《写真漢詩・短歌》四長、五丁目の夕日に記憶再生装置のスイッチが入る。
下町江東区北砂の「五丁目の夕日」である。私は夕日を見ると少し切なくノスタルジックな気分になる。それは私の中にある「記憶再生装置」が条件反射的に機能するからだろう。ある人が2005年公開の山崎貴監督の「ALWAYS 三丁目の夕日」は、団塊の世代の「記憶再生装置」であると話していたが、本当にそうだと私も思う。
映画の舞台は昭和33年(1958年)の東京の下町の商店街。主人公の一人、鈴木オート店の息子鈴木一平は、小学校4年生だから団塊の世代にドンピシャだ。建設中の東京タワーを始めとして、山崎貴監督が得意とするミニチュアとVFX(CG)で、再現される東京の下町の昭和30年代映像は、団塊の世代(特に東京育ちの)を一気にあの時代に連れて行くのだろう。
あの時代、そうあの時代は、まだまだ戦争の傷跡は確実に残っていた。街に。人の心に。戦争を知らない子供たちなんていない時代、そして戦争の無い平和な時代の有り難さを皆んなで噛み締めていた時代だ。そして一方では高度成長が始まり、各家庭でも新しい電気製品が増えて行き、大半の子供たちは科学の進歩を信じ、国が社会が右肩上がりで豊かになって行くのを疑わなかった時代だ。スマホもインターネットも無かったけれど、もう一度あの時代に戻っても良いと思わせる時代だ。この映画は見事に団塊の世代の「記憶再生装置」のスイッチを押した。
でも、、、此処で私は考える。それでは何故、私にもスイッチが入るのだろうと。私は東京生まれではないし(名古屋出身)、昭和29年(1954年)生まれで団塊の世代でもない。それなのに何故、私の「記憶再生装置」は見事なくらい反応するのだろうか?少し真剣に考えてみた。
だんだん分かって来たな、、、でも、、ドラマのもう一人の主役「東京タワー」は?、、、これは、即答だ!名古屋には「東京タワー」よりも5年も早く、日本初の総合電波塔「テレビ塔」が建築されていたのだ。(当時、名古屋の大人たちは嘯いていた。「東京タワー!あれは尾張名古屋のテレビ塔の真似だぎゃあ(名古屋弁)」と。)
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名古屋テレビ塔、帰郷したとき見ると胸がキュと締め付けられる。記憶再生装置にスイッチが入る瞬間だ。 |
小学生の私は商店街を模型飛行機や少年雑誌を持って駆け回り、週末には父母や友達とテレビ塔によく登りに行った。「記憶再生装置」にスイッチが入るのは当たり前だ。漢詩も出来た。