四長、パリへ行く‼️(13)ギュスターブ・モローを訪ね、ラ・ロシュフーコー街を彷徨う。

 パリのラ・ロシェフーコー街にあるギュスターブ・モロー美術館で見たギュスターブ・モロー(以下モロー)の「幻影」である。

 新約聖書の重要な物語「洗礼者ヨハネの処刑(※1)」を、モローは聖書には名前も出て来ない女性「サロメ」を主役に描いた。官能的に、耽美的に、そして退廃的に描いた。

 「サロメ」はモローの絵心を鷲掴みにしていたようで、本作と同じ構図の絵をモローは少なくとも8枚描いている(※2)。

 そしてその全てが当時のパリの美術界で評判となり、モローは一躍時代の寵児となった。後に続く作品群も好評で、パリの象徴主義、耽美主義を牽引する。後には「世紀末芸術の鍵」を開けた画家とも呼ばれた。

ギュスターブ・モロー美術館入り口

 モローにとって「サロメ」は、正に運命の女!「ファム・ファタール!」だったのだろう。

 「ファム・ファタール」とはフランス語で、元々は「赤い糸に結ばれた恋愛相手」という意味である。唯、多くの場合それに「男を破滅させる魔性の女」という意味が加わる。私は今まで遭遇したことも無いが、それほどまでに魅力的ということだろうか?

「人類の生」

 そして、フランス人はこの「ファム・ファタール」が大好きなようだ。時々に雑誌で「ファム・ファタール・ランキング」が行われると言う。

 映画女優ではブリジット・バルドー!カトリーヌ・ドヌーブ!ソフィー・マルソー!などが常連みたいだ。ある人が映画好きのフランス人に、日本の女優さんは誰か入らないかと聞いたら、中々名前が上がらない。

 暫くして出て来たのは、「ルパン3世の峰不二子」と「シティ・ハンターの野上冴子」だったと言う(※3)。

美術館2階のモローの寝室、ベッドは両親をはじめ家族の写真に囲まれている。

 そんな少し脱線気味の話を思い出しながら、美術館内を巡る。気が付けば館内は私たち夫婦だけだ。人の声が全くしない。

 パリ初日にオルセー!二日目にルーブル!そしてその日の午前中にオランジュリー!と大混雑美術館3連発の私たちにとっては、この静寂はそれまでの美術館の喧騒からの落差が余りに大きかった。入館直後は少しの間戸惑いすら感じた。

 

美術館3階のアトリエ&展示スペース

 しかし、静寂は有り難い。実は私、オルセーやルーブルの人混みの隙間から名画の写真を撮り、パリに来た証明のポイントを集めるような鑑賞法も、決して嫌いではない。

 それはそれで達成感があり満足感もあるからだ。でも、それに少し疲れたこの日、このギュスターブ・モロー美術館は本当に有り難かった。一つ一つの絵と会話し、モローの世界にどっぷりと浸ることが出来たからだ。

「プロメーテウス」

 モローは晩年、少しづつ世間との交流を断ち、このラ・ロシェフーコー街の屋敷に閉じこもることが多くなった。ひたすら創作に打ち込み、亡くなったときには、そこには何と1350点の絵画と7000点のデッサンが残されていたと言う。

美術館4階・アトリエ&展示室

 屋敷は4階建で、3階と4階は天井が高く、道路に面した側に並ぶ大きな窓からは陽光が差し込む、最高のアトリエだ。そして、四方の壁の窓以外のスペースには、彼の描いた耽美な絵が、隙間無く飾られている。

 その幻想的な空間の中で、何かに憑かれたように、キャンバスに向かい続ける!

 サロメという最高の「ファム・ファタール」に導かれたモローにとっては、その晩年こそが、至福の時間だったろう。

美術館3階、アトリエ&展示室、4階に続く螺旋階段も装飾的だ。

 そのことを確認をするために、ラ・ロシェフーコー街を訪れる。ポイ活的名画鑑賞に疲れたら、是非お勧めだ。


ラ・ロシェフーコー街、高級アパートメント街だそうだ。


※1)古代ユダヤの王ヘロデの祝宴、王の娘は見事な舞を披露する。王は娘に褒美に望みがあれば、何でも与えようと約束する。娘は「洗礼者ヨハネの生首」を所望、王の命によりヨハネの処刑が執行されると言う逸話。

(※2)オルセー美術館の「出現」(水彩画)、ルーブル美術館の「刺青のサロメ」(水彩画)が有名。

(※3)日本映画界の「ファム・ファタール」的女優と問われれば、私は断然「若尾文子」と「加賀まりこ」を挙げたい。(昭和だけど、、、今では90代と80代、、、銀幕では永遠の「ファム・ファタール」!)












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