《写真漢詩・短歌》四長、石舞台で万葉の風に吹かれる。(飛鳥・大和路吟行シリーズ1)

 


 今日から「飛鳥・大和路吟行シリーズ(不定期)」をスタートしたい。大和路の前に態々飛鳥を付けたのは飛鳥・明日香村に想いがあるからである。「日本のルーツ」と言われる「明日香村」に行くと、私の歴史観が学生時代の日本史の授業から開放される気がする。私に言わせれば平城京遷都以降の歴史は非常にキッチリとしているが、それ以前は結構良い意味で良い加減だ。(その時代の大イベント「大化の改新」だって、私が学んだ50年前からは評価が、二転三転しているようだ。)それ故、私は「素人のとんでもない仮説だって受け入れてくれる大らかさが、明日香の地にはある。」と信じることにしている。

 漢詩の写真は、お馴染みの「石舞台」である。明日香村島庄にある巨石30個を積み上げた古墳だ。埋葬されていたのは、時の絶対的権力者蘇我馬子が有力と言われている。そして「元々はこの巨石群、土で覆われていたが、蘇我氏が『大化の改新』で滅んだのち、蘇我氏を良く思わない勢力によって、懲罰として封土が剥がされ、墓が暴かれた。」とされている、、、本当かな?

 此処で私の仮説だ。とんでも無い仮説だ。「石舞台は、①元々石室を露出させる形式の墓であった。②従って一度も封土されたことが無い。③絶対権力者蘇我馬子は、シルクロードを通じて伝わったギリシアやローマやエジプトの石文化を知っており、ピラミッドみたいな石の構造物に憧れていた。」という新説だ。

 根拠は何もない。石舞台の前に立って、想像以上の迫力に圧倒されての感想だ。あまりに「石舞台」が明日香の丘に馴染み、そこを吹く風に心地良さげに佇んでいるのを見ての感想だ。


 蘇我馬子は遺言したんじゃないかな?「私の墓の上の巨石が造る『舞台』の上で、ときどきは飛鳥美人に舞踊らせるように。私は墓の中からそれを見ている。決して土なんか被せないように。」と、、、

石室の天井の石の隙間からは光が漏れる。蘇我馬子も真っ暗よりも、少し明るい方が良かったのでは、、(笑)







このブログの人気の投稿

《写真漢詩・短歌》臨時増刊・四長、江東区でプリツカー賞を堪能する。

《写真俳句》臨時増刊・四長、横須賀美術館で山本理顕氏のプリツカー賞受賞を祝う‼️

仙台堀日記・臨時増刊号《写真漢詩・短歌》四長、磯谷渚監督作品「ポーラーナイト」を語る。

≪写真漢詩≫四長の『現代漢詩論』