《写真短歌》マイボタニカルライフ(13)(屋外編・萩、芭蕉と一夜を共にする。)


 「一つ家に遊女も寝たり萩と月」、松尾芭蕉の「奥の細道」の出てくる人気の句である。私は仙台堀で、この小さくて可憐な花が咲く頃になると、いつもこの句を思い出す。そして一人で笑い出す。近くで見ている人がいれば、少し気持ち悪いかもしれない。

 笑い出すにはそれなりの理由がある。私はこの芭蕉の名句に対して結構長い間誤解していたのだ。誤解したポイントは二つある。

 一つは、句の解釈である。これは私だけじゃなくて多くの男性が誤解していたと思う。「芭蕉は遊女と褥を共にした」と思い込んでいたのである。芭蕉もなかなか隅におけないと。真相はまるで違う。芭蕉の名誉のためにキチンと書いておかなければいけない。「奥の細道」を読めば書いてある。「芭蕉は宿に泊まり、床についていると、襖の向こうから女性の話し声がする。耳を澄まして聞いていると、話の内容から、その女性は遊女であることが分かった」という情景を芭蕉は詠んだのだ(つまらないと言えばつまらない話だ)。でも、怖いのは思い込みだ。私の中でこの名句は変貌を遂ていた。「一つ家遊女寝たり、、、」が「一つ家遊女寝たり、、、」になってずーっと記憶されていたのだ。たった二字の違いだが、グッと刺激的な句になっていた。


仙台堀の萩

 二つの目の誤解は、芭蕉がこの句を詠んだ場所の誤解だ。「奥の細道」を読めばこれもすぐに分かる。正しくは芭蕉はこの句を越後の山里で詠んだとある。でも、私は誤解していた。勝手に。芭蕉は今の宮城県仙台でこの句を詠んだと思い込んでいたのだ。そう、この誤解は仙台銘菓「萩の月」からきている。私はこの銘菓の大ファンで、食した回数は数限りない。そして食す度に刷り込まれていったのだ。「萩」と「月」は絶対に仙台だと。そして、怖いのは思い込みである。詠んだ場所だけならまだ良かった。なんと名句のこの部分も私の中で変貌を遂げていたのだ。「萩月」が「萩月」へと。たった一字の違いだが、こちらはグッと仙台に近くなっていた。

 そして、私の頭の中で二つの誤解は合体し長く記憶される。「一つ家遊女寝たり萩月」と。現代訳は説明の必要は無いと思うが、一応こんな感じだ。「(杜の都)仙台で、(萩の花のような可憐な)遊女と(素敵な)一夜を共にしました。」だ。「芭蕉!奥の細道で衝撃の告白!」である。

仙台堀の月

 以上、私が仙台堀で萩を見て笑い出すのも、無理からぬことと思いませんか?

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