《写真漢詩》 麒麟くん、空を翔ぶ。
東京・日本橋の「麒麟像」である。まだコロナ禍で人流も戻らず、平時ならライトアップの「麒麟像」の前に集う俄かカメラマン達もいない頃の日本橋である。「麒麟像」はコロナ禍下も、泰然!超然!そんな言葉がピッタリだ。ブロンズ像ではあるが、私はその姿を少しリスペクトした。
小さい頃、疑問に思ったことがある。動物園や絵本で見る首の長い「キリンさん」と、父親の飲む「キリンビール」のラベルの、首のそんなに長くない「麒麟」は同じ動物なのか?という疑問だ。子供としては、観察眼の鋭い私には同じ動物には思えなかった。ビールを飲んでいる父親に尋ねたが、父親の答えは曖昧で要領を得なかった。(きっと知らなかったのだろう。)
小学生になると、大相撲に「麒麟児」という力士が登場した。やがて彼は大関に昇進し、「大麒麟」と改名した。彼は首は短く足も短く、ずんぐりしている。(力士として理想型?だ)これは絶対に「キリンさん」ではない。どちらかと言えば「キリンビール」の「麒麟」の方だ。世の中には「キリンさん」とは違う、もう一つの「麒麟」が存在することを確信した。それで、小さい頃からの疑問は解消した。
「麒麟」、中国の神話に現れる伝説上の動物だ。麒が雄で麟が雌、雌雄同体の生き物だ。背丈は5m、顔は竜に似て、体型は鹿、牛の尾と馬の蹄を持ち、身体には鱗がある。「キリンさん」とはどこも似てない。なのに明の永楽帝が献上された「キリンさん」が「麒麟」と似ているとしたことから、この混同が始まった。(悪いのは永楽帝だ!全然似ていない!)
ところで、漢詩にある日本橋の「麒麟像」、こちらは彫刻家・渡辺長男の傑作である。中国神話の「麒麟」の姿を忠実に再現している。唯、この日本橋の「麒麟」には、中国の神話には無い、オリジナルな造作が施されている。背中についている「翼」、いや「翼のようなもの」である。私もずーっと「翼」だと思っていたが、つい最近、テレビの美術番組を見ていて誤りに気が付いた。この「翼のようなもの」の正体は、製作者・渡辺長男曰く「背鰭」だそうだ。(成程、翼であるなら羽根があるはずだ。)そして、彼は「麒麟」が大空を飛翔することをイメージしていたと言う。でも本当に「鰭」で空を飛べるのか?それも疑問だ。
ここでまた新たな疑問が首をもたげた。小説も映画も大ヒットした「麒麟の翼」の作者・東野圭吾は、「麒麟の翼」が、実は鰭であったことは知っていたのか?知らなかったのか?知っていたけど、「麒麟の鰭」ではヒットしないと思い、敢えて「麒麟の翼」にしたのか?疑問だ!でも、答えは大ベストセラー作家の胸の中、こちらの疑問は、そう簡単には解消しないだろう。