《写真漢詩》「大阪」は「大坂」だ!(大阪吟行1)


 「大阪」の「大坂城」である。上の漢詩を詠んだとき、城の前に「大阪」と「大坂」、どちらを書くのか迷ったが、城の場合はどちらでも正解だそうだ。

 大阪の地は、古墳時代から江戸時代中頃まで「大坂」と表記した。ところが江戸時代に「大阪」が使われるようになり、明治には、完全に「大阪」が定着した。だから現代は自治体名は「大阪府」「大阪市」だ。

 城の場合は、太閤秀吉が造った「大坂城」は燃えてしまい、江戸時代、明治時代と2回再建しているので、「大坂城」、「大阪城」どちらの表記でもOKとなったのだろう。

 一方で「大坂の夏の陣、冬の陣」は、「大坂城」の時代にしか起こってないので「大坂の陣」が正解だ。「大阪の陣」と日本史の試験に書くと、誤りとされるので注意が必要だ。ややこしい。

 ところで、江戸時代中頃に、「坂」から「阪」に変わったのは、「坂」の字を分解すると、「土に反える(死を連想させる)」ということで、庶民が徐々に「坂」を使わなくなっていったと、、、モノの本にはある。でも本当にそうだろうか?実は私は疑っている。

       本当は、徳川の陰謀ではないか?現代、京都・大阪といった関西圏、特に大阪では今でも太閤秀吉は大変な人気だ。商都大阪の礎を築いてくれた秀吉!当然だ。それに比べて、秀吉の遺児、幼い秀頼を手玉にし天下を掠め取り、大阪の繁栄のかなりの部分を江戸に持って行ってしまった狸親父家康!人気があろうはずがない。秀吉の足跡が未だ色濃く残る江戸時代では、人気の差は歴然だったろう。

 そこで徳川幕府は考えた。このままではマズイ。少しでも秀吉のイメージを消そうと。そこで改名だ!大都市大坂の地名をまるっきり変えるのは無理だ。でも、縁起が悪いとか言ってイチャモンを付け、秀吉ゆかりの「大坂」の字を「大阪」に変えるってのはどうだと(ややセコイ)、、、これがまんまと成功した。

 この江戸方の大坂イジメ(豊臣イジメ)は現代も続いている。最近のNHK大河ドラマにそれが顕著だ。大河ドラマに豊臣秀吉はよく登場するが、ある時から傲慢な悪いイメージの太閤秀吉ばかりになった。(今年は特に酷い、あれはサイコパスだ。)一方、家康と言えば、思慮深く情愛深い人部像が描かれることが定着した。(私も冷静に考えれば、それが史実に近いかな?とは思う。でも明らかにやりすぎだ。)


   そこで、突然だが私から大阪維新の会に提案だ!大阪都構想も大阪万博も結構だが、「『大阪』を『大坂』に戻す構想」は如何だろうか?戻す理由はズバリ「大坂の象徴・秀吉の名誉回復」だ!理由を丁寧に話せば、大坂人のDNAは刺激され、共感を得られるだろう。今なお残る秀吉ファンからの熱い支持は確実だ!得票率も飛躍的にアップ!阪神タイガース優勝の今がチャンスだ!やるしかない。 (てな訳ないか、、、)

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