《写真漢詩》四長、裏磐梯で磐梯山大噴火を知る。(福島吟行2)
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裏磐梯高原ホテルから眺める磐梯山 |
1888年(明治21年)7月15日、磐梯山が噴火。噴火による死者は477名、明治以降の近代日本に於いて最も多い犠牲者が発生した火山災害であり、明治政府が初めて経験した大規模自然災害だった。
噴火の凄まじさは、次のような普段は使用されない恐ろしげな用語が使われたことで分かる。「①山体崩壊(磐梯山を構成する峰の一つ小磐梯は全面的に崩壊、消滅した。その跡に巨大な馬蹄型カルデラが出来た。)」「②岩屑なだれ(山体崩壊により発生した岩石、土砂によるなだれ、長瀬川とその多くの支流を堰き止め、大洪水を発生させた。その跡には檜原湖、秋元湖等々幾つもの湖が出来た。)」「③火砕サージ(噴火による爆風、何度も発生した。衣服を着ていても瞬間、火傷した。)」等々である。
この資料を読んでから見ると、目の前の磐梯山の美しい景色も全く別なものに見える。「山体崩壊」の傷跡が生々しく迫る。目の前の湖も「岩屑なだれ」で川が堰き止められて出来たと思えば、大洪水による被害も容易に想像出来る。そして今、自分が立っているこの場所が噴火の後に出来た馬蹄型カルデラの中なのかと想うと恐ろしい。噴火は太古の昔ではない、明治の話だ。且つ磐梯山は現在も活火山なのだ。思わず、当時の犠牲者に合掌した。
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磐梯山の山体崩壊の跡、あの場所から岩屑なだれ、こちらに押し寄せ、川を堰き止め、湖が出来た。 |
午後は、暫し磐梯山噴火を忘れ、楽しみにしていた五色沼を散策することにした。錦繍の秋はまだ先だが、瑠璃色の水を湛える湖沼は不気味なくらい美しく神秘的だ。この世のものとは思えない不思議な色彩である。我を忘れて見惚れていると、、自らの迂闊さに気づく、「この美しい五色沼も、磐梯山噴火により川が堰き止められ出来たんだ。」と。
あの大惨事の後、磐梯山の山の神は、何を思ってこの宝石の様な五色沼をこの地に残したのか?鎮魂か?唯の気まぐれか?神の差配に人智は及ばない。神のみぞ知るとはこのことだ。