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《写真漢詩・短歌》臨時増刊・四長、江東区でプリツカー賞を堪能する。

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    前回のブログ(※リンク) の最後で私は書いた。「『山本理顕』と『プリツカー賞』と私は不思議な縁で結ばれている。」と、、、大変大袈裟な物言いで恐縮だが、今日はそのお話をしたい。  それに気が付いたのは、横須賀美術館で山本理顕氏の経歴、代表的な作品(建築物)を記したボードを見ていたときだ。代表作として「横浜市立子安小学校」「広島市西消防署」「天津図書館」「ザ・サークル・チューリッヒ国際空港」とテレビの「美の巨人」等で取り上げられ私でも知っている建物が列挙されていた。そしてその最後に「東雲キャナルコートCODAN」とあった。  東雲!えっまさか江東区の東雲じゃないよな?早速調べてみたら、所在地は江東区東雲とあった。正に「灯台下暗し」!建築界のノーベル賞に例えられるプリツカー賞の2024年受賞者、世界の山本理顕設計の建造物が、我が愛する地元・江東区にあったのだ。早速訪れて見た。   「東雲キャナルコートKODAN」、完成は2005年3月。都市再生機構(UR)が整備した賃貸型集合住宅、所謂公団住宅である。「最後の公団住宅」とも呼ばれている。最後と言うだけあって、URもこの団地の計画には随分力が入ったみたいだ。著名な作曲家・指揮者である三枝成彰氏を座長に、残間里江子氏をコーディネーターとする「まちなみ街区企画会議」を組織し構想を練り上げた。  そして、実際の設計の総合プロデューサーに選ばれたのが山本理顕氏だったのだ。理顕氏は当時建築雑誌のインタビューに答え、こう話している「高齢者がスマートに見える街並み、高齢者への生活支援施設が一緒になった都市環境になったら面白い」と、、、うーん訪れてみればそれが実現していることが直ぐにわかる。子育て世代への気配りだって感じられる。団地の中央をS字に貫く中央通路に軒を並べるクリニックやデイサービス、保育所や学習塾等の生活支援施設を見ただけで、この団地の機能性、暮らし易さが伝わってくる。 右の平面図のS字通路沿いに左の生活支援施設が軒を連ねる 実際の敷地を貫くS字通路   更に調べを進めていくと「東雲キャナルコートKODAN」については、もっと凄い事実が明らかになった。「東雲キャナルコートKODAN」は全体を6街区に分けて、理顕氏が、全体プロデュースと第1街区を設計している。 山本理顕設計の第1街区   そして、何と第2街区を「伊東豊雄

《写真俳句》臨時増刊・四長、横須賀美術館で山本理顕氏のプリツカー賞受賞を祝う‼️

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  美術館正面、レストランのテラス席は朝から満席だ。   夏至の頃、横須賀美術館を初めて訪れた。美術館の学芸員さんには申し訳ないが、目的は企画展ではなく、山本理顕氏設計の美術館建物そのものを見たくなったからである。このブログの「メニュー」→「アート」→「美術館」で探って頂けると分かるように、私は「美術館フェチ」、それも相当な「美術館建物フェチ」である。  「美術館建物フェチ」にとっては、企画展の人気があまり高くなく、入場者があまり多くない方が、建物の内外をしっかり、ゆっくり鑑賞出来るし、許されれば写真撮影にも都合が良い。その意味では今回の訪問は理想的(失礼!)なはずであったが、少し考えが甘かった。  ウィークディにも関わらず結構混んでいたのである。おかしいなとは瞬間思ったが、直ぐに納得した。私のような「美術館建物フェチ」とまでいかないまでも、美術館建物見学目当ての人が結構いたのである。理由は明白だ。今年の4月、美術館の設計者山本理顕氏がプリツカー賞を受賞したのだ。   プリ ツカー賞!毎年4月、米国のホテルチェーンのオーナーであるプリツカー一族が運営する「ハイアット財団」から授与される賞であり、建築界のノーベル賞と例えられる。1979年創設より原則1年に1名に存命の建築家に授与されて来た。過去の受賞者を国籍別に見ると、なんと日本が9名(※)で最多!以下アメリカ8名、イギリス4名、フランス3名と続く。 ※丹下健三(1987年)槙文彦(1993年)安藤忠雄(1995年)妹島和世・西澤立衛(2010年)伊東豊雄(2013年)坂茂(2014年)磯崎新(2019年)山本理顕(2024年)  プリツカー賞の理念は「建築を通じた人類や環境への意義深い貢献」とのことだ。それを思えば、最多受賞は日本人としては何とも誇らしい。  そしてその賞の理念を少し意識してこの美術館を巡ると色々な発見がある。山本理顕氏の考える「建築の貢献」が、建物のあちらこちらに散りばめられているのである。人類(地域の住民、遠くから訪れる人たち)と環境(周囲の自然)への行き届いた配慮が、柔らかく入場者を包み込む。普段より少し穏やかな優しい気分になったのは私だけではないだろう。 美術館の屋上、ガラスの屋根がそのまま海と繋がっている演出だ。 壁に施された色々な丸窓が切り取る景色・光景が優しい。(ガラス越しのショットに

仙台堀日記・臨時増刊号《写真漢詩・短歌》四長、磯谷渚監督作品「ポーラーナイト」を語る。

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  小さい頃から映画館で予告編を見るのが好きだった。ひょっとしたら、お目当ての本編の映画を見ている時間よりも、ワクワクしながら見ていたのかもしれない。僅か1分か2分に纏められた予告編は、流石にネタバレにならないようにエピローグだけは伏せられてはいたが、その直前までのストーリーは要約され、凄いスピードで盛り上がった。出演俳優たちも、恐らく彼らが一番魅力的に映ったシーンが繋げられ矢継ぎ早に登場!皆んな圧倒的に魅力的だった。  でも、予告編ではあんなにワクワクした作品も、それに釣られて封切り館に観に行くと、残念ながら、大抵は間延びした凡作に変身、がっかりさせられた。「これは、ある種詐欺だな」と、なけなしのお小遣いを、チケット購入に注ぎ込んだ若き日の私は大いに憤慨したものだ、、、  少し前書きが長くなったが、磯谷渚監督の作品は、不思議とこの予告編のワクワク感がエピローグまで持続する。処女作の短編「わたしの赤ちゃん」などは、上映時間の15分間があっと言う間に過ぎた。そしてそのたった15分間でかなりのドロドロ家族愛憎劇が、見事に方が着いてしまった。私は一瞬「これは予告編で、本編は別に存在しているのでは、、、」と疑ってしまったくらいだ。 2010年「わたしの赤ちゃん」磯谷渚監督・脚本  二作目の「天使の欲望」は上映時間40分間の中編、流石に今度は予告編とは思わなかったが、ワクワクのスピード感は相変わらずだった。長さは体感的には20分〜30分の印象だ。そう、ちょっと長めの朝ドラを見た感じだ。ストーリー展開の物足りなさはあったものの、間延びとは無縁の映画だった。素人の私は、主要なモチーフの「痴漢狩り」の案件をもう2、3件付け加えても面白いのではと感じてしまった。でもそうはならなかったのは、それでは監督の持ち味であるスピード感が損なわれるとの判断があったのだろう。 2013年「天使の欲望」磯谷渚監督・脚本  そして最新作「ポーラーナイト」が封切られた。監督としては初めて70分超えの長編だ。私はやはり作品のスピード感(ワクワク感を伴う)の持続性に着目していた。でも正直、監督としての初長編!スピード感に過度に期待するのも少し酷だなと勝手にハードルを下げていた。するとどうだろう。予測は良い意味で完全に裏切られた。スピード感は健在だ!いや前より増している!私の体感としては45分、大河ドラマを見

《写真漢詩・俳句》四長、読者の皆様に感謝する。

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    漢詩は我が『仙台堀日記』ゆかりの 仙台藩藩祖・伊達政宗公の漢詩「馬上少年過」(※リンク) をオマージュして詠んだ五言絶句だ。現在の私の心境である。今日は、先ずは、この漢詩からはじめて、読者の皆様に私の大変我儘な報告をさせて頂く。  報告は「『仙台堀日記』を暫く休刊する。」というものだ。『仙台堀日記』、今年の1月21日にリリースして以来、毎日更新して、本日で300回目を迎えた。拙い写真、拙い詩歌、そして拙い文章にも関わらず、長く(全然長くないが、本人はそう感じている)続けてこられたのは、偏に読者の皆さんのお陰である。  何故、休刊にするのか?余り深い理由はないが、敢えて言わせて貰えば、「『達成感』とまだ他に『やりたいこと』がある。」ということに尽きる。この感覚があるうちに休刊にして、先に進みたいということである。(要は「四長は、本当に我儘な奴だ。」ということである。)  達成感については、御礼を兼ねて報告する。『①発信』『②アーカイブ』『③集中力』の3点についての達成感だ。  『①発信』については、大変大袈裟且つ生意気な言い方で恐縮至極だが、 過去に撮った写真、作った詩歌、にもう一度息吹を与え、広く世界に発信出来た と思っている。特に詩歌については昨年1年間で創作した500作を、ほぼほぼ300回のブログで発信出来た。望外の喜びとしか言いようが無い。写真は約7年間撮り溜めたものから相当の枚数を発信できた。(『仙台堀日記』は途中から始めたTwitter(現X)の力も借りて、昨日までに全世界で16万回のプレビューがあった。もし『仙台堀日記』が無ければ、詩歌も写真も完全に死蔵されたに違いないのだから嬉しい限りだ。)  次に『②アーカイブ』について、辞書で引けば「アーカイブ」とは、「消したくないデータを専用の記憶領域に整理して保存すること」とある。これも大袈裟な物言いだが、『仙台堀日記』を始めたことで、 私のこれまでの人生の「アーカイブ」が出来た と思っている。ブログ『仙台堀日記』の左上のメニュー表示をタップ頂くと、ブログの記事の分類が出てくる。「漢詩」「短歌」「俳句」といった分類があり、その下に「連作」「海外」「アート」といった項目がある。更にそれらをタップして頂ければ、幾つかのシリーズが出てくる。旅シリーズであれば、旅先ごとに整理されている。  つまり、 私にとって

《写真俳句》四長、新宿御苑で『新宿鮫』との対決が甦る。

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  「新宿御苑」である。昨年の秋訪れた。私が俳句が苦手なことは、このブログでも何度か書いたが、此の句は気に入っている。写真の力が殆どかもしれないが、切れ味が良いと自惚れている。(基本的に自作への評価は甘い方だ。)  「新宿御苑」は「御苑」である。「御苑」とよく混同される「恩賜公園」は、「上野恩賜公園」「浜離宮恩賜公園」「井の頭恩賜公園」とか、江東区にも「猿江恩賜公園」と幾つもある。そして所有権は天皇陛下から既に自治体等に下賜されている。  一方「御苑」は、今も宮内庁即ち天皇陛下の所有である。此処「新宿御苑」の他には「皇居東御苑」「京都御所御苑」の三つしかない。他の二つが「御所」に付属した庭園であることを思えば、「新宿御苑」が特別に有難い場所であることがよく分かる。  その有り難さ故か、「新宿御苑」は滅多に小説等に登場しない(アニメでは新海誠監督の「言の葉の庭」が有名だが)。私の知る限りでは、ハードボイルド作家・大沢在昌の人気シリーズ「新宿鮫」のみである。  「新宿鮫」は新宿署の鮫島刑事を主人公とする警察小説。映画化(滝田洋次郎監督)もされ、主演の真田広之がその年の日本アカデミー賞を受賞した。NHKのドラマでは舘ひろしが主人公・鮫島を好演し、人気シリーズとなった。  その作者・大沢在昌氏、実は私と不思議なご縁がある。先方は全く知らず、私も最近知ったご縁である。私がどうやってそのご縁を知ったのか?それは三年前の私の実家の整理のときに遡る。私の高校時代の学園祭のパンフレットを発見!その中身を読んでいると、突然、その不思議なご縁が私の目の前に現れた。  パンフレットの中に、大沢在昌氏 の名前を見つけたのだ。直ぐにググれば、彼は私と同じ名古屋の東海高校出身、学年は私の一年下とある。大沢在昌はペンネームではなく本名とある。であれば、これはもう、あの大沢在昌氏に間違いない。  名前が載っていたのは、学園祭の「演劇大会」のページ!彼は大会に脚本家として参加していたのだ。そして実は、この私も脚本家として参加!何と私は天下の大沢在昌氏とあの「新宿鮫」(ジョーズみたいな)と脚本対決していたのだ。   私は三年D組で、演目「新説古事記伝・ハチのムサシは生きている」の脚本・演出だ!。彼は二年I 組で、演目「貴方は気がつきましたね」の脚本・演出にナレーションだ!。  今、パンフレットを読むと、

《写真短歌》四長の『酒・四季物語』(旨い酒を飲むために、、、)

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   サラリーマン時代、私は「酒が強い」と呼ばれた。その時代、まだまだ昭和の名残りが色濃く、「酒が強い」というのは、男の勲章だった。(健康診断のγ-GTPの高さを自慢し合っているような時代だった。)  当時は、会社で飲みに行けば、一次会では終わらない。二次会は当たり前、三次会もそんな珍しい話ではなかった。必然、終電はもう無く、皆んなタクシーに分乗して帰還したものだ。  三次会まで行けば、ドラマも生まれる。今考えれば、信じられないような事件も、、、酒に強いと言われた私は大概起きた事件は記憶していた。今も時々思い出す。幸い懐かしい思い出が殆どだ(勿論、時間が美化してくれた)。  唯、そのときの「酒の味」を思い出せない。二次会、三次会に至ってはどんな種類の酒を飲んでいたのかすら全く覚えていない。「酒に強い」という勲章の意味は、恐らくは「酔わないように、酒を殺して飲んでいた」ということかもしれない。少し勿体無かったかな、、、   でも、リタイア後の今は違う。飲んだ「酒の味」はしっかり覚えている。どんなワインを、どんな日本酒を飲んだのか、何杯目に何を飲んだか迄覚えている。過去半年分くらい、書き出せと言われれば、正確に書き出せると思う。  そして私は、遂に「究極の酒を旨く飲む極意」を習得した。酒の旨さを左右する変数は色々ある。「飲む酒の種類」、「飲む酒の値段」、「酒を飲む場所」、「酒を入れる容器」、「酒を飲む相手」etc、etc、、  例に挙げたどの変数が、一番「酒の味」に影響するか?と問われれば、どれも一票入れたくなる変数だ。しかし、正解は別にある。一番「酒の味」に影響する変数は「酒を飲むときの健康状態」だ。体調の悪いとき、無理矢理飲む酒ほどまずい酒は無い。二日酔いの日の迎え酒なんて、私は旨いなんて思わない。   それ故、私の極意は「酒を旨く飲むために、健康に留意する。」だ。充分な睡眠、適度な運動、その日の旨い酒には欠かせない。私はそのための努力を厭わない。精神状態の安定も絶対必要だ。飲む前に誰かと言い争うなんて愚の骨頂だ。私は旨い酒を飲むためなら、大概のことは我慢出来る。私は大人だ。  そして私は、飲酒については、長期的視野も持っている。γ-GTPも、血圧も、血糖値も、長いこと旨い酒を飲むためには重要な指標だ。私は、それら数値改善のため人間ドックの 直前だけは 、 禁酒する

《写真漢詩》『三都物語』の復活はアリだ。(神戸吟行シリーズ3)

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   神戸のオリエンタル・ホテルのカフェからの眺めだ。神戸の街は、海と山が迫り自然も身近だ。古くからの港街で異国情緒も漂い、その お洒落な風情は誰もが憧れた。一生のうち一度は神戸に住みたいと思ったのは、私だけではない筈だ。  そんな神戸について、最近、少し淋しい残念なニュースを聞いた。2023年10月1日時点の推計人口が150万人を下回ったというものだ。  オマケに久元喜造市長が「人口が今後増加に転じる可能性は殆ど無い。」と述べたという。大変正直な市長ではある。神戸市については「市営地下鉄海岸線」や「神戸空港」の利用者数が予想を大きく下回り、「神戸ハーバーランド」の核テナントの撤退、「新長田駅前再開発」の失敗など、暗いニュースが確かに多い。悲観的になるのも無理もないが、政令指定都市のトップとしては、些か淋しい発言だと私は思う。 居留地       実は大都市の人口減少は、何も神戸市だけの話では無い。同じ関西の京都市も1970年の142万人が、2023年は138万人に減少している。大阪市も70年の298万人が、23年には274万人に減少している。  唯、京都も大阪も、現在ではインバウンドの外国人観光客で溢れ、人口減少を感じさせない賑やかさがある。それに比べると同じ関西圏の大都市として、神戸の元気の無さは少し気になるところだ。 神戸・中華街     私は、こうなったら「アレ」を復活させるしか無いと思っている。(いつもの独善的意見だ。)私が考える「アレ」とは、1990年に開始されたJR西日本の観光キャンペーン「三都物語」!この復活である。  関西圏の京都・大阪・神戸の三都市をセットにして、今度は自治体主導のキャンペーンとして展開させるのである。「千年の古都・京都」「食い倒れの街・大阪」「異国情緒溢れる港街・神戸」、それぞれ異なる個性を持った三つの大都市!バラ売りでも十分行けるかもしれない。でも、セットとなれば最強だ。相乗効果は相当なものがあると思う(特に神戸はメリットが大きいのでは)。  この「三都物語」キャンペーン、90年代は国内向け企画だけだったが、かなり盛り上がったのを記憶している。5年続いたが、1995年に終わった。阪神・淡路大震災である。その後は震災復興キャンペーンが優先する。当然だ。  でも、あれから28年!もう復活させても良いのでは。今度はインバウンド向け「