《写真短歌》四長、日光金谷ホテルでイザベラ・バードに驚嘆!(日光吟行シリーズ2)
「日光金谷ホテル」である。創業140年、現在地に移ってからでも120年を超える歴史を持つ現存最古の西洋ホテルである。クラシックホテルの呼び名に最も相応しいホテルである。
創業に直接的に係ったヘボン博士(ヘボン式ローマ字で有名)を始め、このホテルを国際的にも有名なリゾートホテルたらしめることに貢献した外国人が多くいた。しかし、その中でも19世紀の大英帝国の女性旅行家「イザベラ・バード」の貢献は群を抜いている。
「イザベラ・バード」は旅行家、探検家、紀行作家、写真家、ナチュラリストであり、正に世界中を旅した。世界中の前に「正に」と付けたのは、当時旅行が困難であった世界の奥地まで旅をし、旅行記(「中国奥地紀行」「朝鮮奥地紀行」「日本奥地紀行」等々)をものにしているからだ。
モンゴル、チベット、南洋の島嶼、ロッキー山脈、、、彼女が訪ね、初めて世界に紀行記として紹介した場所は多い。かのビクトリア女王も彼女の紀行記の大ファンだったという。
そんな「イザベラ・バード」が1878年日光へやって来る。この金谷ホテル(当時はカナヤ・カッテージ・イン)に丸々2週間滞在した。そして東照宮等ホテル周辺だけでなく、奥日光にも足を伸ばす、中禅寺湖、男体山、華厳滝、竜頭滝、戦場ヶ原、湯滝、湯元湖と現代の日光観光の名所を隈なく巡り、日光という地の自然・文化を闊達に描写、絶賛して「日本奥地紀行(英語直訳すると「日本に於ける人跡未踏の道」、キャッチーだ。)」で世界に発信したのである。
当時、旅行については世界最強のインフルエンサーが発信したのである。その影響は絶大だ。世界各地から観光客が日光を目指す。日光は一躍、国際色豊かなリゾート地となった。中禅寺湖畔に、各国大使館の別荘が建てられた(リンク)のも、彼女の旅行記が影響していることは間違いない。
その国際リゾート地・日光の原点「日光金谷ホテル」、その存在感は今も変わらない。増改築はあるものの、外観も内装も佇まいは変わらない。そして「イザベラ・バード」が旅行記の中で絶賛したこのホテルのホスピタリティーも、勿論今も健在だ。決して変わることはない。正真正銘!本物のクラシックホテルだ