《写真漢詩》四長、森鴎外記念館で夏目漱石の姿を捜す。(根津・上野吟行4)
文京区根津の森鴎外の旧居「観潮楼」跡、現在は「文京区立森鴎外記念館」となっている。勿論「観潮楼」の建物は取り壊されており、今はかなりスタイリッシュな設計の記念館になっている。往時の名残りを留めるのは、「観潮楼」と刻まれた大理石の表札と、銀杏の老木のみである。
私は此処に二度訪れた。二度訪れたのには理由がある。整然と展示されている多くの資料の中から探したかったのだ。「夏目漱石が此処「観潮楼」を訪れた痕跡」を。
森鴎外(1862年〜1916年)と、5歳年下の夏目漱石(1867年〜1916年)、ふたり明治の二大文豪と並び称され、それぞれの文学サロンを主宰した。そしてこのふたりには、若き頃、それぞれ深く親交した正岡子規の句会に一緒に出ていた記録や、手紙(お互いの著書の贈答等)、そして先輩・森鴎外が夏目漱石を高く評価した文章が残っている。
しかし、その一方で、ふたりが文学界でそれなりの存在になった後、直接お互いの家を行き来して交友したという資料を、私はお目にかかったことが無い。(勿論、浅学の私が見たことないだけで、本当は何処かに資料はあるかもしれない。)
ふたりとも、反自然主義文学の姿勢は共通している。知識の背景も、ふたりとも西欧に留学、ふたりとも漢詩を詠むのが好きな漢学オタクだ。そして何より年齢も近く(5歳違い)、家も近い(根津と千駄木)。もっと頻繁に行き来して、後世に残るような濃密な交友の記録が残っている筈だと思うのは私だけか、、、、でも、そんな記録は此処、文京区立森鴎外記念館でも見つけることは出来なかった。
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裏庭の銀杏の老木 |
そんなことを考え続けていた私に、夢のような話が届く、「明治39年、東京が豪雪に襲われ、交通機関が全て止まり、勤務先の日比谷から歩いて帰る鴎外が、散歩中の漱石と文京区の菊坂辺りでバッタリ出逢う。暫くふたりだけで雪道を歩きながら語り続ける。」という話だ。関川夏央原作、作画は私の大好きな谷口ジローの傑作コミック「『坊ちゃん』の時代」の中での話だ。日本文学ファンの夢の共演を小説の中で実現した関川夏央の原作を、谷口ジローが叙情に溢れ、且つ精緻極まる筆致で描いている。本当に夢見心地で読んだ。
因みに、ふたりの会話の中身は「9年前に若くして亡くなった『樋口一葉』と、その頃、熱愛で巷の話題の集めていた『平塚らいちょう』」、二人の女性作家の話だ。明治の文豪も若い女性ことは気にしていたみたいだ。結構隅におけない。