《写真漢詩》四長、釧路の落陽に学ぶ。


 

 2018年9月4日深夜、私たち夫婦は屈斜路湖畔のホテルで就寝中に少し長い揺れに襲われた。直ぐに起き上がるほどの強い揺れではなかった。「揺れが長いので、何処か遠くで大きな地震があったのかな。」とは思ったが、旅の疲れもあり、また眠りに引き込まれた。それが「胆振東部地震」だった。翌朝からが大変だった(直接地震の被害に遭われた方々のご苦労とは比べようがないが)。北海道全道が停電となったのだ。ツアーバスで道東を走り回ったが、何処も停電でインターネットも使えない、予定は次々に変更・中止となった。

 夕方、何とかその日の目的地釧路に辿り着いたが、そこも街中が停電だ。まだ日の入りまでは少し時間があるはずなのに、街には既に夜の帷が降りかけていた。その日宿泊するホテルも停電でエレベーターは動かず、9階の部屋まで旅行かばんと2リットルの水ボトルを抱えて階段を登った。少し絶望的な気分になったが、折角初めて訪れた釧路の街だ。日が暮れる前に少しは街を見ておこうと散歩に出た。

 まずはホテルの直ぐ近くを流れる釧路川にかかる弊舞橋を渡ろうとしたその時だ。川の河口側にでっかい夕陽を見つけた。思わず見惚れていると、橋の欄干の親柱に4つのブロンズの少女の像があるのに気づいた。後で調べて分かったのだが、これが有名な「釧路・幣舞橋の『道東四季の乙女像』」だった。春の像・舟越保武(※リンク1)(※リンク2)、夏の像・佐藤忠良、秋の像・柳原義達、冬の像・本郷新と昭和の日本彫刻界の巨匠たちの作品だ。

春の像・舟越保武作

夏の像・佐藤忠良作

 そして、暫くするとレビューが始まった。橋の河口側(夕陽側)の春の像と夏の像の背中側に夕陽が当たり、像がシルエットになった。背景の空には星が瞬きだし、像は完全に夕陽が港の向こうの太平洋に沈むまでの僅か5分くらいの間、刻々と表情を変えていく。美しい!美しすぎる!!自然(夕陽)とアート(彫刻)の、ここまでのコラボを私は見たことがない。

 人間とは現金なものだ。「停電で地上の灯りが無いので、夕陽があんなに綺麗なのだろう」と、ついさっきまで停電を恨めしく思っていたのに、一気に変わる。少し得した気分さえしてきた。そして、人間とは相対的なものだ。絶望的なまで落ち込んだ故、あんなに感動することが出来たのだろう。5分間のレビューが私に色々なことを教えてくれた。


 あれからもう5年経つ、今もあの釧路の落陽を思い出す。あの落陽には不思議な力があった。翌日、私たちは無事に東京へ戻れたが、それはあの落陽のお陰だと信じている自分がいる。

「落陽是非終 再日昇夜明(落陽は終わりにあらず、再び日は昇り夜は明ける。)」

秋の像・柳原義達作

冬の像・本郷新作

 全くの蛇足だが、昭和の彫刻界四大巨匠の競演、像の設置場所によって随分不公平がある気がした。夕陽側の春の像・夏の像の方が圧倒的に映える。どうやって設置場所決めをしたのか、大いに気になるところだ。誰かの忖度があったのか?しかし答えはシンプルだった。「四人でくじ引きをして決めた」ということだ。昭和の巨匠たちは紳士だった。


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