「四長、パリへ行く‼️」(番外ブログ編)エドガール・ドガ〜貴方は生まれるのが少し早かったかも⁉️


  オルセー美術館、エドガール・ドガのコーナー、中央に置かれたガラスケースの中のブロンズ像「14歳の小さな踊り子」である。

 私は以前、日本でこの像を見たことがある。正確な展覧会の名称は記憶の彼方であるが、恐らくは印象派展か、ドガ展だったのであろう。

 何れにせよ久しぶりの再会である。再会⁉️、でも、この像は世界にオリジナル1体の他28体あるので、日本で見たのは他の美術館所蔵の像の可能性も高い。

 しかし、このとき、何か、この像から語り掛けられたような不思議な感覚があった。「お久しぶり!貴方が日本で見たのは、スバリこの私よ。このオルセーの私!」って、、、

 そして、少しオカルトチックになって恥ずかしいが、更にこの像!私に話かけたのだ。こんな風に、、、「お久しぶりは良いけど、貴方、私に対しての見方、前に逢ったときと少し変えたでしょう?」って、、、

 私もびっくりだ。図星を突かれた。私の中で、彼女の見方、印象が、再会の瞬間!大きく変わったの事実だ。思ったのだ。「何かこれでこの像の本質が理解出来たぞ!」って、、、大変生意気だけど思ったのだ。


 エドガール・ドガ!今更説明するまでもない、フランスの印象派の画家、とにかくオペラ座の踊り子(バレエダンサー)が大好きで、数え切れないくらい踊り子の絵を描いた。そしてその作品がまた高く評価された。

 踊り子の絵といっても、ドガのそれは公演の舞台で踊る踊り子を正面から描いたものではない。

 大半が稽古中の踊り子!舞台袖の踊り子!楽屋の踊り子!たちで、中には添付の写真のように背中が痒くなって、思わずポリポリと背中を掻いてしまう隙だらけの踊り子も登場した。かなりマニアックに、踊り子の生態を描いた画家なのだ。

 でも、パリの人たちは、そんな彼の踊り子の作品群に喝采を贈った。何しろオペラ座は、庶民にとっては高嶺の花だ。況してや楽屋裏の踊り子の生態なんて、庶民からは全く伺い知ることは不可能だ。そんな世界をドガは絵に描いて見せてくれるのだから、、、

 でも、ドガはちょっとやり過ぎた見たいだ。この踊り子の像を、ドガは初めて彫刻作品として展覧会に出品してしまったのだ。皆んな引いてしまった、、、踊り子がリアル過ぎて、気持ちが悪いと、、、悪評が一気にパリ中に広がった。

 これには、ドガもかなりショックを受けた。ドガはそれ以降二度と彫刻作品を展覧会出品することは無かった。

 でも、でもである。ドガは造り続けていたのだ。踊り子の彫刻作品を!自宅兼アトリエに一人篭って!家族にも内緒に!唯、黙々と!眼が見えなくなっても!77歳で没するまで、、、これはかなりオタク的!踊り子推し!である。

(彼の死後、アトリエからは、大小様々、膨大な数の踊り子の像が発見された。そのうち何点かは遺族の判断で死後鋳造もされた。)


 そう!オタク的なのだ。私がオルセーで感じた印象は、、、前に日本で見たときはそんなことまるで感じなかったのに、、、今回はガラスーケースに入れられたこの像を見た瞬間閃いた、、、この像は「フィギュア」なんだと、、、「フィギュアの聖地」秋葉原にある透明のプラスティックケースに入れられたフィギュアと同じだと、、、

 オルセーが「フィギュア」を意識し展示方法を考えたかどうかはわからない。でも、現代アートの日本の旗手・村上隆の世界的評価の高いフィギュアの作品群もある。私は意識したに違いないと思う。

 そう言えば、オルセーの観客達も、ロダンやブールデルの彫刻を鑑賞するのとは、少し違う温度感でスタンスで鑑賞しているように感じる、、、私の意識過剰かな。

 ドガさん!貴方は100年早かったな。もし、100年前のパリの人達が、現代のように少しでもサブカルチャーを、アキバ文化を理解していたら(あり得ないけど)、、、貴方は凄い人気だったろうに、、、

 きっと皆んな言ったよ、「ドガさん、今度はオペラ座48のフィギュア(ブロンズ像)を造って!」と、、、「今度はムーラン・ルージュ46のを!」って、、、(おっとムーラン・ルージュ推しはロートレックか!失礼しました。)


(※)この像のオリジナル(原型)!何とドガがは蝋を練って造っていたそうだ。普通、ブロンズ像と言えば、原型は粘土で造る。だが、ドガは蝋で造ったのだ。そしてその蝋で造った人型に、人毛のカツラを被せ、バレエの衣装を着せた。蝋人形を造るみたいに、、、ドガって、オタク的だけでなくオカルト的でもあった。




このブログの人気の投稿

《写真・短歌》四長、『青が散る』を求めて天童へ旅する。

《写真・俳句》四長、師走の京都を旅する。

仙台堀日記・臨時増刊号《写真漢詩・短歌》四長、磯谷渚監督作品「ポーラーナイト」を語る。