《写真漢詩》四長、富山で僥倖を噛み締める(富山吟行2)。
雨晴(あまはらし)海岸、女岩を前に海越しに標高3,000メートル級の立山連峰を望む景色はとても有名で、富山県の観光パンフレットには、必ず掲載されている。でも立山連峰を見るのはそんなに容易なことではない。冬の良く晴れた日に、色々な気象条件が重なって、ようやく見ることが叶うのだ。私の訪れたのは夏の終わり、最初から諦めていた。そしてもし万万が一に見えたとしたらそれは「僥倖」と言って良いものだろうと思っていた。
「僥倖」良い言葉だ。「僥」は「人」と「堯(徳が高いこと)」そして「倖」は「人」と「幸せ」で出来ている。それが一緒になって「僥倖」は「徳の高い人の幸せ」となる。でも本当に徳の高い人は滅多に居ない。それでこので「僥倖」の意味は①思いがけない幸せ②なかなか入手できない幸せになったのだそうだ。
そんなことを徒然に考えて、富山県立美術館3階のロビーから、立山連峰の方角を見つめていたときだ。なんとなんと雲間から立山連峰らしき山並みが顔を出してくれた。「僥倖」だ。もっともっと見えてくるのではと少し粘ってみたが、私の「僥倖」はそれで終わった。私の「徳」のレベルから考えればそれが限界だ。十分過ぎる位だ。神さまの出血大サービスだと納得。「僥倖」を噛み締めた。
最近、友人が話してくれた、「昔、新潟勤務時代、当時北陸最大のパチンコ店が富山にオープンすると聞いて、新潟から富山に遠征した。そのとき、JR北陸線の魚津辺りで、車窓から素晴らしい立山連峰を見た。良い思い出だ。」と、、、「僥倖」、、持ってる人は持っている。