《写真短歌》四長、明治通りで「旅の宿」を口遊む。
上の短歌の主役は「上弦の月」である。写真の通り、走る車のヘッドライトとテールライトで光の川となった「明治通り」を、まだ宵の口で、上弦と言うにはまだ傾きが足らない月が見下ろしている光景を詠んだ。(因みに月はこの後、夜が深まるにつれてどんどん傾き、深夜には弦をほぼ上にして、西の空に隠れて行った。)
「上弦の月」と言えば、私は思い出す歌がある。吉田拓郎の4枚目のシングル、大ヒットした「旅の宿」である。その歌詞の中に「上弦の月だったっけ久しぶりだね。月見るなんて、、」とあった。理科で習っていたので「上弦の月」の意味は直ぐに理解したが、「上弦の月」が歌詞になるのかと驚いた。それまでは、歌詞になるのは、満月か三日月だと思っていたから、、、なんか斬新だなと惹きつけられた。
当時、吉田拓郎は前作のシングル「結婚しようよ」が大ヒットしたにも関わらず、頑なにテレビのベストテン番組には出演しなかった。2枚目の「旅の宿」で一度だけ、出演したのを見たことがあった。出演の条件はフルバージョンで歌わせること。当時の歌番組は曲の2番をカットした短縮バージョンが常識だった。自分の楽曲を大事にするのは共感出来たし、業界の常識と戦っている姿勢はカッコいいと思った。
吉田拓郎はシンガーソングライターではあるが、「旅の宿」は彼の作詞ではない。作詞は岡本おさみ、拓郎より一学年上の作詞家である。吉田拓郎の楽曲の中でも人気がある「旅の宿」「落陽」「おきざりにした悲しみは」「襟裳岬」は全て岡本おさみの作詞だった。吉田拓郎がスーパースターになったのには、彼の貢献は欠かせなかったと思う。そして岡本おさみの書く歌詞には、全てストーリーがあり、聴衆は皆、旅の短編小説を読んでいる様に、旅情を感じることが出来た。
その岡本おさみは、2015年に亡くなった。享年73歳だ。生前、吉田拓郎との対談記事を読んだことがある(「ビートルズが教えてくれた」だったかな?)。その中で、拓郎に結構ダメ出しされるくだりがあった。「詩を十編ぐらい提供して貰ったけれど一つか二つしか良いのが無い」とか、「あの詩のあそこをこう変えたい」とかもう散々だ。
あんな素晴らしい詩を貰っているのに拓郎は我儘な奴だとか、岡本おさみの詩人としてのプライドも傷つくだろうとか、こちらが心配してしまうくらいだった。でも、岡本おさみは終始寛大だった。そして岡本おさみは言っていた。「自分は詩人ではない。ソングライター(作詞家)だ」と。「歌い手から注文をつけられるのは、良い歌を作るのには必要不可欠な作業だ」と。
それで逆に分かった気がした。吉田拓郎が、ベストテン番組出演にあたり、フルバージョンを歌うことを条件にし、歌詞を一字たりともカットすることを許さなかった理由だ。それは二人で作り上げた楽曲への愛着もさることながら、一番の理由は、戦友であり、プロ作詞家であった岡本おさみへの深いリスペクトだったのではないかと。