《写真短歌》四長、海無し(長野)県で海を見た。(白馬・秋・4)


  先日のブログで、唐松岳の第1ケルンからの眺めを紹介した。眼前に白馬三山が迫り、「メメント・モリ」さえ実感するという内容だった。でも、それはケルンから西の眺め、回れ右をして東側を眺めると景色は変わる。遥か遠方には越後の高い山並みが見えるが、その間には低い山並、そして細長い低地が、回廊の様に北から南に貫いている。


 地図で示すと、こんな感じ、回廊はJRの大糸線が走っているその場所だ。実はこの回廊こそが、「フォッサマグナ」の西縁、糸魚川ー静岡構造線である。「フォッサマグナ」とは、ラテン語で「大きな溝」という意味だ。明治の初め、政府の招きで来日したドイツの地質学者・ナウマン博士が発見した。大昔、本州のど真ん中に「大きな溝」があり、そこに海水が流れ込んでいたというのだ。そう。海峡があった、、、


 小学生だったか、中学生だったか忘れたが、最初にこの「フォッサマグナ」のことを聞いたときは結構ショックだった。「フォッサマグナ」の名前も何処かキャッチーだったが、本州のど真ん中に海峡があったということは衝撃的だ。津軽海峡や関門海峡よりずっと大きくて長い海峡があった。本州のど真ん中に。この溝・「フォッサマグナ」は、現代においては眼に見える地形的な溝ではなく、地質的な溝だということはわかっていた。叶うはずはない!でも私はそれを見たいと思っていた。


 あれから50年以上経った。すっかり忘れていたが、このケルンに立ったとき、急に思い出した。あの遠くに見える越後の山並みと、自分が今立っているこのケルンの間に、大昔、大きな海峡があったことを、、、目を閉じて、想像力を全開すれば海峡が見える、そして、何処から歌も聞こえる、、、「信濃海峡秋景色」か、、、



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