《写真漢詩》四長、飛鳥大仏と語らう。(飛鳥・大和路吟行シリーズ3)




  日本最古の仏像を七言律詩で詠んでみた。仏像がある場所は、奈良県明日香村の「飛鳥寺」である。「飛鳥寺」は今回の「飛鳥・大和路シリーズ」の1(※リンク)2(※リンク)に登場した、当時の最高権力者・蘇我馬子が創建した仏教寺院だ。広さは現在の20倍余ある。塔を中心に東西北に三つの金堂を配し、外側に回廊を廻らした伽藍は、天皇の住居を遥かに凌ぐ豪壮なものだったようだ。

 蘇我馬子は、この寺に海の向こうの中国や朝鮮からの渡来人(ひょっとしたら西域やインドや中東からも)を招き、その進んだ文化を積極的に取り入れた。建築技術や軍事技術、政治の仕組みまでも、、、当時の飛鳥寺は単なる仏教寺院ではなく、先端研究所も兼ねていたと言われている。

 だが、今の飛鳥寺にはその往時の面影は全くない。大変失礼な言い方だが、寺の謂れを聞かなければ、田舎の寂れた寺といった風情だ。大化の改新で蘇我一族を滅ぼしたのち、長きに亘り日本の国を差配した藤原氏(中臣鎌足の子孫たち)によって、蘇我氏の記憶と共に、寺の伽藍も小さく寂れたものとなったのだろう。


 そんな飛鳥寺の中で、唯一生き残り、蘇我氏の栄光を今に伝えるのが、この飛鳥大仏(銅造釈迦如来坐像・重要文化財  )である。国宝ではない。顔と左右の手の指の何本かだけが、当時の名仏師・止利仏師のオリジナルと言われている。他の部分は後世に補修されたものであり、それが国宝になれない理由だという。

 私は、国宝と重要文化財の違いはよく分からない。それ故、偉そうなことは言えないが、日本最古の部分が残っているだけでも、国宝の価値はあるような気がする。

 思わず、釈迦如来のお顔を見つめ、「苦労されましたな。藤原氏には結構邪険にされたことでしょう。そんな中、お顔と指の一部分だけでも生き延びてこられた。たいしたもんです。お陰でこうして私もお逢いできることが出来ました。有難いことです。あなた様は十分国宝に値すると思います。」とお声をかけた。

 すると、釈迦如来はオリジナル部分と言われている両眼を、少しだけ開き、また閉じられたような気がした。「お前、分かってるな。」と、、、




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