《写真短歌》四長、涸沢カールに井上靖「氷壁」を想う。(上高地吟行4)
上高地で一番有名な写真といえば、穂高連峰と「涸沢カール」をバックに、梓川に掛かる河童橋を撮った写真だろう。なのにこの写真には河童橋が写っていない。何故か?答えは簡単だ。河童橋の上から撮っているからである。今日のテーマである「涸沢カール」をより大きくお見せしたいからだ。9月初めの「涸沢カール」、緑の絨毯に覆われているが、まだ所々に雪渓も残っている。
「涸沢カール」、日本有数の氷河圏谷である。直径は約2kmで標高差は900mあり、穂高連峰の最高峰奥穂高岳と前穂高岳を結ぶ吊尾根といわれる稜線が、屏風のようにカールを守っている。
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河童橋が入る一番有名スポットから涸沢カールを撮影、奥穂高岳からの吊尾根(稜線)もクッキリと見える。 |
私は、インドア派であり、「涸沢カール」は此処から眺めるのが精一杯だ。行ったことは一度も無い。それなのに親しく感じる。それには理由がある。その理由とは、「涸沢カール」が私の大好きな作家・井上靖(前出※リンク)の小説「氷壁」の舞台だからだ
「氷壁」は井上靖のベストセラー作家としての地位を揺るぎないものにした1956年の朝日新聞の連載小説だ。その年の秋、たまたま涸沢カールへ月見登山に訪れた井上靖は、前年に前穂高岳東壁(当時は厳冬期は未登頂)で起きた「ナイロンザイル切断遭難事故」の話を同伴者から聞く。そして強く惹きつけられる。その事故をモデルにして長編小説を僅か2ヶ月で書き上げる。冬には朝日新聞に連載、翌年のベストセラー小説をものにするという逸話が残る。
小説家・井上靖の流行作家としての一面、嗅覚や勝負勘を感じさせる話だ。井上靖の創作小説だけでなく、自伝的小説やエッセイを通して、彼の生き方・生き様も敬愛する私には興味深く感慨深い。
後日談もある。彼はそれ以来、大の「涸沢ファン」になったようだ。それから亡くなるまでに20回近く此処に通ったという。彼のそんなところにも私は親近感が湧く。
河童橋から見える「涸沢カール」は、私にそんな話を思い出させてくれた。短歌も一首詠みました。
河童橋から見える、涸沢カールの雪渓が無くなるのは、もうちょっと後、山が色づき出す頃だ。夏の間は雪を残し、紅葉が始まる頃は雪を消す。本当にサービス精神に溢れた山である。