《写真漢詩》祭囃子が聞こえると、、、(前編)

  6月の門前仲町は、8月に向け祭り(江戸三大祭りの一つ、深川八幡祭り)の準備に余念が無い。町内の彼方此方からお神輿や祭囃子の練習をする音が聞こえてくる。

 この深川八幡祭り、3年に一度の本祭りが、前回はコロナ禍で休止となった。そのため今年は実に6年振りの本祭り開催となる。否が応でも門仲の街は盛り上がる。

 でも、私の中でこの時期(麦秋の頃)の祭りと言えば、生まれ故郷、愛知県の美濃路の「尾張西枇杷島まつり」だ。東京江東区に在住30年超、深川八幡の本祭りをもう何回も経験していると言うのに、、、
 やはり幼い頃見た風景(原風景)、幼い頃の経験(原体験)は強烈だ。今も夢に出て来る。

 西枇杷島は、江戸時代は名古屋城下の台所として知られ、青果問屋が軒を並べ繁栄していた。毎年5、6月には、美濃路で5台の山車を曳く「尾張西枇杷島祭り」が盛大に(且つ結構優雅に)開催されていた。私の実家も嘗ては青果問屋を営んでおり、祭りの主催者側の一員だった。

 私の小さい頃はまだその栄華の影が少しは残っており、祭りになれば、我が家もそれなりにご祝儀を弾んでいたと思う。そして、私にはその頃の思い出、今も時々夢に出てくる思い出がある。

 こんな思い出だ。上の写真には山車の上部左側に少年が写っている。でも、私の小さい頃は上部に子供が乗るのは御法度!子供は山車が停車しているときに、下部に腰掛けることぐらいしか許されていなかった。私も子供心に上部に登って景色を眺めたくて仕方なかったが、それは大きくなるまでお預けだろうと諦めていた。

 ところが、祭りが始まって間もない頃(恐らく午後の曳き回し本番に向けて練習していたとき)だ。山車が美濃路の我が家の前に差し掛かったとき、私と一緒に山車を見ていた祖母が急に、山車の引き手衆の親方らしき人を呼び止めて、何かご祝儀袋を渡した。すると親方が近づいて来て私を抱き上げ山車に乗せ、写真の少年のように上部に座らせてくれた。短い時間だったが、私は山車に揺られながら、山車の上部から祭り賑わう美濃路の街並みを眺めることが出来た。

 始めは、休み明け学校に行ったとき、一人だけズルをしたと、同級生たちに咎められるのが心配で嫌な思いもあった。でも、直ぐに山車の上部からの非日常的な眺めに夢中になり、そんな心配は吹っ飛んだ。


 祖母は、祖父の後妻で、父とも私とも血が繋がらない人だった。性格も強く、正直なところ親戚中で嫌われていた人だった。しかし、何故か私だけは可愛がってくれた。(戸籍上は十人以上の孫がいたが、可愛がったのは私だけ、超エコ贔屓の人だった。)嫁である母にも結構キツく当たったので、私も嫌な思いをしたこともある。(母も強かったので、結構やり返してはいたが、、) 
 
 でも、この年となって思い出すのは、祖母に甘やかされ可愛がって貰ったことだけだ。中でもこの記憶は特別で、折々に思い出す。
 この季節、何処からか祭囃子が聞こえると、あの山車の上から眺めた美濃路の景色が鮮明に甦る。




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