《写真短歌》四長、横浜ベイブリッジで若き日のドライブを回想する。(横浜吟行5)


  山手の「港の見える丘公園」から望む「横浜ベイブリッジ」である。1989年に開通した長さ860mの斜張橋である。1993年に「レインボーブリッジ」が出来るまでは、夜景族のメッカ、私も江東区から首都高を乗り継いで、家族とドライブした。

 上の短歌にある様に私は現在車の運転をしない。愛車もとうに手放した。もう二度とハンドルを握ることは無い。でも免許の返納は考えていない。これからも可能な限り更新手続きはするつもりだ。そう、私にとっては「運転は出来る。だけど運転はしない。絶対にしない。」ということが重要なのである。

 私が運転をしない理由、それは明解だ。単純に運転に自信が無いのだ。私は昔から運動神経が鈍い。今まで大きな事故や違反も無く、優良ドライバーで過ごしてこれたのは奇跡だ。その奇跡を永久化するには、ハンドルは二度と握らない。これに限る。正直、運転やめると決意したとき何処かホッとしたことを覚えている。テレビでときどき流れる高齢者の事故のニュースは辛い。中でも「高齢者の起こした死亡事故の被害者が若者や幼い子供」って言うのは辛すぎる。償い切れない過ちだろう。

 免許証返納制度、年間10万人以上が返納しているそうだ。有効に機能していることを私も否定しない。でも高齢者の事故がこれだけ無くならない現状を見ると、もっと強い制度も必要な気がする。「そもそも事故を起こしそうな人は、免許証返納をしないであろう。」から、、、

 極論だが、私は思う「①東京の様な都市部は、原則75歳以上は運転免許資格が消失する。」「②その中で諸事情でどうしても運転しなければならない人は再度受験する。(自動運転車限定等免許等々の免許証の種類も多様化する。)」「③地方部の代替交通手段が無い地域は制度を柔軟に運用する。」、、、こんな感じだ。

ホテル・ニューグランドからのベイブリッジと本牧埠頭

 そんなことをツラツラ考えていたら、PRESIDENT Onlineに載った我が老後人生の師・五木寛之氏の車の運転に纏わるエッセイを読んだ。五木氏曰く「『運転出来ない』と『運転しない』は全然違う。

(此処までは私と全く同じ、90歳を超える五木氏だが免許返納はしていない。でも、この後に続く運転しないことを決めたときの心象風景の説明が、断然カッコ良い。そのまま引用させて頂く。)

「私は初老(60代)に達したときに運転をやめた。そのときの寂寥感というのは、例えようの無いものだった。大袈裟に言えば、男をやめるくらいの覚悟が必要だった。

 どうです。さすが大小説家!言葉の重みが違う。私も人に運転しないことについて話すときは「もともと運動神経が鈍いので、何処かホッとした。」はやめて「男をやめるくらいの覚悟が必要だった。」とすることにした。五木先生、どうか借用をお許し下さい。

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