《写真漢詩》四長、あの夏が甦る。(少年時代)
漢詩の「絵日記のまとめ書き」は結構皆んなやったことがあるだろう。私は今までにキチンと毎日絵日記を書いたという人にお目に掛かったことが無い。まとめ書きも織り込み済みの夏休み宿題なんだろう。でも、こちらは少しシリアスな話だ。私の小学4年生、夏の自由研究の中で起こった話だ。(正しくは起こした話だ。)
夏休みの自由研究!正に自由でやりたい人だけやれば良い宿題だった。でも、私にはプレッシャーが掛かっていた。先生に何故か期待されていたのだ。何かそれなりの研究をしてくるだろうと。
期待には応えなければならない。絶対に!小学生ながらそう思った。(この辺は責任感の強い良い奴だ。)夏休みに入る前から私は研究テーマを色々考えた。そしてあるテーマにたどり着いた。
そのテーマとは「川の研究」だ。愛知県の私の実家の裏には、一級河川「庄内川」が流れていた。その庄内川の水位や、川の色などを、その日の天気(上流地域の天気を含む)とともに、毎日観察するというものだ。
研究のハイライトも考えた。研究成果を紙で発表するだけでは「映えない」と思ったので、私は川の水を毎日採取することにしたのだ。小学生が水質検査をする訳ではないので、殆ど意味がないのは分かっていたが、採取した瓶がズラリ40日分並べば、「映える」こと間違いないと思った。開業医をしていた親戚から、空の薬瓶を大量に貰って研究がスタートした。
ところがである。(ところがと書いたが、皆さんの想像通り、期待通りである。)私には毎日川の水を採取することは出来なかった。冒頭の漢詩にある通り小学生の夏休みは忙しい。他にやりたいことが一杯あるのだ。結局、私が採取に行ったのは5日くらいだった。後はどうしたのか?これも皆さんの想像通り、まとめて採取したのだ。漢詩の絵日記のまとめ書きと同じだ。(流石に水道水は入れなかったが、、、)でも、私はタカを括っていた。先生が水質検査をする訳が無いので、まとめ採取(立派な「研究データ改竄」だが)が発覚することは無いと、、、(結構悪い奴だ。)
ところがである。夏休みが終わり自由研究を提出すると、私の辛い日々が始まった。予想通り、先生が水質検査をして私のまとめ採取を咎めるということは起こらなかったが、別の展開が待っていた。
先生が絶賛したのだ。私の「川の研究」を。先生はその日から校内だけでなく、自分のツテのある大学や高校の先生たちにも、私の研究?を喧伝し始めた。小学生の私には全く理解出来ない水質検査の書籍まで購入してくれもした、、、辛い日々だ。発覚した方が良いと思ったし、罪を告白しようとも思った。今、思い出しても辛い日々だった。
でも、私にとって良いこともあった。この件以来、思い切り小心者になったのだ。小心者は少し表現が可哀想であれば「細心」になった。私の長いサラリーマン生活、まあまあ大過無く過ごせたのは、あの小学四年生の夏があったからだと思う。


