《写真漢詩》京都吟行シリーズ(15)四長、「壺中の天」を掌中にする。


 
 京都の下鴨神社の近くにある「旧三井家下鴨別邸」の座敷の丸窓である。丸窓の狙う効果は、前にこのブログに書いた「額縁効果」(※リンク)だろう。写真撮影の風景の切り取りテクニックである額縁効果である。見る人の視線は額縁内に自ずと集中する。でもこの丸窓を見たときには、私はちょっと別なことを考えた。何か、丸窓の中にこちらの側とは別な世界があるような、そして窓が丸いせいもあり、壺の中を覗いているような気もしたのである。


 「壺中の天」とは、中国の「後漢書」の故事、「後漢の費長房という役人が、市中の薬売りの老人が、薬を売り終わると、その薬の入っていた壺に入っていくのを見つける。後日、自分も一緒に入れてもらうと、何とその中には立派な建物があり、美酒・佳肴が並び、楽しく過ごすことが出来た。そこに俗世間を離れた別世界があった。」という例え話である。

旧三井家下鴨別邸

      歴代総理が師と仰ぐ陽明学者・安岡正篤は。座右の銘とした「六中観(※注)」の解説の中で、「壺中有天」、すなわち「人は一日の中でたとえ五分間でも『壺中の天(別天地)』を持たなければいけない。」と説いている。そして、「その別天地は、自分だけの内面世界であるからして、誰でもが持とうと思いさえすれば、持つことが出来る」。更に「その別天地に何を持ってくるかで人間の風致風韻が決まる。」と説いている。

下鴨神社・糺の森

 そうか、1日5分の別天地か?簡単そうだが、私のサラリーマン現役時代は、殆どの日々は無理だったと思う。でも、リタイア後の現在は出来ている。お陰様で。5分と言わず5時間くらいは出来ているかもしれない。

 そう、このブログ「仙台堀日記」が私の別天地だ。そこに「何を持ってきているか?」それは恥ずかしながら、拙い「写真」「漢詩」「短歌」「エッセイ」、そして自分の中のノスタルジー、妄想、理想、思想、希望、何でも思いつくままに詰め込んでいる。完全には俗世間と離れているわけではないが、世間体は全く気にせず、自由自在に持ち込んでいる。スマホのホーム画面の「仙台堀日記」のアイコンをひとたび押せば、時空も超えて別天地を気儘に彷徨うことが可能だ。良い時代だ。改めて幸せなことだと感じている。

 「老人はスマホの中に『壺中の天』を持つことが出来る」、ブログはお勧めだ。

(※注)「六中観」とは「忙中閑あり」「苦中楽あり」「死中活あり」「壺中天あり」「意中人あり」「腹中書あり」。

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