《写真短歌》四長、ピサの斜塔に昇る(後編)。(海外シリーズ・シーズン4・エピソード4)
『ピサの斜塔』には、ガリレオ・ガリレイに関係する有名な逸話が2つある。一つは良い話。『ピサの斜塔』の屋上から大小2つの鉄球を落とし、2つが同時に着地する「落下の法則」を証明した話だ。(さすがガリレオ、『斜塔』を上手く利用している。)
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「ピサの斜塔」の屋上から見るトスカーナの風景 |
二つ目は、良い話なのか悪い話なのか、ちょっと複雑だ。ガリレオは当時の天動説を否定して、地動説を主張し異端尋問にかけられる。1633年の話だ。それから350年余たった1992年、ローマ法王・パウロ2世が、この『ピサの斜塔』の屋上で、ガリレオに謝罪し、天動説の誤りを認めると世界に声明を出した話だ。ガリレオの名誉が完全に回復した。
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「ピサの斜塔」の屋上から見た大聖堂 |
ガリレオは、異端尋問の最中体調が優れず、止むを得ず地動説を誤りとする。唯、「それでも地球は回っている。」と呟き、牢獄の壁に文字で残したと言う。どんなに悔しかったろう。ガリレオの信仰心は高い。その上で信仰と科学を切り離し、真理を語っているだけなのに、、、信仰と科学をごちゃ混ぜにした頭の硬い当時のローマ教会に痛めつけられたのだ。
私はこの話を小学校のとき、教科書か偉人伝かで読んで憤慨した。それから今に至るまで「それでも〇〇〇〇、、」と呟きたくなる出来事を、沢山見たし経験もした。でも、私などまだ恵まれた方で、世の中にはもっと酷い場面で、真実を捻じ曲げられ、「それでも〇〇〇〇、、」と呟くことが一杯あるのだろう。
映画界で、それをズバリ扱ったのが、周防正行監督の「それでも僕はやっていない(2007年)」だ。痴漢の冤罪事件の話だ。日本の検察や裁判の理不尽な部分を描いた名作だ。周防監督はその映画を撮ったことがきっかけになったのか、最近では監督業よりも再審法改正を目指すオピニオン・リーダーとして活躍している。
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ピサ大聖堂 |
日本の再審(裁判のやり直し)のハードルは諸外国と比べて異常に高い。有力な証拠が裁判後に見つかっても、簡単には再審を認めようとしない。それも「裁判官に誤りは無く、一事不再理が絶対原則だ」と言う、まるで科学的根拠の無い理由で、、、裁判官だって人間だ。間違いを犯すことは当然ある。周防監督はその当たり前のことが当たり前にならないことが許せないのだろう。
周防正行監督、1956年生まれ、私とほぼほぼ同年代、きっと私と同じガリレオの話を、教科書か偉人伝で読んで憤慨したのだろう。その少年の憤慨を今も持ち続け、世の理不尽と戦っているのは、リスペクトに値する。「シコふんじゃった(1991年)「 Shall we ダンス?(1996年)」「終の信託(2012年)」「舞妓はレディ(2014年)」、数々の名作を世に送り出した名監督の映画ももっと見たいが、ここは我慢するしか無い。