《写真漢詩》四長、足立美術館で借景の美を味わう。
島根県安来市の「足立美術館」の庭園である。米国の日本庭園専門雑誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」の日本庭園ランキングで、初回の2003年から「20年連続日本一」に選出されている名園である。修学院離宮らの強豪を押さえての栄誉だ。私も漢詩で詠んだ通り、その贅沢さに圧倒はされる。でも、人に「貴方の名園日本一は足立美術館庭園か?」と問われれば、イエスとは答えないだろう。その理由は明白だ。私は中に入って歩き回れる庭園が好きなのだ。足立美術館の如く、決められた位置から眺めるだけの庭園に対しては、感動が不完全燃焼で終わってしまうのだ。
しかし、名園であることは否定しない。その美しさは賛美に値する。一番の特徴は「借景」との融和であろう。人工の滝を組み込んだ背後の山(勝山)と、美術館の庭との境は全く判らない。創設者、足立全康の「庭園もまた一幅の絵画である」という信念が、完璧に具現化されている。
でも、此処で性格が素直でない私は思う。「借景の山の部分に、不自然な建物や看板が建築されたら、どうするのだろうか?」と。唯、その答えは簡単だった。過去にもそのような危機は何度も起こったが、創設者・足立全康の指示で、危機の情報を察知した段階で、当該土地(山の斜面等)を買い上げていったそうだ。そして、今ではもうその手の危機の心配は要らないそうだ。さすが一代の豪商・足立全康の嗅覚と財力は大したものだ。でも、それってもう「借景」とは言わず「自分景」である。
「借景」、それは西洋にはなく、日本人と中国人が好む美的感覚とのこと。当然、我が家にもある。唯、我が家はマンションの13階であることから庭はない。「借景」だけがある。そして我が家の「借景」に関しては、悲しい物語があった。こんな話だ。我が家がマンションに入居したときには、ベランダから、遠く東京タワーが見えた。その前、千葉に住んでいた我が家族にとって、東京タワーは、大都会東京の象徴だ。東京タワーが見える夜景は「最高の借景」だった。そして私は思っていた。「このマンションは、おそらくは終の住処、死ぬまで東京タワーを眺めて過ごすのだ。」と、、、、
ところが、ところがである。その「死ぬまで東京タワー構想」は見事に崩れる。ある日突然、東京タワーが見えなくなったのだ。我が家のあるマンションと東京タワーとの間を塞ぐ別のマンションが建築されたのだ。足立全康の如く、その邪魔なマンションを買い取る財力が私にある筈もなく、私は泣き寝入りを強いられた。そして時々思う。「あの邪魔をしたマンションの住人は、毎夜東京タワーを眺めているんんだろうな」と、、、「借景の恨み」は結構しつこい。