《写真漢詩》四長、安曇野でKurosawaの夢を語る。(安曇野・白馬吟行・夏2)

 


 黒澤明の晩年の作品『夢』のロケ地・安曇野である。『夢』は黒澤の1990年の作品、8話のオムニバスで、安曇野は最後の第8話「水車のある村」のロケ地である。『夢』は彼の最終作の「まあだだよ」とともに、往年の黒澤ファンや批評家からは、黒澤の自己満足!観客のことは何も考えていない!とか、結構厳しい評価を受けた。「七人の侍」や「生きる」と比べる人から見れば、それも当然の評価だと思う。でも、始めから「黒澤が自らのために創った作品」として、観ていた私は十分楽しめたし、ある意味、大変興味深かった。

 黒澤は、最初この映画のタイトルを『夢』ではなく、「こんな『夢』を見た」にしたいと言っていたそうだ。私もその方が良かったと思う。まさに彼が見た『夢』をそのまま映像化しているからだ。見た『夢』を映像化する。それは皆んな、一度はやってみたいと思ったことがあるのでは?少なくとも私はやってみたい。羨ましい限りだが、凡人には絶対に叶わない『夢』だ。

 黒澤の場合はその『夢』の実現に、彼に憧れて映画監督になったスティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、フランシス・コッポラらが資金面・技術面で協力。マーティン・スコセッシに至っては、画家のゴッホ役で出演までしている。流石だ。彼の実力・実績の賜物だ。この映画の撮影中、彼が監督冥利に尽きる幸せな時間を送ったことは容易に想像出来る。

黒澤明のサイン

 『夢』の最終話「水車のある村」の最後に葬儀・葬列のシーンがある。葬儀なのに祭囃子のように笛や太鼓も楽しげだ。葬列は祝祭パレードのように賑やかで華やかだ。その村の慣わしで「最後まで良き人生を送った人の葬式は、村人全員が棺を囲み笑顔で行進して行う」と言う。

 このシーン、彼自身、迫りつつある自らの死の予行演習も試みたに違いないと思う。黒澤明!世界のKurosawa!最後まで映画監督だった。


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