《写真短歌》京都吟行シリーズ(19)水琴窟から遠州の声が聞こえる。(瑞厳山・圓光寺2)

圓光寺

  一見、水を張った手水鉢に、すっかり紅葉した大ぶりのもみじの葉を浮かべ、目に美しき一枚の写真である。しかし、この手水鉢の真骨頂は鉢の下にある。鉢の地下部分が「水琴窟」となっている。「水琴窟」と聞くだけで、澄んだ小さな水音聞こえてくる気がする。目にも、耳にも美しき一枚の写真なのだ。

 近頃は何でもランキング時代、頼みもしないのにネットの中で順位付けされる。上の写真も例外ではない。「京都で聞きたい水琴窟ランキング」の見事第1位、「圓光寺の水琴窟」である。

圓光寺

 「水琴窟」の始まりは、安土桃山〜江戸時代初期。明治時代には、個人邸の庭にも盛んに用いられたが、その後すっかり寂れ、名前さえ聞かなくなり忘れ去られていた。ところが、昭和の終わりにあるテレビ番組で取り上げられると大ブームとなった。水琴窟のある寺や庭園にどっと観光客が訪れた。かく言う私もその一人、新しく作られた庭園の水琴窟の音色に感動した覚えがある。「誰が、この仕組みを考えたのだろう?世の中にはセンスの良い人がいるな!」と、、、

 「水琴窟」は誰が作ったか?正確なことはわからないようだ。でも、当時、大名茶人として名を馳せた「小堀遠州」だという説が有力だ。何でも当時の古書に「小堀遠州」が師匠筋の「古田織部」に水琴窟の仕組みを説明するくだりがあるそうだ。

圓光寺

 「小堀遠州」と「古田織部」。ともに戦国時代→安土桃山時代→江戸時代を生きた大名茶人である。千利休の流れを汲みながら、信長・秀吉・家康と時の最高権力者が変わっても、常に権力者の側にあり重用された。権力者はいつの世も我が儘だ。茶器など道具の謂れなど古いものを有り難がっているかと思えば。飽きっぽいところもある。側に侍って、故事来歴だけを話しているだけでは、捨てられる。捨てられるだけならまだ良いが、権力者の気分次第で、殺されることさえある。(権力者は猜疑心も強い)

「飛雲閣」(安土桃山時代、秀吉の政庁兼住居「聚楽第」の楼閣、現在では西本願寺境内に移築されている。)

 そうか、遠州も織部も大変だ。新基軸も考えないといけない。そこで、ある情景が頭に浮かんだ。時は安土桃山時代、場所は京都の聚楽第の庭、秀吉に遠州が何か説明している。側には家康も織部も侍っている。遠州が秀吉に囁く「太閤殿下、これが私の造った『水琴窟』でございます。此処に水を垂らせば、あや不思議、琴の音が聞こえます。」、、、秀吉!感動!『水琴窟』誕生の瞬間だ。(フィクションです。)



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