《写真漢詩》四長、安曇野で夕焼けレビューを観る。(安曇野・白馬吟行・夏9)

 


 最近ハマっている。フランスの刑事ドラマ「アストリッドとラファエル」で超人的頭脳の持ち主アストリッドが言った。「夕焼けに感動する人の気持ちが理解出来ない。夕焼けは太陽光線の波長の違いで起こる当たり前の自然現象、科学的に説明出来る感動には値しない。」と。

 確かにそうだ、中学校?の理科の教科書に載っていたような記憶がある。朝や夕方は、太陽の位置が地上近くまで低くなるので、太陽光が斜めに差し込む。そうすると、光が大気の層を通る距離が長くなるので、波長の短い青色は散乱し、人の眼には届かず、波長の長い赤色だけが残り、目まで届き赤っぽく見えると言う仕組みだ。



 100%文化系の私ではあるが、実はそんな科学の話も嫌いでは無い。花鳥風月を愛でるときも、少しだけでも科学の知識の背景があれば、愛で方に奥行きも広がりも出てくる気がする。

 先程の夕焼けの話だってそうだ。太陽光線の波長と色の関係を聞けば、印象派の画家たち、例えばモネを連想する。モネは睡蓮の池を夜明けから日没まで、色んな時間帯で描いていた。それは光の波長と色彩との関係をキャンバス上で再現したかったんだろうと、、、かように、感動と科学、それは切っても切れない関係だ。


 そんな意外と科学好きの私であるが、これには驚いた。昨年、安曇野のホテルから見た夕焼けである。西の空にモクモクと膨らむ巨大な積乱雲、その全体が鮮やかなオレンジ色に染まっている。一瞬頭を掠めはした。「これは波長が比較的長いオレンジ色」だと、でも直ぐに、そんなことは吹っ飛ぶ、美しすぎ、凄すぎるのだ。

 もう、単純に自然の壮大なレビューを楽しむことにした。遠く雷鳴が聞こえ、稲光も雲のあちこちで発生し、レビューはクライマックスだ。しかし、やがて、辺りが少し暗くなる。積乱雲もオレンジ色から茜色に変わり、今度はちらほら星が確認できるようになる。レビューの終わりが近づいて来た。漢詩も降りて来た。そのとき私は思う。アストリッドにも教えてあげたい。「感動が、科学に勝つ瞬間!」それもアリだと。








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