《写真漢詩》四長、ウィーンで「第三の男」を追跡す。


  上の写真は、オーストリア・ウィーンのプラーター公園の大観覧車である。映画「第三の男」の重要なシーンの舞台である。2019年、オーストリア、チェコ、ハンガリーの3カ国を巡る旅で訪れた。世界的大ヒット映画の聖地だけあって、大観覧車は、もう100歳を超えているにも関わらず健在だ!観覧車の箱も映画撮影当時のままで、中に足を踏み入れるとモノクロ映画のあのシーンも甦る。(気分を出すため本日のブログの写真はモノクロ仕様だ。)

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 映画「第三の男」は、1949年のイギリス映画、第2次世界大戦後の連合軍統治下のウィーンを舞台とした「フィルム・ノワール(※)」の金字塔だ。その年のカンヌ国際映画祭のグランプリを獲得し、アカデミー賞では撮影賞(白黒部門)を受賞した。

 現在は映画史に残る傑作として、映画ベスト100企画があれば、必ず上位にランクされる。オーソン・ウェルズの存在感(ラスト30分だけなのに)!アントン・カラスのツィター演奏によるテーマ音楽(エビスビールのCM曲だ)!明暗のコントラストを生かし切った映像美!シャープな編集!私も大昔に見たが印象に残っている映画だ。ウィーンへ行くなら聖地巡礼は欠かせない。

プラーター公園入り口

  聖地巡礼は面白い。新しい発見もある。忘れていたことも思い出す。この時もあった。僅か2、3行前に「大昔に見たが印象に残っている映画」と偉そうに書いたが、実はとんでもない。 映画で何を見ていたのかと思った。ウィーンに来て、映画の資料を真剣に見直して、ガイドさんの話を聞いて、恥ずかしながら理解した。何かが繋がった気がした。

大観覧車からの眺め、ウィーン市中央部、シュテファン大聖堂の尖塔も見える。


   それは当時(映画の舞台となった時代も映画公開時も)、ウィーンはドイツの敗戦の結果として、連合軍に四分割(米・英・仏・ソ連)統治されていたことの意味、その重み、緊張感だ。

 壁こそ築かれていないが、当時のウィーンはドイツのベルリンと同じだ。壁が無いから人は行き来し、交流する。でもそれが逆に、街全体に、街に暮らす人全員に強い緊張感を強いたに違いない。見えない壁の方が高かったかもしれない。その背景があってこその映画「第三の男」だったのだ。それは分割統治の現場に立って初めて想像出来る。

大観覧車の箱から前の大観覧車の箱を撮影

   私はそのとき、ふと思いつきスマホで現代の地図と四分割統治時代の地図を比較した。自分が今乗っている観覧車の場所は四カ国のうちどの国の統治下だったのかと。答えは瞬時に出た。ソ連だと。今は全く必要の無い緊張感が私の中で走った。

1945年〜55年、因みにプラーター公園は地図の2にある。

※「フィルム・ノワール」とは1940年代から60年代にかけて英米仏、そして日本で制作された犯罪映画だ。舞台は大都市、テーマは犯罪やスパイ、登場人物は、ハードボイルドな男性と謎めいた女性、それを陰影を強調した画面に収める。日本でも日活映画の幾つか(嵐を呼ぶ男、錆びたナイフ、乾いた花等々)がそれに当たり、私も幼い頃、母親に連れられて、映画館で見た記憶がある。(全く子供向きではない。)因みに母親は「フィルム・ノワール」のファンではなく、単なる石原裕次郎ファンだった。

 

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