《写真漢詩》四長、地元の荻原碌山愛に感動する。(安曇野・白馬吟行・夏3)
写真の正面の建物、一見するとキリスト教の教会のようだがそうではない。尖塔の先にあるのも十字架ではなく、よく見ると不死鳥である。建物は近代彫刻家荻原碌山の個人美術館である。昨年の7月に訪れた。2回目の訪問だが、1回目はもう正確にいつだったか答えられないほどの昔だ。
中に入り、彼の代表的な作品群を見た瞬間、懐かしさが込み上げる。旧友に再会したみたいだ。でも旧友との再会とは決定的に違いがある。ブロンズの彼らが、昔と全く同じ姿で歳を取っていないのだ。それには不思議な感情が湧くが、決して嫌な感じではない。そのときの私の心持ちを素直に表現するとすれば「安心した」と言うのが一番近い。
荻原碌山は地元安曇野市出身で、30歳の若さで亡くなった。夭折の天才彫刻家であるが、その短い時間の中で作り上げた作品群は力強く、「東洋のロダン」と呼ばれ、未だ彼をこえる近代彫刻家は我が国に出現していないと言う人さえいる。
そんな碌山の全作品が、この美術館に来れば、全作品(1958年の美術館開館前の1955年に、東京芸大や国立博物館の協力を得て碌山の全作品ブロンズ化をしている)を見ることが出来る。碌山の親友・高村光太郎を始め、碌山と同時代に活躍した美術家たちの作品も、非常に良く整理された資料とともに見ることが出来る。写真の通り決して華美でなく、質実だがセンスの良い空間の中で見ることが出来る。正に至福の時である。
そして、今回の訪問で知り驚いたことがある。美術館落成の日、主賓として招かれた東京国立博物館長は「もし芸術に聖地というものがあるとすれば此処だ」と挨拶したと言う。荻原碌山美術館!それほど充実し、且つ素晴らしく美しいのだ。でも、この美術館、なんと東京の関係先から学術的協力は得てはいるものの、ほとんど地元の有志主導で企画され、建築され、現在も運営されているというのである。建築資金も長野県内の小中学生の一人五円、十円の寄付を中心に、約30万人からの寄付を得て完成に漕ぎ着けたそうだ。そんな地元の碌山愛・手作り感が確実に美術館の魅力となっている。