四長、パリへ行く‼️(11)モネの睡蓮❗️世界を征す⁉️
パリのオランジュリー美術館である。「オランジュリー」とは「オレンジの温室」の意で、元々は此処がテュイルリー宮殿の温室であったことに由来する。
朝早くから、美術館の前は長蛇の列、並ぶ人達の目的は一つ、クロード・モネの絵画「睡蓮」の連作の部屋!(※1)を見ることだ。そう部屋!だ。彼ら単にモネの睡蓮の絵を見るのでは無く、360度、壁の四方を巨大な睡蓮の連作が囲む部屋を見るために、世界中から訪れているのだ。
私にはずっと疑問があった。「オランジュリーのこの部屋は、先に部屋があって、その壁にモネが睡蓮を描いたのか?それともモネの睡蓮の連作に合わせて、この部屋を造ったのか?」と言う疑問である。
何と正解は、モネの睡蓮の連作が先にあり、それに合わせてこの部屋を後から造ったと言うのだ。まるで絵に合わせて額縁を作る様に、部屋と言う巨大な額縁を造ってしまったのだ(そしてその部屋には、天井から自然光まで柔らかく差し込ませた)。時(1927年完成)の政府❗️が、フランス‼️が、、、
ちょっと、モネを特別扱いし過ぎたのでは?と、どちらと言えばマネ贔屓の私は思う。でもモネへの特別扱いはこれだけではない。
当時は死後にしか、作品が収められることが認められてはいなかったルーブル美術館に、モネだけは生前に10点もの作品が所蔵されたのだ。
確かに、モネは彼が描いた「印象・日の出」が、印象派の名の由来ともなった印象派の代表画家である。でも印象派のリーダーと言われるのは、あくまでマネだ。他にルノアールだって相当頑張っていたはずだ。私は美術界への貢献は、マネもルノアールも、モネとそんなには違わない気がする。
| オルセー美術館の「バティニョールのアトリエ」、「印象派の肖像画」と言われる。中心で絵筆を持つのはマネ!モネは言えば、右端に遠慮がちに立っている。 |
特別扱いの理由はモネの実績・画力の他にあった。マネには贔屓してくれる大親友がいたのだ。その名はジョルジュ・クレマンソー!(※2)
フランス第三共和制の第40代・第53代と首相を2期務め、第1次世界大戦でフランスを戦勝国に導いたと言われる大政治家だ。ジャーナリストでもあり、政界・言論界に絶大な権力を持っていた。
モネとの親密さも尋常ではない。白内障になり、絵を描く情熱を完全に失いかけたモネを、ジベルニーに通いつめ励まし続けた。
そして何とモネに「睡蓮」を描くことを提案したのも、この男・クレマンソーだ。恐らくモネに、オランジュリー美術館のあの部屋の構想を持ち掛け、モネの最晩年のモチベーションを上げ続けたのだろう。持つべきものは友人だ。
彼がモネに大量に描かせた「睡蓮」は、世界中で引っ張り凧となった。世界の都市で新しい美術館が新設されると、目玉の所蔵品はモネの「睡蓮」というケースが本当に多い。
「睡蓮」のために特別の部屋を用意すると言うのもよく聞く(※3)。正に美術界では「睡蓮、世界を征す」である。
今、クレマンソーは、パリの西方約400kmにあるル・コロンビエに眠っている。墓地と言うよりも自然の中の斜面だそうだ。遺言で墓石も名前もない。見つけるのも一苦労と言う。
生前、世界を相手に権力争いに明け暮れたクレマンソー!、、、死後は、誰からも遠く離れ、全ての雑事から解放され、ひたすら静かに過ごしたかったのであろう、、、でも、「モネの睡蓮が世界を征した話」だけは聞きたかったのではないかと私は思う。
(※1)本当は「睡蓮の間」の画像をアップしたいところだが、あまりの人混みで画像撮影は叶わなかった。(私のXのアカウント「四長(仙台堀日記)」を覗いていただけば、動画を2本アップしている。)
(※2)シャンゼリゼ通りにある地下鉄シャンゼリゼ=クレマンソー駅やフランス海軍の空母クレマンソーは彼の名に因んでいる。
(※3)京都にある「アサヒグループ大山崎山荘美術館」にある。安藤忠雄設計のモネの睡蓮8作のために造られた「地中の宝石箱」等々。
(※3)京都にある「アサヒグループ大山崎山荘美術館」にある。安藤忠雄設計のモネの睡蓮8作のために造られた「地中の宝石箱」等々。