングライターがいる。ユーミンこと松任谷由実だ。  ユーミンの「真夏の夜の夢」。1993年、TBSのTVドラマ「誰にも言えない」(佐野史郎と賀来千香子主演の冬彦シリーズの第2弾)の主題歌だ。その歌詞はそれまでのユーミンの透明感のある歌詞の世界からはかなり遠くにある。冒頭の「骨まで溶けるよな、、、」に象徴されるようなドロドロの歌詞に、みんな驚かされた。(少し前に、ユーミンの夫で、この曲のプロデューサーの松任谷正隆が、編曲で意識したのは「猥褻・下品な感じを如何に醸すか」と言っていたのも頷ける。)  冬彦シリーズに、その曲のドロドロ感はピッタリとハマった。相乗効果で曲は、彼女のシングルでは初めてのミリオンセラーとなった。大ヒットだ。でも、タイトルが何故「真夏の夜の夢」なのか?は今も分からない。ユーミンに聞いてみたいところだ。 昼のウィーン歌劇場(オペラ座)   ユーミンがどこまでこのシェークスピアの喜劇を意識して作詞・作曲したのか?私には調べる術は無い。でも歌詞を読んだ私の推理は次の通りだ。「①ユーミンはシェークスピアの喜劇の内容は知っていた。②一方で自分の詞は、シェークスピアを全く意識していないで書いた。③でもシェークスピアからタイトルだけは借用することにした。」である。本人も感じていただろう。詩とタイトルのミスマッチを。何しろ、シェークスピアの舞台はアテネの森!ユーミンのはカリブ海!なんだから、、、唯、閃いたのだろう。ミスマッチさがウケると。  世界的に有名な舞台劇のタイトルを「借用」して、全く違う物語を紡ぐ。簡単な話ではない。凄まじいプレッシ

《写真漢詩》四長、故人の生涯現役を讃える。

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   上の漢詩は昨年の夏に詠んだ。自分としては、結構気に入っていた。当時の体調の変化や心の動きもリズミカルに表現出来たと、、、しかし出来た漢詩を見せたら家族に叱られた。「本当に深刻な状況になったらどうするの?」「熱中症情報の厳重警戒が出ている時は、家で大人しくしていて!」と、、、当然だ。少し反省した。  今年も猛暑日が続く。熱中症情報の厳重警戒も毎日だ。そんな中、テレビ画面に、私が気になるテロップが頻繁に流れる。「90歳以上の人が、農作業中に熱中症で亡くなった。」というテロップだ。このところ連日のように見かける気がする。年齢は90歳以上、性別は男性も女性も両方ある。  先ずは、ご家族の悲しみは如何許りかと思えば辛い。また、亡くなられたご本人も、予期せぬ突然のご不幸、無念であったに違いない。心からお察し申し上げ、お悔やみ申し上げる。   でも、その上で私は思う!色々ご批判はあるかも知れないが、敢えて私は言いたい!「90歳以上で、農作業中に逝く。」なんと立派な人生だと。良く役者さんが「役者は舞台の上で死ねたら本望だ!」と話しているのを聞く。それと同じじゃないのか?農業に携わる人の覚悟も相当なものだ。90歳以上で「畑や田んぼで亡くなるとしたら本望!」と意識、無意識を問わず思っている農業人、結構多いんじゃないかと私は思う。  炎天下、農作業に出かけるくらいだから、最後まで足腰がしっかりしていたのだろう。夏の草取りが、農作物を育てるために必要な大事な作業だと、認識して出かける責任感もプロ意識も大したものだ。そして結果的に家族にも介護や看護の負担を掛けることなく逝く。正に生涯現役!健康寿命全う!これこそ大往生だ!。リスペクトしかない。  あのテロップに、もう少しだけそんなニュアンスが入らないかなと思う今日この頃である。合掌、、、

《写真漢詩》入道雲は死語になるのか?

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    先日、 「驟雨」について書いたブログ(※リンク) の中で、「小さい頃、夏の夕方には、必ず夕立ちがあった(あった気がする)。」と記したら、ある人から連絡があった。「本当に昔は あった。そして、それは科学的に証明出来る。」と。彼曰く「昔あった夏の夕立が無くなってしまったのは、やはり温暖化の所為だ。でも、夏が暑くなったからというよりも、前後の春と秋の気温上昇が原因だ。昔は、季節にメリハリがあり、春と秋がしっかりと涼しかった。そのため夏でも上空の空気は冷やされたままで、夕立ちを降らす入道雲が、毎日のように出来て、結果、毎日夕立ちがあった。」 「ところが、現代は違う。春と秋の気温が上がり、上空と地表の温度差が無くなり、夕立ちを降らす入道雲が出来難くなった。」、、、  そうか、少なくなったのは「夕立ち」だけでなく「夕立ちを降らす入道雲」も気象学的に少なくなっていたのか、、、 亀戸天神から東京スカイツリーを眺める。    私はそれを聞くまで、入道雲という言葉を最近あまり聞かなくなったのは、若い人が「入道」の意味を知らなくなったからだと思っていた。「入道」即ち出家して僧侶になることだ。私の小さい頃は「入道清盛」「入道相国」と言って、平清盛が「入道」の代表選手だった。その頃、清盛は完全に悪者キャラだった。一方で源氏の頼朝・義経兄弟は完璧な正義の味方だった。そのため、もくもくと大きくなる入道雲さえも不気味で憎らしく感じていた。  ところが最近では、清盛は幼い頼朝を殺さず、後にリベンジを許すなど、脇の甘さ(人間的な面)を指摘されるようになった。大河ドラマの世界では、寧ろ昨年の頼朝、今年の信長の方が、ともに実弟を殺すなど、冷酷さ残忍さ(非人間的な面)が強調されている。気象に例えるなら、平清盛が唯の入道雲なら、源頼朝や織田信長は差し詰め「線状降水帯」かもしれない。  小さい頃は、気象も歴史も変わらないものだと信じていた。だが、どうやら違うようだ。少し怖い話だ。 マンションのベランダから眺めた空、あの雲は、入道雲か?線状降水帯か?

《写真漢詩・短歌》四長、初コスモスに山口百恵を想う。

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  山口百恵の「秋桜(コスモス)」、1977年、それまで、宇崎竜童・阿木燿子の楽曲を歌い続けていた山口百恵が、さだまさしの楽曲を急に採用した。ファンには唐突感もあったが、山口百恵自身の選択であったとのことだ。事実であれば、その辺がアーティスト百恵の非凡さかと私は思う。ヒットチャートの一位こそ獲れなかったが、山口百恵は、この曲でその年のレコード大賞の歌唱賞を獲得し、さだまさしは作詞で西条八十賞を受賞した。そして何よりこの曲は日本のスタンダードナンバーとなった。   コスモス!(「秋桜」と書いてコスモスと読むようになったのは、この曲のヒットからみたいだ。)、語源はギリシア語のコスモスで「宇宙」「秩序」の意。対義語はカオス(ケイオス)で「混沌」である。花弁が整然とバランス良く並んでいることから来ているようだ。でも私には、ここ数年の経験(少し偉そうだが)に於いて、開花時期の正確さ、律儀さも語源に影響しているように思える。  コスモスは短日植物の代表選手で、東京では毎年8月20日くらいになると開花を始める。気温に関係なく、日照時間に律儀に反応してだ。温暖化の齎したカオスの中でも、太陽の日照時間は変わらない。年々厳しくなる残暑にも拘らず、健気に秋の気配を伝えるコスモス!正にその語源の通り宇宙の秩序の体現者だ。   このブログを書いていたとき、山口百恵が現在64歳であることを知った。松田聖子も61歳、私は自分の年齢は受け入れるが、(当たり前だ。)自分の若かった頃のアイドルたちの現年齢を直ぐに受け入れることが出来ない。山口百恵は21歳で引退し、その後、ずーっとマスコミにも登場していないので余計だ。「永遠のアイドル」という陳腐な表現も、こういう時に言うのかと思ったときに、ある人の顔が浮かんだ。  三浦貴大!先日、TVドラマの「エルピス」で脇役だが、良い演技をしていた。彼も37歳、すっかり中堅の俳優だ。山口百恵も母、ひょっとしたら祖母かも知れない。宇宙の摂理は不変で、時の流れは誰にも止められない。 整々と流れて行く。それもまた良し、可憐で小さな宇宙(コスモス)を見ながらそう思う。漢詩も出来た。

《写真漢詩》四長、霧の軽井沢で「避暑地の猫(宮本輝作)」を読む。

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  昨年9月の軽井沢である。天気予報が全く外れて、軽井沢は完全に霧の海に沈んでいた。軽井沢は「霧の軽井沢」と呼ばれ、年間100日〜120日は霧が発生する。但し、この霧、結構局地的で街の北東側で濃く、西に行くほど薄まり、追分辺りまで行けば、霧の影響は殆ど無くなるという。  街の北東側といえば、旧軽井沢(縮めて「旧軽」)と言われている地区である。旧軽銀座や万平ホテルがあり、その周りをそれぞれが広大な敷地を持つ昔からの別荘群が囲む地区である。私たちのようなホテルに泊まる旅行者にとっては、「霧の軽井沢も風情があって悪くない。」で済む。だが、別荘族にとっては霧はイコール湿気であり、対策に結構な経済的負担を余儀なくされる悩みの種でもあるようだ。逆に言えば、霧(湿気)との戦いに耐えられる経済力を持った人だけが、別荘族になれるということだ。   そんな旧軽の別荘の中で繰り広げられるドラマを描いた宮本輝の小説がある。「避暑地の猫」である。ひと頃のブームは落ち着いたが、宮本輝は文学界でも指折りの人気作家である。唯、この「避暑地の猫」の評判といえば、あまり良くない。宮本輝ファンに聞いても、「宮本輝の小説は皆んな好きだが、「避暑地の猫」だけは好きになれない。」という人が殆どだ。  宮本輝自身も「悪い人間だけが登場する小説を書いてみたかった。」と言っているので、それが影響していると思う。でも、それなら何故宮本輝は、そんな悪人ばかり出てくる小説を書こうとしたのか?その原因を、私は最近この小説を読み返していて発見した。  小説の主人公は、「修平」というこの旧軽の別荘地の中でも指折りの豪邸の管理人の息子である。そして別にもう一人、小説の影の主役というべき存在がいる。それは「霧」である。霧が悪の病となって、「修平」をそして周りの人物たちを犯していくのである。  宮本輝は、この小説の執筆の大半を軽井沢でしたと聞いた。宮本輝もきっとこの「霧の病」に犯されたのではないか?私はそう睨んでいる。何しろ、旧軽の別荘地は、一年の3分の1は霧に沈んでいるのだから、、、、   実は、評判悪い「避暑地の猫」だが、私はそんなに嫌いではない。初めて読んだ時も、読み返した時も、一晩で一気に読んでしまった。今度また軽井沢で霧の夜に読み返したいとも思う、、、危ない危ない、そんなことを思う私も、ひょっとしたらもう「霧の病」に犯さ

《写真漢詩》四長、庄内川の河川敷で原風景と邂逅する。

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愛知県清須市西枇杷島・庄内川の河川敷、私の子供の頃は一面畑だったが、今は原っぱだ。   2019年放映されたテレビドラマ「やすらぎの刻〜道」、前々年に放映された倉本聰脚本の話題作「やすらぎの郷」の続編だ。  冒頭のシーンは今も覚えている。①主人公の老人ホームに入居する脚本家菊村(石坂浩二)は、新入居者の水沼(橋爪功)の部屋で、山梨の山村の道の写真を見つける。②その道の写真を水沼は自分の「原風景」と言い、想いを語り始める。③その水沼の写真と話にインスピレーションを得た菊村は、山村の夫婦の戦前・戦中・戦後を貫く物語を書き始める。という展開だ。  実際の倉本聰の本作の執筆のきっかけ、執筆作業もこんな感じではないかと思わせる。何千枚にも及ぶシナリオも、最初はこんな一枚の写真から始まるのかと想像すると、改めて脚本家・倉本聰の凄さを垣間見た気がした。唯、この展開を可能にしたのは仕掛けがある。その一枚の写真が水沼の「原風景」だったということだ。「原風景」が物語を呼び覚ますのだ。   私はこの冒頭シーンを見た後、反省した。少し私は「原風景」という言葉を安易に使いすぎているのではないかと。「原風景!」、「人がある年齢に達すると思い出す、最も古い印象(風景・イメージ)。」である。実際の景色だけでなく、心象風景であることもある。当然、人によって千差万別である。でも一人の人間にとってみれば、本当は一つ、少なくとも沢山あるのはおかしいと思った。  そう思ったら、テレビや雑誌でよく聞く「日本人の原風景」という表現にも少し違和感を持つようになった。そんなこと誰が決めたのか?と。そして、その「日本人の原風景」の氾濫が「私の原風景」探しの妨げになっている気もしてきた。  それから、よく考える「私の原風景」は何れだ!何処だ!と、、、候補も色々あり迷うこともあるが、現時点で整理した私の原風景への想いを下の漢詩に託してみた。でも、まだ決定ではない。大事なことだ。ゆっくり、じっくり考えよう。何しろ私が死ぬ 間際に見る走馬灯のファーストシーン なんだから、、