《写真漢詩》四長、南砺で蟲の声に聞き入る。(富山吟行シリーズ10)
漢詩は、昨年の8月下旬訪れた富山県南砺市のオーベルジュ「薪の音」で詠んだ。山里は夏の終わりを告げるツクツクボウシに代わって、もう秋の虫たちの饗宴の季節が始まっていた。
「秋の虫たちの饗宴」と言えば、私は小学校の音楽の時間に歌った「蟲の声」を思い出す。「蟲の声」は作詞・作曲の欄に文部省唱歌とあり、個人名が記されていない。調べてみると文部省唱歌とあるのは、本当に文部省の関係者たちが、共同作業で作詞・作曲をしたものらしい。「蟲の声」も皆んなで「やはり一番バッターは松虫だ!」とか「コオロギは絶対に入れるべきだ!」とか喧喧諤諤やり合って作詞したのか?と想像すると面白い。
私は大変良く出来た詩だと思う。日本人として誇りに思って良い詩だと思う。最近は小学校の音楽の時間から、文部省唱歌がどんどん消えていると聞くが、私はこの「蟲の声」は是非にでも残すべきだと思っている。(もう消えているかもしれないが、、、)
その理由は3つある。①まずタイトルの「蟲の声」だ。当たり前の話だが、虫が口から声を出す訳ではない。羽を擦り合わせて音を出しているだ。この擦り合わせ音を声と認識しているのは日本人だけだそうだ。外人には、この音は雑音、騒音としか聞こえず、耳を塞ぎたくなるだけの音なのだ。「蟲の声」!、日本人の優れた繊細な感性の象徴だ。是非、子供達に伝えて欲しい。
②次に「チンチロリン」とか「リンリンリーンリン」とかの擬音が良い、丁寧にそれぞれの秋の虫の羽音を聴き分けて、尚且つ押韻している。素晴らしい。2番の「後からウマオイ、追いかけた、、」ってのも「頭韻」みたいで洒落ている。この辺も、丁寧に子供達に教えたいものだ。擬音は子供は大好きだ。
③最後にこれは、個人的な趣味だが、冒頭の「あれ、松虫が、、」のあれが好きだ。意味がよく分からないけどキャッチーだ。あれは、感動詞なのか指示代名詞なのか、私は昔から意識したことはないし、今も分からない。でも、私の小学生時代は時代劇に出てくるお姫様が、悪人に攫われそうになると、「あれ〜」と大声出すってのがお約束だったので、皆んなそれを想像しながら歌っていた。兎に角、キャッチーな出だしだ。今の子供がどう思うか聞いてみたい、、、
ところで、「蟲の声」ファンの私だが、実は一番バッターの松虫の声「チンチロリン」を聞いたことがない。聞けば、現在、松虫は外来種の「アオマツムシ」の爆発的な繁殖により、絶滅の危機にあるとのことだ。もう「チンチロリン」は永久に聞けないのかと思っていたら、子供の頃から大の昆虫好きという友人が教えてくれた。友人曰く「小さい頃、堤防で松虫(アオマツムシではない在来種の松虫)を捕まえて虫籠に入れて(鈴虫の代わりに)家に持ち帰った。夜になると鳴き出したが、凄い音で煩かった。あれは「騒音!」だ。松虫は「チンチロリン」とは鳴かない。蟲の声の松虫の擬音は絶対に間違いだ。」と、、、聞かない方が良かったかも、、、