《写真漢詩》四長、黒川紀章の2007年を振り返る。
東京・六本木の「新国立美術館」。設計の黒川紀章氏は、私の母校・名古屋の東海高校の先輩である。東海高校OBで最近よくテレビで見るのは予備校講師でタレントの林修氏、政治評論家の木村太郎氏といった面々であるが、基本みんな個性的である。そして少し前のことになるが、世界的に天才と称されたOBも二人いた。数学界のノーベル賞と呼ばれるフィールド賞を受賞した数学者・森重文氏と日本を代表する建築家・黒川紀章氏である。
特に黒川紀章氏は、50歳を越えて女優若尾文子と再婚し、2007年には都知事選にも出馬するなど、公私ともに世の中を騒がせた。しかし、建築家としての国際的評価は絶対的だ。メタボリズム建築の騎手と呼ばれ、国内外にユニークな建築物を数多く残している。そして彼の真骨頂は都市計画・構想だ。国内の多くのニュータウン計画に携わり、イタリア、シンガポール、マレーシア、中国などでも彼の残した街並みを見ることが可能だ。圧巻は新首都計画で、カザフスタンとタンザニアの首都は、彼の計画・構想を忠実に再現したものだ。
そんな、黒川紀章氏が2007年・東京都知事選に出馬した。その選挙運動も非常にユニークなもので、自ら設計した選挙カー(大型トラックの荷台にガラス張りの応接間を乗せたもの)の中のソファーに若尾文子と二人優雅に座り、都内各地を巡回した。ときに「奇襲作戦」と称して本命の石原慎太郎の遊説場所に乗り込み、何をするかと思えば「銀座の恋の物語(石原軍団(弟・裕次郎)の力を借りないと当選できないのか?との揶揄)」を若尾文子とデュエットしたりしていた。勿論結果は泡沫候補並みの得票数で見事落選した。後輩の私としては少し恥ずかしい思いもしたが、そのユニークで、悠悠とした戦いぶりに何故か清々しさが残った。
この都知事選には、私の中に後日談がある。昨年亡くなった、こちらも世界的建築家の磯崎新氏が、長年の盟友黒川紀章氏のことを語っている記事を読んだときだ。磯崎氏はあの都知事選について、こう語っていた。「2007年・都知事選の黒川紀章のマニフェストは群を抜いていた。そして彼の構想する東京の新都市計画は、彼らしく素晴らしいものだった。いつの日か誰かが、それに注目し、それを実現する時が来るだろう。」と。当時、マスコミの報道は、黒川氏のユニークな選挙戦には、時折スポットライトを当てるものの、彼のマニフェストや都市計画・構想はほとんど報道しなかったと思う。私もそれに釣られて全く記憶にない。
そうか、確かに世界的建築家・都市計画家黒川紀章が都知事選挙に出馬したのだ。首都東京の新しい都市計画・構想を持っていたのは当たり前だ。キチンと見て聞いておけば良かったな、、、後輩は今反省している。