《写真漢詩》夢で逢えたら。
漢詩のタイトルは「怖夢」だが、私は決して怖い夢を見たかった訳ではない。写真に紫色の靄がかかっているのを使っているのは、大瀧詠一のスタンダード・ナンバー「夢で逢えたら」を意識してのことだ。私は大瀧詠一の「夢で逢えたら」が大好きである。特に2番の冒頭の歌詞「薄紫色した深い眠りに落ち込み、、、」を聴くと必ずセンチメンタル・スイッチがオンになる。それはもう完全に条件反射と言って良いほどだ。
私にも逢いたい人はいる。友人や家族や親戚、遠くにいてなかなか逢うことが叶わない人もいれば、住所を空の上に移し、リアルな世界では、もう絶対に逢えない人もいる。
それ故、最近は夜眠りに着く前に「今日は誰々に夢で逢えますように」としっかりと意識して眠りにつくことにしている。そして、待つ、じっと待つ、薄紫色の深い眠りが訪れるのを、、、逢いたいあの人が、夢の中で「私のもとに駆けて来る」のを、、、
しかし、これは今まで実現したことはない。大体は私はあまり夢を見ないというか、見た夢を覚えていない。そして、私の見る夢といえば怖い夢だ。大の苦手の鳥(※リンク)の夢を見ることが多い。ヒッチコックの映画「鳥」のシーンの中に入り込んでいる時もある。そして、そこから抜け出すのだ。必死に藻がいて藻がいて、、、大好きでリスペクトしている大瀧詠一先輩に、少し文句を言いたいくらいだ。
最近、フロイトの夢判断のダイジェストを読んだ。その中で彼は「夢の素材は記憶から引き出されており、その選択方法は意識的なものではなく、無意識的だ。」と述べていた。そうか、無意識的か。私みたいに誰の夢を見ようと意識しても駄目なんだ。
空の上にいる大瀧詠一先輩にも教えてあげたいと、もう一度「夢で逢えたら」の歌詞を一言一言チェックしてみた。するとどうだ!「夢で逢えたら」の主人公は、昔の恋人に「逢えたら良いな」と願っているが、どうもその願いは叶わず、夢の中で恋人に逢えていないみたいなのだ。でも美しい言葉とメロディーが、逢うことが実現したかのように聞き手に錯覚させる。大瀧マジックだ!さすが大瀧先輩!フロイトのこともちゃんと勉強していたみたいだ。