四長、パリへ行く‼️(12)フランシス・ポンポン〜オルセー美術館は「なんでも鑑定団」だった⁉️


  オルセー美術館のフランソワ・ポンポンの代表作「白熊」である。大変失礼な話がだが、フランソワ・ポンポン!私は初めてその名を聞いたとき、頭の中の連想ゲームで「フランスの狸」を思い浮かべてしまった。

 如何にもフランス人に多く居そうな名前の「フランソワ(※1)」と、「ポンポン」が「ポンポコ(※2)」になって合体したのだろう。

 でも、この「フランスの狸」さん、狸こそ造っていないが、野生動物が得意である。大変遅咲きの作家で、60歳を超えてもロダンの工房で助手をしていた。ロダンが亡くなった後、独立し67歳にしてこの「白熊」を発表、一気にブレイクする。

 独立から亡くなるまでの10年間で、多くの野生動物(鹿・フクロウ・ペリカン)をモチーフにした作品を発表し、今も世界中のファンに深く愛されている。


 興味深いのが、ロダンとの関係である。助手をしていたのに、その作風が全く異なる。

 ロダンの作品が、写実主義をベースにしつつも、力強く情熱的であるのに、ポンポンの作品は単純化され、流麗なラインでクールな(白熊だからではない)印象だ。モダニズム彫刻の頂点と呼ばれている。

 そして自らの作品を自らの死後、どの様に管理して行くのかも、二人の考え方は全く違った。

 ロダンは遺言で自らの作品の死後鋳造に積極的だ。自らの死後も作品が増殖し、世界に広まって、多くの人に見て欲しいと考えたのであろう。

 一方、ポンポンは違った。遺言で死後鋳造を厳禁した。そもそも、自らの死後、自分が関わることがまるで無く鋳造された作品を、自分の作品として認めることなどあり得ないと考えていたのだろう。


 

 そんなポンポンが厳禁した死後鋳造作品が、日本で大量に発見される事件があった。

 2001年に開館した群馬県立館林美術館(以下館林美術館)は、約3億5000万円かけて104点のポンポン作品を購入した。ところが、その後その104点のうち3点が制作者不明!34点が死後鋳造!であることが、オルセー美術館の調査で発覚したのだ。

 すぐに、マスコミや群馬県議会が反応した。「税金の無駄遣い!」と館林美術館を強く非難した。当時はポンポンのことを殆ど知らなかった私も、同じ様に「公立美術館であるならば、もう少し慎重に購入すべきだろう」と感じていた。


 でも、今、改めて調べてみると、少し事情が違うようだ、

 真相は館林美術館が、購入後自らオルセー美術館に調査を依頼していたのだ。そしてその調査の経緯、結果をタイムリーに公表していたのだ。美術館のリスク管理としては正しく、且つ透明性・信頼性の高い対応だったと言える。

 オマケに、当時でも約100点のポンポン作品を3億5000万円で購入したと言うのは、なかなかの凄腕バイヤー!だ。今ではとてもその金額では購入出来ない。館林美術館はポンポンで群馬県の財政に、相当の額の含み益を齎していると私は思う。


 今、私が問題にしたいのは別の点だ。「群馬の館林美術館が、何故?わざわざ「フランスのポンポンを購入しようと思ったのか?」そう収集動機!本当の購入動機!が断然気になる。

 当時から巷に広がったある噂があった。館林市内にある茂林寺との関連性だ。館林美術館は、今でもポンポン収集の理由を「館林の自然とポンポンの造るの野生動物との親和性」と強調し、その噂については頑なに否定する。

 でも本当かな?茂林寺と言えば「分福茶釜」!だ。狸伝説!、狸のお伽話!で有名な狸の寺だ、、、「ポンポコポンポン!」私の頭の中で狸の腹鼓がクリアに鳴った。


(※1)元は「フランス人」という意味、男性がフランソワ、女性がフランソワーズ、フランシーヌ。

(※2)恐らくスタジオ・ジブリの高畑勲監督の「平成狸合戦ぽんぽこ」の影響だ。






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