《写真漢詩》四長、小原正助氏に憧れる。(福島吟行7)


  今日の写真は、全てJR磐越西線(郡山〜新潟間)の車窓越しだ。全体に青みが掛かり、ガラスに車内が(よく見ると撮影している私も)写っていたりしている。自分では疾走感が出ていると思っているが、写真の出来としては酷い。ご容赦頂きたい。疾走感!そう磐越西線!結構なスピードで走る。猪苗代駅辺りの稲刈り直前の黄金色の田園地帯を、風を切って行けば、自然に漢詩も出来ました。

 そして磐梯山!磐越西線は、天気さえ良ければ、かなり長い間、磐梯山を眺めることが出来る。大変贅沢な路線だ。無意識に歌も口遊む。民謡「会津磐梯山」だ!小さい頃我が家では、父が民謡が好きだったので、この歌も良く聴いていた。自然と歌詞も覚えている。

   子供にとってはちょっと衝撃的な歌詞だった。だって「会津磐梯山は宝の山」で「笹に黄金がまたなりさがる」のだ。私は暫く会津磐梯山は金山だと思っていた。そして囃子(合いの手?)はもっと衝撃的だ。「小原正助さんという人物が、朝寝・朝酒・朝湯が大好きで破産するのだ。」、小さな私は思っていた。小原正助さんは金鉱関係者、それで贅沢三昧、でもさすがに毎日そうやっていれば、破産する。それは尤もだ!尤もだ!と思っていた。

 でも、大人になると少し違う。歌詞(特に囃子)に違和感を持ち出した。だって磐梯山は活火山だ。昔大噴火(※リンク)で大変な被害も出ている。金鉱なんて山の何処にも無い。そして会津藩、戊辰戦争や白虎隊のことを勉強すると、藩風は質実剛健!そんな土地に小原正助さんのような呑気な人がいたとはとても思えない。どうしてこんな歌詞になったのだろう?

      調べて見ると真相が分かった。現代知られている「会津磐梯山」の歌詞は昭和初期人気があった小唄勝太郎が歌った歌詞だ。本来の地元の「正調会津磐梯山」とは歌詞も異なり、囃子は勝太郎サイドが勝手に入れたとのことだ。従って本当は小原正助なる人物も存在しないようだ。でも当時人気を博した勝太郎が歌えば、そちらが定着した。今となっては小原正助氏も全国区の有名人だ。  

 当初は地元は「会津のイメージが悪くなる」と大いに憤慨したという。しかし今はどうだろう?私は今は地元の人が歌う会津磐梯山にも、小原正助さんが登場すると思う。だって、本当はみんな「朝寝・朝酒・朝湯の小原正助的ライフスタイル」に少し憧れる。


 では、冒頭の「会津磐梯山は宝の山よ」の歌詞はどうして?、、、

 私は勝手に思っている。答えはこの風景ではないかと、、、

 笹ではないが、稲穂が黄金に輝いているこの光景を唄っているのではと。正に豊穣!「会津磐梯山は宝の山」で間違い無い!

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