《写真漢詩》四長、無縁坂でさだまさしの非凡を語る。(根津・上野吟行2)


   東京上野の無縁坂である。森鴎外の小説「雁」の舞台、そして歌手さだまさしのグレープ時代のヒット曲「無縁坂」は、この坂がモチーフと言われる。言われると断定的には書かないのには理由がある。実はさだまさしの故郷・長崎にも「無縁坂」という坂があり、歌の聖地はあちらであると主張する人たちがいるからだ。

  私は長崎の「無縁坂」は行ったことが無い。また聖地論争も二つとも聖地ということで良いのではと思っている。でも、シングルレコードのジャケットの写真は上野の「無縁坂」だし、何よりも歌詞に出てくる「忍、忍ばず」は、坂を下ったところにある「上野不忍の池」を指していると考えるのが自然だ。それ故、少なくともさだまさしがこの上野の「無縁坂」界隈を歌のモチーフにしたことは間違い無いと思う。

案内板には森鴎外の「雁」ことしか書いてないが、そろそろ、さだまさしの「無縁坂」のことも書いた方が、訪れた人は喜ぶと思う。

  上野の無縁坂、上の坂の案内板にある通り、名前の由来は、坂の上にある仏教寺院「無縁寺(現講安寺)」だ。「無縁寺」というからには、無縁仏を供養する寺だろう。さだまさしはこの「無縁寺」に続くこの「無縁坂」と、母の人生と重ねあわせて、母と子の縁(えにし)を、それこそ噛み締めるように歌い上げた。

  私は初期のさだまさし(グレープ時代)の曲を聞いていて、最近思うことがある。それは彼の「(仏教的な)人の縁(えにし)への拘り」である。最初の大ヒットシングルの「精霊流し」は、彼の故郷長崎の代表的な夏の仏教行事である。お盆に彼岸から帰ってくる恋人との縁(えにし)を、彼はしめやか歌い上げた。

 そして「縁切寺」という曲もあった。モチーフになったのは鎌倉の東慶寺である。東慶寺は江戸時代、女性が夫と積極的に縁切りしたい(離婚したい)ときの「駆け込み寺」として有名だ。でも、さだまさしは、恋人との縁が切れるのを恐れる女性の心情を歌い上げた(結局は、女性の方から縁切りするのだが)、、、正に「諸行無常」の世界である。

ヤフオクで購入したグレープ時代のEPレコード、4曲中3曲が仏教?関連

  彼がデビューした昭和の終わり頃、世の歌謡曲・ポップスの歌詞やタイトルには、「教会(チャペル)」や「十字架」とか、キリスト教系の用語が氾濫していた。そんな中、仏教的な世界に着目したのは彼だけだろう。其処にさだまさしの非凡を感じる。

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