《写真漢詩・短歌》四長、松江をニューヨークタイムズに推薦する。(後編・小泉八雲)
小泉八雲、ラフカディオ・ハーンである。私が「文化の街・松江」の礎を築いたと考える二人のうちの一人である。もう一人の松平不昧公は、昨日の前編で紹介した通り、江戸時代、茶道を通じて松江の文化をブランド化した。一方、八雲は、明治中期、松江尋常中学校の英語教師として松江に滞在、その後その著作を通じて日本の魅力、松江の魅力を世界中に発信することで「文化の街・松江」に貢献した。
僅か443日の滞在ではあったが、その日々は濃厚で八雲と松江の街の絆は堅い。例えば、この地で生涯の伴侶セツ(松江の有力士族の娘)と結婚しているし、セツの献身的な協力により、出雲地方や日本の民話・伝説を取り入れた紀行文、随筆、小説、日本研究書をものにしている。そして、極めつきは、日本国籍を取得する際に、妻の旧姓小泉と出雲の国の枕詞である「八雲立つ」の八雲で、「小泉八雲」と称したことだ。八雲は松江を深く愛した。
そんな八雲のことを、松江の人達も大好きである。八雲の旧居や記念館は皆、地元のボランティアの人達で運営されているが、皆んな八雲のことをヘルン(中学校教師への辞令の表記でハーンがヘルンとなっていた。本人も気に入っていた)さん、ヘルンさんと親戚の叔父さんの様に呼ぶ。それも良い感じだ。「ヘルンさんグッズ」も色々作られているが、松江らしくセンスが良い。
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小泉八雲記念館で購入した「ヘルンさんピンバッジ」 |
勿論、私も八雲、ヘルンさんのことが大好きだ。その業績・生き様を高く評価しているし、リスペクトしている。でも、彼の代表的な著作「怪談」は愛読書かと聞かれれば、それは微妙だ。少なくとも夜は怖くて読めない。小さい頃、夜「耳無し芳一」を姉から聞かされて、泣き出したこともある。松江の街に夜の帷が降りてくると、そんな記憶も甦る。そうか、此処で「耳無し芳一」が生まれたんだ、、何か気配がするな、、私の五感は自然に研ぎ澄まされていく。