「四長の紐育旅日記」(7)フリック・コレクション〜コレクションを最高に楽しむ方法は、フリックさんになることだ⁉️


 「フリック・コレクション」の中庭である。マンハッタン島の五番街に位置し、セントラルパークを見下ろすロケーションに建っている。

 「レンブラント」「ベラスケス」「エル・グレコ」「フェルメール」等々超一級品の名画が、長さ30メートルの巨大な部屋に隙間なく掛けられた『ウェスト・ギャラリー』は、「世界中探しても、一つの部屋にこれほどの名画が詰め込まれた場所は無い」と多くの美術史家に評されている。

 でも、その光景をこのブログで、皆さんお見せすることは叶わない。何故ならば、フリック・コレクションは、館内の写真撮影を、この中庭エリアを除いては厳に禁じているからだ(※1)。

 日本では写真撮影禁止の美術館も未だ多いが、欧米では極めて珍しい。旅行中、撮影OKに慣切ってしまった私は、「フリックさんも意外とケチだな?大富豪がケチな訳無いか?しかし、金持ちほどケチとも言うしな?」とこれまた失礼なことを考えていた。


 でも、彼『ウエスト・ギャラリー』の中央に設けられたソファー(今は誰でも座ることが許されている)に身を沈め、ギャラリーの壁に並ぶ世紀の名画群を眺めていると、何故写真撮影が禁止なのかが、理解出来るような気がした。

(「写真撮影による入場者の渋滞回避」とか「作品保護」等日本の美術館が禁止の理由以外の何かがある筈だ)


 このソファーの背後、オーク材のパネルには、召使を呼ぶためのボタンが5つ並んでいる。此処がこの館の主人ヘンリー・クレイ・フリック(※2)の定位置だ。彼は毎晩ここに座り、葉巻を、ブランデーを、嗜みながら名画を楽しみ、至福の時間を過ごしていたに違いない。

 恐らくフリック氏は、客にも自分と同じようなゆったりとした感覚で視線で、自らの世紀のコレクションを眺めて、至福の時間にして欲しかったのだろう。

「そうだ!至福の時間に、自分のコレクションを、忙しく自分で写真撮影することなんてこと、普通しないからな」と納得した。

(「イヤイヤ、フリックの時代にはスマホは無かったぜ」と天の声も聞こえたが、「イヤイヤ、凄腕経営者のフリック、100年後の世界なんてお見通しさ」とかなり強引に抑え込んだ。)

アッパー・イースト・サイドの五番街、ニューヨークでも屈指の高級アパートメントが並ぶストリートにフリック・コレクションはある。

(※1)フリック・コレクションが禁じているのは、「写真撮影禁止」だけではない。「所蔵品の売却禁止」、「外部への貸出禁止」等々は、フリック氏が存命中より決めた厳格なルールだった。また、今も「10歳未満の入場も禁止(ノーキッズゾーン)」だ。これもフリック氏が生きていたらそうしたてあろうと美術館が考えた方針だ。

(※2)ヘンリー・クレイ・フリックは、伝説的な大富豪アンドリュー・カーネギー(「四長の紐育旅日記」(写真編②)・リンク)の右腕と呼ばれた経営者だ。世間の評判を意識したカーネギーとは違い、苛烈な労働者弾圧やストライキの武力鎮圧なども辞さず、「アメリカで最も嫌われた男」と呼ばれた。(銃撃され、生死を彷徨ったこともある)それでも、晩年には全米富豪番付で、ジョン・D・ロックフェラーに次ぐ第2位となった。

フリック・コレクション近くの高級アパートメント。皆、エントランスの植栽の手入れが行き届き、ドアマンが常駐している。

 一方で、絵画コレクター、目利きとしても超一流で、若い頃より上記のヨーロッパの一流画家の作品の中でも、その画家の一番出来が良いと呼ばれる作品を選りすぐり収集した。また自らの死後のコレクションの扱いについても非常に計画的だった。邸宅を美術館として、作品の散逸を防ぎ、運営維持費のための基金を設立する。その上で一般公開する等の方針を遺言に残した。

(そのお陰を持って、100年後の私たちも、フリック氏になった気分で、邸宅のウェスト・ギャラリーでソファに身を沈め、レンブラントやフェルメールの前を行き来している。)


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