《写真漢詩》四長の「SEPTEMBER SONGS」
九月である。まだまだ全然暑い。でも、昨日と気温的には何も変わらないのに、何か秋を感じてしまう、、、暦の不思議な力である。 私の大好きな作詞家松本隆に、九月を前面に出してヒットした名曲が2つある(もっとあるかも知れないが)。一つは1977年太田裕美に提供した「九月の雨」、もう一つが1979年竹内まりやに提供した「SEPTEMBER(セプテンバー)」である。二つとも女性の九月の失恋の歌詞である。 1977年〜1979年といえば、私は大学生から社会人になるところで、いずれにしても学生気分満載の頃で、九月の失恋というのには強烈な臨場感を感じた(こちらは男性の失恋ではあるが)。「大学生の九月の失恋!」、この確率はかなり高い!もう必然!だ。何故なら理由がある。「大学生には九月の前に長い長い夏休みがある」からである。 例えば、私の友人の場合はこんな感じだった。「四月に同じクラスの彼女とステディな関係となった彼!有頂天で授業中?も、私は彼女とのアツアツ話を聞かされていた。夏休み前までは、、、夏休みが来て、彼は田舎へ帰省する。彼女は東京でバイトだ。そうすると彼女はバイト先の年上の男性と出逢う。彼よりずっと魅力的だ。夏休みが終わり、彼は帰省先から東京に帰る。すると彼女の態度がおかしい、、『実は、、』、、もう『九月の雨』や『SEPTEMBER』の男性版世界に突入だ。」そんな話を九月の大学の階段教室の一番上でよく聞いたな、、、 もう一つ、松本隆が九月に拘った理由があると思う。英語の「セプテンバー」という音の響き、曲に載せた時のリズム感だ。アメリカンポップスでも「セプテンバー」がタイトルや歌詞に入った曲は一杯ある。日本でも、矢沢永吉の「SEPTEMBER MOON」だったり、ユーミンの「September Blue Moon」だったり、目白押しだ。確かに「オクトーバー」では、さすがの太田裕美や竹内まりやでもサビの部分がイマイチだ。絶対にヒットしなかっただろう。