《写真漢詩》興福寺は永遠に不滅です。(飛鳥・大和路シリーズ8)


  奈良・興福寺の大伽藍である。右手に見えるのが、2018年に再建、落慶法要を済ませたばかりの「中金堂」、左手に映る屋根が興福寺に現存する建物では最古(1210年再建)の「北円堂」である。図らずも、最新と最古の建造物が一つの写真に収まっている。

 興福寺のホームページ等を見ると、現代の興福寺の基本コンセプトが書いてある。「天平の文化空間の再構成」とある。これもホームページで確認出来る「興福寺整備計画」をチェックしてみたが、計画は中金堂の再建を持って一応完成しているように見える。全盛期、興福寺は現在の奈良公園全域、奈良市の大半をその境内としていた。それを考えれば、私は伽藍の現状はまだまだ未完成のような気もする。でも、興福寺側の判断は、「伽藍の中心部分の空間には「天平」が蘇った。」ということみたいだ。

興福寺・北円堂

 「天平」その響きは美しい、奈良(平城京)時代の中の最盛期だ。興福寺は、この時代に興り、藤原家の氏寺として、日本の仏教のみならず、政治・文化にも絶大な影響を与え続けてきた。しかし、一方で興福寺は、その強すぎる権威・権力ために、敵対する勢力から何度も焼き討ちに遭い、破壊と再建を繰り返すこととなる。それ故、平成の中金堂の落慶法要は、興福寺の千年超えの悲願達成の瞬間だったのだ。私も今回、秋天の下、大伽藍に佇めば、「天平」時代にタイムスリップしたような気分を味わうことが出来た。

興福寺・五重塔

 しかし、やはり世の中にこんな風に思う人がいるに違いない。そして貴方も少し思っているに違いない。「天平の大伽藍だと言っても、一つも「天平時代」の建物は残っていないのか?古くて鎌倉時代か?天平に出逢うことは叶わないのか?興醒めだ。」と、、、でも、ご安心あれ、貴方は本当の天平に出逢うことが出来る。境内の国宝館に行けば、阿修羅像を始め、天平の仏像たちが、貴方を待っている。ゆっくりと「天平」という時代の証人と語り合うことが出来る。それはお約束する。

興福寺・阿修羅像


 ところで、此処で私は全く次元の違うことに感動している。「寺の建物が、何度も何度も焼き討ちに遭い全焼したというのに、こんなに沢山の仏像が残っている。」ということに。僧侶たちが必死に建物から持ち出したのだろう。唯の火災ではない。焼き討ちなのだ。並大抵のことではない。私は思う。興福寺には「思想」と「計画(BCP「事業継続計画)」があったに違いない。思想とは「建物は何度でも再建出来る。しかし仏像はかけがえが無い。火事が起これば、建物は放っておいて仏像を救うべし。」だ。そしてその思想に基づいてBCPが作られ、役割分担が決められ、徹底した訓練が行われた。それが千年を超えて継続され、興福寺は今年、創建1313年を迎える。興福寺のBCP!恐るべしだ。




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