四長、パリへ行く‼️(3)サント・シャペル❗️光の聖書の中で佇む。


 サント・シャペル、パリ中心部シテ島にある教会堂である。後期ゴシック建築の傑作と呼ばれている。

 そのゴシック建築の「ゴシック」とは、もともとは蔑称だったそうだ。

 ゴシックの前の建築様式「ロマネスク」が「ローマ風の」と言う意味に対して、こちらは「ゴート風の」と言う意味。ローマ帝国へ民族の大移動により侵襲してきたゴート族から来ている。

 ローマ人の末裔たちからすれば、粗野で野蛮、洗練されていないものと感じていたのだろう。

 でも、東洋人の私から見ると全く違う。ゴシック建築と言えば、兎に角尖ってる、蒼天を突き刺す様に聳え立っている印象。シャープで逆に洗練された印象さえ持っている。(背がやたら高くて鼻も高い西洋人の象徴にも通じる。)

 でも、そんなゴシック建築、18世紀になると構造力学的観点から高い評価を受ける。

 ひたすらノッポの建造物を目指すため、尖頭アーチ、飛び梁等を駆使し、壁は薄くし、建物の重量を減らした。そうした工夫が、その後の高層建築に貢献し、米国・ニューヨークの摩天楼の工法にも繋がると言う訳だ。

 そして、ゴシック建築!窓は大きくとることが、必要(壁を軽くするため)且つ可能になった。そこでその大きな窓を飾るために登場したのがステンドグラスだ。爆発的に普及し、進化した。

 もとは初期キリスト教時代、地下に掘られたカタコンベ(お墓)の採光の窓に起源を持つと言われるステンドグラスだが、ゴシック建築と言う最高の相棒を得て、教会を光溢れる空間に一気に変貌させた。



 そのゴシック期、多く作られた有名なステンドグラスの中でも、視覚的にも美しく最高峰と称えられるのが、このサント・シャペルのステンドグラスだ。

 サント・シャペルはルイ9世(聖ルイ)に1240年代に建築された。高さ15mの窓には聖書からとった1134もの場面が描かれている。

 その日のパリは生憎の曇天であったが、外からは豊かな光りが降り注いでいる。時折、太陽の鋭い光が差し込めば、神の恩寵と感謝したくなる。正に「光の聖書」である。



 そうか、この「光の聖書」の中に身を置けば、例え文字は読めないパリの市民たちも、聖書の物語を理解し、奇跡を信じ、従順な神の下僕(しもべ)になってしまうことは間違いない。

 そして、市民たちはこの美しい空間をこの地に造り、自分たちに特別な素晴らしい体験をさせてくれた王様に感謝しただろう。どこまでも付いて行こうと思ったことだろう、、、

15世紀には、バラ窓も完成した。

 ところが、そう、ところがである。そうはならなかったのだ。
 
 この美しい「光の聖書」は国王専用(お気に入りの貴族まで)だったのだ。サント・シャペルは2階建。王たちは2階の上堂(「光の聖書」部分)へ、宮殿から直接に抜けられる通路を造り、独占して祈るために通っていたのだ。

 そして、宮殿の家来や召使い、教区の一般の信者、市民たちが、祈りのために訪れることを許されたのは、1階の下堂。下の写真の場所だったのだ。確かにステンドグラスはある。でも光は差し込まず、暗い狭い空間だ。(私は入ったことは無いが、カタコンベの中ってこんな感じ?ってな印象だ)


下層(一階部分)、これはこれで美しいけど、上層(二階部分)とは正に天と地の違い。


 想像して見て欲しい。下堂の低い天井の暗い空間で、ひしめき合う様に祈る多くの人たちを!
 一方で上堂の下堂の数倍もある高さの天井からステンドグラスを通して、豊かに降り注ぐ光をその一身に浴び、一人祈る王様の姿を!

神の前では皆平等の筈なのに、、、フランス革命は起こるべくして起こった。





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