《写真漢詩・短歌》カタルーニャの坂本龍一(海外シリーズ・シーズン4・エピソード6)
スペイン・バルセロナのカタルーニャ音楽堂。バルセロナの代名詞であるアントニオ・ガウディの師であり、ライバルでもあったリュイス・ドゥメナク・イ・ムンタネーの設計である。イスパノ=アラブ様式の装飾と湾曲したラインを組み合わせた豪華絢爛なスタイル、過剰感さえあるステンドグラスの修飾が美しい。年間50万人もの人が交響楽や室内楽、ジャズ、伝統音楽などを楽しむために訪れ、演奏家たちにも愛され続けている。今年3月28日に亡くなった日本の坂本龍一もその一人で、何度もこのホールでコンサートを開いている。
坂本龍一の音質への拘りは尋常ではない。従って音の器となる録音スタジオや劇場も厳しく選別した。亡くなる3ヶ月前に世界配信されたピアノコンサートの映像の収録も、その音響をこよなく愛するNHKの509スタジオで行うのが絶対条件だった。そんな坂本龍一が「カタルーニャ音楽堂」の何処が気に入っていたのか、私には分からない。でも現地のガイドさんが言っていた。「この音楽堂は、硝子の硬質な音響を生かすために、劇場に付きもののカーテン類を外している。」と。それもあったのかなと勝手に想像している。今となってはもう確かめようが無い。
坂本龍一とバルセロナとの繋がりはこのカタルーニャ音楽堂にとどまらない。1992年には、バルセロナ五輪の開会式のアトラクションで、テーマ曲を作曲し、当日現場で指揮をした。(今もYouTubeの動画で視聴可能だ。)私は鮮明に覚えている。確か、開会式の少し前までは、彼はメディアに「オリンピックのような国威や民族感情発揚の場で、演奏や指揮をするつもりはない。」とか、元学生運動の活動家らしい発言をしていた。それが、実際には引き受けて指揮しているのには驚いた。五輪委員会から懇願されたので渋々やりましたということなんだろうけど、、、
皆んなそれも坂本龍一らしくてカッコいいなと思ったものだ。奔放な発言も行動も、全て坂本龍一だからと許された、、坂本龍一はその5年前に「ラストエンペラー」のサウンドトラックで英米のアカデミー賞やゴールデングローブ賞、グラミー賞で作曲賞を獲得するなど、音楽家としてノリに乗っている時だ。今、動画を見ても、自信に溢れた指揮ぶりだ。1992年といえば、日本はバブルが崩壊し、失われた30年が始まった頃だ。そんな中でも坂本龍一は特別で、才能だけで世界を駆け抜けていくのだろう。きっとこれからも欲しいものは全て手に入れるのだろうと思っていた、、、、
そんな坂本龍一も、今年亡くなった。私には叶わない夢であったが一つ夢があった。「カタルーニャ音楽堂で坂本龍一のコンサートを聴く。」だ。私は訃報を聞いた4月2日「死ぬ前に実現したいリスト(※リンク)」からそれを外した。