《写真漢詩》四長、橘寺で「聖徳太子虚構説」に抵抗する。(飛鳥・大和路吟行シリーズ2)


 


 漢詩にある通り、明日香村の橘寺は聖徳太子縁の寺だ。聖徳太子に関係するお宝や太子の幼少期の話を、寺のそちこちで見つけることが出来る。

 その聖徳太子が、今や大変な危機に陥っている。少しづつお姿が消えて行っているのだ。

 聖徳太子が消えるというと、ある年齢以上の人は、1984年のあの騒動を思い出すだろう。1万円札のモデルが、聖徳太子から福沢諭吉に変わった時だ。あの時私は思った。本当に大丈夫か?聖徳太子のままで良いのではと。福沢諭吉は確かに立派な人だ。それに異存は無い。でも慶應義塾の創始者である福沢諭吉に対しては、全国の早稲田大学の関係者の納得感が得られないのではないか?何故、大隈重信でないのか?と、、、

 その点、聖徳太子ならば、当時の日本国民の大多数が納得だ。何しろ、十七条憲法や冠位十二階を定め、遣隋使を派遣するなど、日本国の礎を築いた人だ。文句のあろう筈が無いのにと。当時、私は政府の強引な方針に大いに違和感を感じたものだ。

橘寺の如意輪観音坐像、手前の幕の「橘」のロゴマークが印象的だ。

 でも、私が、今回「聖徳太子が消える。」と心配しているのは、お札の話ではない。もっと深刻な話だ。教育現場から、教科書から、日本の歴史から、聖徳太子が消えようとしているのだ。

 その動きは、2002年から始まった。山川出版の教科書が「聖徳太子(厩戸王子)」の記載から「厩戸王(聖徳太子)」に変更したのだ。次いで2013年、今度は清水書院の教科書が「聖徳太子虚構説」を教科書の中で取り上げた。今では、学問的に聖徳太子の存在は疑問であると、聖徳太子について一切記述しない教科書が優勢になっているそうだ。

 飛鳥時代の史実研究の進化かもしれないが、流石に寂しい。私の小学校の授業で習ったときは、聖徳太子は10人の人が一度に話しても、それを聞き分け理解できる超能力者だったのに、、、

橘寺境内、「橘」のロゴマークをあちこちで見つけることが出来る。

 日本史の一番初めに登場するスーパースター・聖徳太子が完全に消え去ってしまう。それは英雄論(歴史は英雄によって作られる)者の私には余りに寂しい話だ。そこで私は、今、全く別の説を信じている。その説とは「聖徳太子・蘇我馬子同一人説」だ。「大化の改新で、蘇我氏を滅ぼした藤原氏は、十七条憲法や冠位十二階や遣隋使を定めた蘇我馬子の大功績を消し去るため、日本書紀の中で歴史上存在しない聖徳太子という人物を仕立て上げ、蘇我馬子の全功績を聖徳太子に移した。」というものだ。これなら、少なくとも一人はスーパースターが存在したことになる。私も納得だ。

参照 : 四長。石舞台で万葉の風に吹かれる。(※リンク)


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