《写真漢詩》四長、庄内川の河川敷で原風景と邂逅する。

愛知県清須市西枇杷島・庄内川の河川敷、私の子供の頃は一面畑だったが、今は原っぱだ。



 2019年放映されたテレビドラマ「やすらぎの刻〜道」、前々年に放映された倉本聰脚本の話題作「やすらぎの郷」の続編だ。

 冒頭のシーンは今も覚えている。①主人公の老人ホームに入居する脚本家菊村(石坂浩二)は、新入居者の水沼(橋爪功)の部屋で、山梨の山村の道の写真を見つける。②その道の写真を水沼は自分の「原風景」と言い、想いを語り始める。③その水沼の写真と話にインスピレーションを得た菊村は、山村の夫婦の戦前・戦中・戦後を貫く物語を書き始める。という展開だ。

 実際の倉本聰の本作の執筆のきっかけ、執筆作業もこんな感じではないかと思わせる。何千枚にも及ぶシナリオも、最初はこんな一枚の写真から始まるのかと想像すると、改めて脚本家・倉本聰の凄さを垣間見た気がした。唯、この展開を可能にしたのは仕掛けがある。その一枚の写真が水沼の「原風景」だったということだ。「原風景」が物語を呼び覚ますのだ。



 私はこの冒頭シーンを見た後、反省した。少し私は「原風景」という言葉を安易に使いすぎているのではないかと。「原風景!」、「人がある年齢に達すると思い出す、最も古い印象(風景・イメージ)。」である。実際の景色だけでなく、心象風景であることもある。当然、人によって千差万別である。でも一人の人間にとってみれば、本当は一つ、少なくとも沢山あるのはおかしいと思った。

 そう思ったら、テレビや雑誌でよく聞く「日本人の原風景」という表現にも少し違和感を持つようになった。そんなこと誰が決めたのか?と。そして、その「日本人の原風景」の氾濫が「私の原風景」探しの妨げになっている気もしてきた。

 それから、よく考える「私の原風景」は何れだ!何処だ!と、、、候補も色々あり迷うこともあるが、現時点で整理した私の原風景への想いを下の漢詩に託してみた。でも、まだ決定ではない。大事なことだ。ゆっくり、じっくり考えよう。何しろ私が死ぬ間際に見る走馬灯のファーストシーンなんだから、、



 

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