「四長の紐育旅日記」(6)プラザホテル〜その時、歴史が動いたかも⁉️
ニューヨーク、マンハッタンの「プラザホテル」である。「プラザホテル」と聞いて日本人として頭に浮かぶのは、何といってもこのホテルが、その後の日本経済の命運を決めた「プラザ合意」の舞台であったという事実だ。
「プラザ合意」とは、1985年、ドル高による自国経済不振に業を煮やした米国が、日・西独・英・仏を招集し、「ドルは高過ぎ!みんなで協力してドル安にしよう」と決めた約束だ。具体的には各国の為替市場に協調介入し、ドル安に強引に導いた。
その結果、日本経済と言えば、①急激な円高(1ドル240円から2年程で1ドル120円)となり、②深刻な円高不況→③これを救済するため、大幅且つ長期の金融緩和→④市中に金が溢れバブル発生→⑤資産価格が急上昇し、やがてはバブル崩壊→⑥長期デフレとなり失われた30年に突入という道を辿った。
今から見れば、結果的に日本にとって「第二の敗戦」(経済面だが)のキッカケともなった外交面、経済面の大事件だった。
ところで「プラザ合意」というと、私たちはこのプラザホテルの中で、各国の財政担当大臣(日本は竹下登大蔵大臣)や中央銀行総裁(日本は澄田日銀総裁)が、長時間丁々発止の議論を交わしているイメージがある。しかし実際は違っていた。
既に細部に至る合意内容は、別の会場で各国の事務方が、何週間と言う膨大な時間を費やし固め切っていた。
プラザホテルは各国担当大臣の調印式に使われただけで、竹下登大蔵大臣の署名式滞在時間は僅か20分だったそうだ。
それでも、竹下登大蔵大臣、帰国後は各方面から非難された。特に自民党総務会長で政策通として知られる宮沢喜一からは、「貴方、自分が何をしたのか分かっているのか!」と詰め寄られ、強烈に面罵されたそうだ。
竹下登(後の総理大臣)と言えば、DAIGOのお祖父ちゃん❗️宮沢喜一(こちらも後の総理大臣)と言えば宮沢エマのお祖父ちゃん❗️だ。
なんかDAIGOが宮沢エマに詰め寄られているシーンが目に浮かんでしまう。
きっと竹下登は宮沢喜一に、本当はこう答えたかったんじゃないかな、、、「OSD」って(DAI語だけど)、、、「Oreha Shomeisita Dakeda」って、、、
| 画面左下が五番街、ティファニー本店が見える。その奥の高層ビルはトランプタワーである。 |
(※)このプラザホテル自体も、この後数奇な運命を辿る。プラザ合意の舞台となった後、1988年には、ドナルド・トランプがホテルを購入、1995年に売却した。2004年にはイスラエル企業が、2012年にはインドの大富豪とサウジアラビアの王族が購入するなど、オーナーは転々としている。現在も売却が検討されているみたいだ。
今は高級コンドミニアムが主体の構成で、ホテル機能は大幅に縮小されている。特にセントラルパークが眺めることができるホテルの北側部分は、殆どがコンドミニアムで、セントラルパーク・ビューの客室は存在しないそうだ。もう、このホテルで大きな国際会議が開催されることは無いだろう。そう思うと少し寂しい気もする。