《写真漢詩・狂歌》四長、碌山の「文覚」に愛の葛藤を知る。(安曇野・白馬吟行・夏4)
昨日に続き長野県・安曇野の荻原碌山美術館の話だ。所蔵の作品群の中でも一際の存在感を感じさせる胸像「文覚!」。1908年荻原碌山、渾身の作である。この随分マッチョな印象の像のモデル「文覚」は、もともとは平安末期、北面の武士だった。それが出家し、真言宗の僧となった。
出家の原因は、従兄弟で同僚の妻であった袈裟御前に横恋慕して、誤って殺してしまったことだとされている。しかし、「文覚」は僧になっても生臭い。伊豆に配流中の源頼朝の知遇を得てからは、鎌倉の歴史の表裏両面で暗躍する。「平家物語」や「源平盛衰記」などの重要なバイプレイヤーであり、特に平家物語の頼朝に亡き父源義朝の髑髏を示して蹶起を促す場面などは、有名で映画やドラマでも度々取り上げられる。
![]() |
この像が最初は誰かわからなかった。文覚と知って当時の大河ドラマを思い出し、笑ってしまった。 |
その鎌倉のトリックスターと言って良い「文覚」を、何故?荻原碌山が彫ったのか。荻原碌山の作品と言えば、乙女像であったり労働者の像であったり、精神性の高い真面目な印象だ。
私はずーっとミスマッチな感じを抱いていたが、その疑問は、この美術館の説明板を読んで解けた。碌山も悩んでいたんだ。道ならぬ恋に。碌山は、尊敬する郷里の先輩で、彼のパトロン的存在でもあった中村屋のオーナー相馬愛蔵の新妻相馬黒光を愛していた。
彼はその短い活動期間(享年30歳)の全てを、この愛の相剋に費やし悩み続けた。そして、その行き場のない思いを、同じ道ならぬ恋の経験者である「文覚」に叩きつけたのだ。
そう思ってみれば、私のこの像の第一印象も変わってくる。太い腕をしっかりと組み、まるで自分の胸中の出口の無い葛藤を抑え込んでいる様に思えてきた。そしてその葛藤は荻原碌山の葛藤そのものであったのだろう。
![]() |
昨年の今頃は、大河ドラマの彼の怪演を見て、呑気に狂歌も詠んでいた。今回の事件がどうしても現実と思えない。 |
ところで「文覚」、上述した様に歴史小説・演劇・映画で取り上げられ、幾多の名優が演じてきた。最近でいえば、やはり昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で演じた「澤瀉屋」、四代目市川猿之助であろう。少ない出演時間ではあったが、圧倒的な存在感で怪演・快演した。才能に溢れていた。
それだけに今回の事件は残念でならない。「文覚」の様に事件後もまた活躍するのは、現代では許されないかと考えると何ともやりきれない。何故?どうして?と思うが、人間の心の闇は、他人が覗くには深く暗い。